「北の山・じろう」時事問題などの日記

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この国と原発:第2部・司法の限界/2 「一生背負う」裁判官<毎日新聞>

毎日新聞
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この国と原発:第2部・司法の限界/2 「一生背負う」裁判官
毎日新聞 2011年09月18日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20110918ddm003040167000c.html
◎全文転載

(1)

 ◇敗訴の原告も評価

 宮城県女川町の女川第一小学校の校庭に建つ仮設住宅。晴れた日は、その一角に「原発廃炉」と染め抜かれた水色の旗が翻る。00年に原告敗訴で終結した女川原発訴訟の原告団長、阿部宗悦さん(85)は、同町鷲神浜の自宅を津波で流された今も、静かな抵抗を続けている。

 回船問屋を営み、定置網漁の漁師でもあった阿部さんは81年、原発の建設差し止めを求めて提訴に加わっ た。「原発の排水で海を汚してはならない」という一心だった。国を相手に設置許可の取り消しを求める「行政訴訟」ではなく、電力会社を相手に原発の存在自 体の是非を問う初の「民事訴訟」として注目された。

 「安全性に欠ける点がないことは、(電力会社側が)非公開の資料も含めた必要な文書を提出して立証すべ きだ」。1審の仙台地裁判決(94年1月)は、阿部さんらの訴えを退けながらも、電力会社に情報開示と安全性の証明を求める異例の判断を示した。民事訴訟 では通常、原告側に「立証責任」があり、本来は阿部さんらに危険性の証明が求められるはずだった。

 裁判長を務めた塚原朋一弁護士(66)は「圧倒的な情報を持つ被告に安全性を証明する義務があり、電力会社が極秘扱いの原子炉設計図などを証拠提出するのは当然と考えた」と話す。阿部さんも「ここだけは、裁判所がよく踏み込んだ」と評価する点だ。

(2)

 訴訟は2審の仙台高裁判決(99年3月)、最高裁決定(00年12月)を経て原告敗訴が確定した。それから11年。「この訴訟を今後の何らかの参考にできないものか」。福島第1原発事故を機に塚原さんは、かつての訴訟記録を再読しようと考えている。

 塚原さんは小学生の時、将来の夢を「(国の)原子力委員」と書いたという。終戦から約10年が経過し、 「国民に原子力の平和利用を受容する風潮が芽生え始めていた」。原子力へのそんな思いを明かしながら、「日本人の平均的な感覚の持ち主として、原発訴訟を 担当したつもり」と述懐する。

 もし福島の事故が女川で起きていたら……。塚原さんは「訴えを退けた個々の裁判官に、事故に対する法的責任はない。ただ、自分が下した判断が本当に正しかったのかという重い課題を、裁判官は一生背負い続ける」と語った。

 阿部さんは傘寿を越えた今も、精力的に反原発集会に通う。「今回の事故で、原発が『百害あって一利なし』だということがはっきりした。子孫に汚れた海を渡せない」。水色の旗の下で、阿部さんは改めて思いを強くする。=つづく

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 ■ことば

 東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)

(3)
 84〜02年、沸騰水型軽水炉の1〜3号機の運転を開始。東日本大震災で運転を停止しているが、東北電は「安全性に問題はない」としている。想定してい た9.1メートルを上回る推定13メートルの津波が襲来。敷地は海面から14.8メートルの高さで、非常用電源3系統のうち1系統が津波で機能を失ったも のの、残る2系統が無事で事故を免れた。

(毎日新聞・連載特集)
この国と原発 アーカイブ(2011年)
http://mainichi.jp/feature/20110311/konokunitogenpatsu/archive/news/2011/index.html
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