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「北の山 じろう」日記               (その心は?明日、天気にな~~れ!)

☆今は、無きブログのタイトル☆ 『取り残された福島県民が伝えたいこと』 管理者名 「取り残された福島県民」 当時のURL>http://ameblo.jp/j-wave024/

自分自身の考え方の奥底にあるものを、考えたことはありますか?

50代になり、自分自身について気が付いたことがあります。
私は、「正義、公平、平等、自由」と言うような価値観を重視します。
もう、小学生のころには、このような価値観が身についていました。だから、これ?普通だろ??と、50歳を過ぎるまで思っていました。

ところが?私の兄弟姉妹・従兄弟を考えると、このような価値観を共有する人間は、いないことに気が付きました。

両親や伯父伯母(叔父叔母)から学んだものではなく、学校で学んだことでもありません。

そこで生じた大きな疑問。
「一体、いつ?誰が??自分にこんなことを教えたんだ?」
私が育ったのは、北海道の山奥で教養のある人など、ほぼいませんでした。

「正義、公平、平等、自由」と言うような価値観は私が小学校に上がる前に、既に刷り込まれたものです。

これは、欧米(またはキリスト教)の価値観と類似点があります。

ここまで考えた時、大体自分自身の過去について推測できました。

私の父方の叔母が子供の教育に熱心な人でした。
ご自分の子供たちを教育する手段として、世界児童文学書を沢山、子供たちに買い与えました。そこの子どもたちは、私の兄弟より少し年上でした。

だから?叔母の子供たちが読み終わった世界児童文学書が沢山、私の家にあったというわけです。「50冊以上100冊以内くらいあった世界児童文学書が、当時まだ幼かった私の教師だったのであろうと」と言うのが、私の自分自身に対する推測です。

それしか読むものがなかったので、その本に書かれていたことが、自然に私の頭に刷り込まれてしまったと言うことのようです。


☆今日、読んだ記事
ロイター
アングル:アウシュビッツ元収容者が語る「逃れられない」過去
2015年 01月 29日 09:0

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0L200K20150129#1

2015年01月30日 22時01分