「活字離れ」と言う言葉は、20数年前から言われ始めました。
「漫画・・・」と言うようなマンガ形式の色々なテキスト的なものが作られ始めたのが「活字離れ」が実際に表面化した始まりだと思います。
実際には、その時かなり進行中だったという事でしょうネ?
そして、パソコンが普及してインターネットが急速に速度アップして、サービス料金も割安になりました。これは、「ADSL」の出始めのころを言っています。今は、スマホの時代ですネ。
パソコンの画面で大抵のことは、見ることが出来るので「紙に書いた活字の情報など、もう必要ない」と、誤解した人が沢山いたのかもしれません。
現実社会では、活字業界の経営が圧迫されそれが、継続中です。
そうすると??
文章を書く(主に新聞業界)人に、「モロに!」影響が及びます。
つまり、新聞社の経営が圧迫されますので、どうしても新聞記者の数を減らすようになります。
結果、今はどうなっているのか??
これは、中部大の武田教授のブログに書いてありました。
今の新聞記者は、人員削減の影響で新聞の紙面を埋めるための記事を、昔より沢山短時間で「作る?」必要に迫られているのだそうです。
それが、どのような結果を生むのか??
「政府、自治体、団体、企業などの広報や資料」を全部丸写し的な記事を書くのではなく、作るようになります。全国紙に似たような記事が、ずらっと並ぶことがあります。これなどは、その典型例です。ニュースソースも資料も全部同じですから、似たような記事になると言うわけです。
そして現在のマスコミは、「お上??」に非常に弱い部分が見受けられます。
簡単に「情報操作」されてしまうのですネ?時には何だか??マスコミ自ら迎合しているのではないか??と、つい誤解しそうになってしまうケースも少なくありません。
活字を読んでいた方(読者、または旧読者、新規の全然新聞を読まない人)は、どうか??こちらも、それに比例して「劣化!」します。粗雑な情報(記事)を読んでいれば当然劣化しますし、読まなければ更に劣化します。
どうしてか(全然新聞を読まない人)???
インターネット上の情報を、私が見る限り「一体?どれが本物または真実に近いのだろう???」と、判断に迷うケースが非常に多いです。これらのインターネット上に氾濫した様々な情報から、より正しい適切な情報を選択するのは、知的レベルの高い人であろうと、かなり困難な作業だと思います。更に、困難を深めてしまうのは、閲覧数を増やすためのアクセスアップの操作がありますが、これを利用して本物の情報を検索エンジンから遠ざける事も可能です。「多分、そうしているのではないか?」と疑いを(私が)持つケースは結構あります。
インターネット上にどれほど沢山情報があろうと、それが善意による情報とは限りません。一定規模以上のグループであれば情報操作したり、情報を隠したり、やろうと思えば様々なことが出来ます。
活字の場合は、こうは行きません。
すでに紙に印刷された情報だからです。
コンピュータ上の操作で内容を変えたり、隠したりは出来ません。
ツイッター(Twitter)と呼ばれる情報伝達手段を見ていると、「よくそんな物を使うな??」と思います。字数が少ない上に頻度が多いと、それを追いかけているだけで大変でしょう。せっせと、それを利用して情報発信していた(いる?)どこかの市長がいましたネ?
短い文章で、正確に物事を伝えるのは不可能です。
粗雑な内容を頻繁にやりとりしていれば??
どうあがこうと、「頭脳の劣化」を招くでしょう?
「劣化の悪循環」と言う訳です。
そして、情報の出してと受けての両方の劣化が更に進行してしまう?
非常に困ったことだと思いますが、現実はそうなってしまっています。
最近思う(感じる)のは、情報の出し手である、特にマスメデイアの劣化です。
特に記事形式にしてインターネット上に掲載した場合、私も見ますので「これは、ちょとひどすぎるな??」と思う記事を時々見ます。具体例は、出しません(マスメデイアを批判しているのではありませんから、今回は)。
昔は、現在と比べると色々な意味で単純でした。
だから、その道の権威になれば当分それで間に合いました。
現在は、技術や知識の進歩が速すぎて、「その道の権威」にすら中々なれない状態です。
情報は広範囲で多岐に渡りしかも情報の量たるや膨大に過ぎます。とてもではありませんが一つの分野でさえ一人では「如何ともし難い」部分があります。
ですから、「マスメデイアの劣化」と言うより、「マスメデイアの大組織をもってしても、情報の膨大な分量に対応できない」と言った方が正しいのかもしれません。
分かりやすい例。
これは、例としては適切でありませんので削除しました。