「北の山・じろう」時事問題などの日記

 ☆今は、無きブログのタイトル☆ 『取り残された福島県民が伝えたいこと』 管理者名 「取り残された福島県民」 当時のURL>http://ameblo.jp/j-wave024/

大飯原発・差し止め訴訟 国民の命を守る判決だ(社説)<東京新聞 2014年5月>について

※当然と言えば、当然です。画期的といえばそうも言えます。

普通の人が、普通に考えれば電気を発電するために地域住民の健康や命をリスクに曝すのは、許されないと考えるでしょう。この普通に考えることが出来ない人たちが社会の上層部にはびこり、現在も多数はびこっています。

 

※それにつけても思うのが、ドイツのメルケル首相の政治判断です。福島第1原発事故後、ドイツ国内でも大規模な反原発活動が起こりました。元々、ドイツの脱原発は早い段階に決まっていました。産業界の要請を受けてメルケル首相はドイツ国内の完全原発廃止期限を10年延長しました。結果、延長した10年を取り消して、最初の予定通り2022年までに全原発を廃止することを決定したわけです。

※関連記事

なぜドイツは原発を止められたのか
2011年7月4日 朝日新聞
http://www.asahi.com/eco/forum2011/forumcolumn/TKY201107040118.html

 

そして考えるべきは、この時のメルケル首相の決断に大きな影響を与えたのは、技術的諮問委員会の勧告ではなく、倫理的諮問委員会の勧告であったといわれています。技術ではなく、倫理を優先して決定したと言うようなブログ記事を読んだ記憶があります。

ドイツから学ぼう
http://d.hatena.ne.jp/msehi/

脱原発(1)逆襲を克服したドイツの脱原発
2011-07-30
http://d.hatena.ne.jp/msehi/20110730/1311995202

 

※社会にとって重大なことを決定する場合には、利益ではなく合理性や倫理を優先するべきであると思います。現行憲法下では主権は国民にあります。一部の大企業や政府・行政にあるのではありません。国民と日本の社会の最大利益ないし利便性を、あるいは安全・快適さなどを判断の根拠にするべきでしょう。その意味では、当然の判決です。しかし、現在の利権中心の社会構造を考えるなら、「よく、立派な判決を下してくれた!」と思います。

 

 

東京新聞 TOKYO WEB
トップ >http://www.tokyo-np.co.jp
大飯原発・差し止め訴訟 国民の命を守る判決だ(社説)

2014年5月22日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014052202000148.html
▼全文転載

 大飯原発の運転再開は認めません。昨日の福井地裁判決は、言い換えるなら、国民の命を守る判決ということだ。原発に頼らない国への歩みにしたい。

 判決はまず、津波対策に比べて軽視されがちな地震の揺れの強さに着目し、「想定外」は許されないと言っている。

 世界有数の地震国日本では、どんな大地震大飯原発が襲われるか分からない。原発を冷やすシステムが破壊されない保証もない。一方、想定より弱い地震でも重大事故は起こり得るものだという。

 要するに、「想定外」を恐れている。

◆いくつもの神話の否定

 使用済み核燃料に関しても、放射性物質が漏れ出さないように閉じ込めることが可能な保管設備は存在しない、とも考える。

 さらに、大飯原発の安全技術と設備は、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立つ脆弱(ぜいじゃく)なものだと断じている。

 裁判官の前では関西電力の方に説得力がなかったわけである。

 安全神話の完全な否定である。

 原発の稼働が発電コストの低減になるという関電側の主張も退ける。極めて多数の人々の生存そのものにかかわる権利と、電気代が高い低いの問題とを並べて論じること自体、許されないと、怒りさえにじませているようだ。

 経済神話の否定である。

 そして、原発の稼働が地球温暖化の原因になる温室効果ガスの削減に寄与するという被告側の主張に対しては、福島原発事故はわが国始まって以来の環境汚染、甚だしい筋違いとまで言い切って、環境神話も否定した。

 3・11後もまだ残る原発神話を払いのけ、その素顔を国民の前にさらして見せたとすら、言えるだろう。

 原発再稼働に走る政府はどう受け止めるのか。

 国内の原発訴訟で住民側が勝訴したのは、高速増殖原型炉もんじゅ福井県敦賀市)の設置許可を無効とした二〇〇三年の名古屋高裁金沢支部判決と、北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを命じた〇六年の金沢地裁判決だけだった。

 福井、岐阜両県と近畿の住民が同じ3、4号機の差し止めを求めた仮処分裁判の抗告審で、大阪高裁は今月九日、「現時点では判断できない」と、訴えを退けた。

 今回の判決は、福島の事故直後に当時の近藤駿介原子力委員長が示した見解を踏まえ、原発から二百五十キロ圏内の住民は事故の被害を受ける恐れが強く、差し止めを求める権利があると、かなり広く認めている。

◆国民が普通に思うこと

 3・11後、原発の停止や建設中止を求める訴訟が各地で起こされているが、司法の流れは本当に変わるのか。

 関電はきっと控訴するだろう。差し止めの結論はもちろん、判決内容にも多々不服があるだろう。国は、これでは日本の経済が成り立たない、というかもしれない。

 しかしよく考えてみてほしい。今回の地裁の判決理由は、普通の国民が普通に考えて思い至ることばかりではないか。

 その考えの基底には、あの東日本大震災・大津波で引き起こされた福島原発の惨状、放射能汚染の怖さ、また安全神話と今は称される、事故の蓋然(がいぜん)性に固く目を閉ざしていたこと、などへの痛切な悔悟と反省とがある。

 事故のあと、日本の原発行政は揺れに揺れた。当時の民主党政権下では、原発ゼロへの計画をいったんは決めながら、自民党への政権交代によって揺り返した。

 先月、政府は原発をできるだけ減らすと言いながら、その実、原発をベースロード電源と位置づけ、事実上、原発頼みへとかじを切り直した。

 原発に頼らないという道筋は、立地自治体などには経済活動の停滞や雇用の不安を生じさせる。それはもちろん理解せねばならない。そして、日本全体で考えるべきことだ。

 そういった不安を除きつつ、同時に原発政策を見直し、国民の生命・安全を守りぬこうとすることこそが、政治なのではないか。

◆福島の反省に立って

 判決は、あらためて、福島の反省に立て、と言っているかのようである。

 司法は、行政が行うことについて、もし基本的人権を危うくするようなら異議を唱えるものだ。その意味で、今回の判決は、当然というべきであり、画期的などと評されてはならないのだ。

 経済性より国民の安全が優先されるというのは、これまで私たちが何度も唱えてきたことであり、未来への願いでもある。

 それは大方の国民の思いと同じはずである。

 

東京新聞 TOKYO WEB

東京新聞:東京新聞購読のご案内(TOKYO Web)

東京新聞:試読フォーム:東京新聞購読のご案内(TOKYO Web)

東京新聞:携帯情報サービス(TOKYO Web)

北から南まで、地域密着の最新ニュースを! ニュースクリップ

 

 

 ※関連ブログ記事

BLOGOS
大飯原発再稼働差し止め訴訟の判決文を読んだ
2014年05月25日 19:05 長谷川一
http://blogos.com/article/87110/
みんな楽しくHappy♡がいい♪
大飯原発>運転差し止めを命じた福井地裁の判決要旨・他いろいろ
2014-05-22
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3728.html

 

 

ブログ目次
☆ホームページのご案内
福島第1原発事故と原発問題、チェルノブイリ原発事故関係情報案内所
福島原発事故と放射能環境汚染・食品汚染・健康被害、チェルノブイリ関連情報案内所