Huffingtonpost
「イクメン」という言葉がない国フィンランド―ミッコ・コイヴマー駐日フィンランド大使館参事官に聞く"世界一幸せな子育て"
投稿日: 2013年06月17日 11時27分
http://www.huffingtonpost.jp/2013/06/15/story_n_3445547.html?utm_hp_ref=japan
☆記事もコメント欄もお読みいただきたいと思います。
皆さんは、「フィンランド」という国をご存知でしょうか?
☆「フィンランド」の歴史を見ると、北欧の大国スウエーデンとロシアの間で戦争があるたびに、勝ったほうに支配されると言うかなり悲惨な歴史があります。現在は、中立国であるスウエーデンも昔は、北欧の軍事大国でした。支配されると言うことは??戦争が起こると、常に最前線で戦わされると言うことです。
☆このような歴史の中で、「フィンランド」の人々は民族性を保ち続けました。
スウエーデンは、やがて中立国への道(現在に続く道)を歩み始めます。
そして、ついに?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
1917年にはロシア革命の混乱に乗じてフィンランド領邦議会は独立を宣言した。
☆その後も、「フィンランド」の歩んだ道は、波乱に富んだ道です。
なぜか??
第二次世界大戦です。
この時、「フィンランド」は苦境に立たされます。
☆第二次世界大戦の前に旧ソ連は、どのような外交を行ったか??
ナチスドイツと周辺諸国を分け合いました。
(どちらかが、軍事占領したという意味です)
バルト3国やポーランドの歴史を見ると、よく分かると思います。
バルト3国は、旧ソ連に軍事占領され、旧ソ連が崩壊するまで、その状態が継続しました。
☆旧ソ連は、独立後の「フィンランド」も軍事占領しようとします。
結果だけ記載すると
「フィンランド」は、旧ソ連と数次にわたる戦争を戦い抜き、ついに独立を守り通しました。「フィンランド」は小さな国です。
旧ソ連と数次にわたる戦争を戦い抜き、ついに独立を守り通した「フィンランド」国民は、勇猛果敢であり、かつ民主主義的な国民です。
冬戦争 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E6%88%A6%E4%BA%89
ソ芬戦争 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E8%8A%AC%E6%88%A6%E4%BA%89
継続戦争 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E7%B6%9A%E6%88%A6%E4%BA%89
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%8C%96
☆詳しくは、上記URLからお読みください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%8C%96
★一部引用
1939年の独ソ不可侵条約によって、ソ連はフィンランドを勢力範囲とすることをドイツから認められる。スターリンはフィンランドの併合を目論んでフィンランドへの侵攻を開始したが(ソ芬戦争)、頑強な抵抗に遭いフィンランド国土の十分の一のソ連への割譲を条件に講和し(冬戦争)、1941年の独ソ戦開戦によりフィンランドも失地回復のため参戦した(継続戦争)。枢軸国の敗勢によりフィンランドはソ連と休戦し、国内駐留ドイツ軍と開戦した(ラップランド戦争)。
敗戦国の立場に立たされ地理的にも西側の支援の望めないフィンランドは、1948年にフィンランド・ソ連友好協力相互援助条約(Agreement of Friendship, Cooperation, and Mutual Assistance)を締結し、独立および議会民主制と資本主義の維持と引き換えに、有事の際にはソ連に協力して戦うことを宣言し、国際的には事実上の東側の一員として行動することとなった。軍の装備もワルシャワ条約機構と互換性のある物が採用された。また、マスコミにおいては自主規制が行われ、冬戦争におけるソ連の侵略などに対する言及はタブーとなり、電力や天然ガスといった重要資源もソ連に全面依存するようになった。
☆引用終わり
☆このような困難な道を、第2次世界大戦の後は、歩まなければなりませんでした。
そのような戦後の歴史の中で、「フィンランド」は世界に冠たる民主主義を実現していきます。
☆エネルギー自立
「フィンランド」にとっては、宿命的な課題です。
ロシアの頚木から逃れようとするなら、エネルギーをロシア以外の国から調達するしかありません。
その結果、「フィンランド」国民が選択したのが、原発導入でした。
原発導入にあたり、後世への責任として、オンカロに最終処分場を建設することを決めました。現在、建設中です。
核のゴミ、市民はどのように処分方法を決めたのか — フィンランドの経験
2014年2月24日掲載
http://www.gepr.org/ja/contents/20140224-02/
※ご注意
私は、オンカロが安全だと言ってはいません。
むしろ、危険性が残ると考えています。
しかし、無責任に最終処分場も建設せず原発推進してきた他の国よりは、はるかにマシだと言う意味です。
☆「フィンランド」国民の民主主義のレベルの高さが理解できると思います。
私は、原発は日本では廃止するべきだと思います。
しかし、化石燃料を費用対効果の面から輸入できない国も小さな国には、沢山あることを知るべきだと思います。
☆「フィンランド」は、教育においても優れた成果を上げています。
日本が見習うべき点は、沢山あると思います。
何より、大国と折り合いながら生きていく知恵を学ぶべきだと思います。