「北の山・じろう」時事問題などの日記

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福島から福岡へ。原発再稼働問題とたたかう〜斎藤利幸弁護士インタビュー

NET-IB NEWSネットアイビーニュース
福島から福岡へ。原発再稼働問題とたたかう〜斎藤利幸弁護士インタビュー(前)
脱原発・新エネルギー
2012年2月13日 16:00
http://www.data-max.co.jp/2012/02/13/post_16433_dm1739_1.html

 斎藤利幸弁護士(以下、斎藤) 私は出身が福島県郡山市で、弁護士事務所も同じく郡山にあったのですが、地震の瞬間は福島市から郡山に車で移動中でした。大変強い揺れを感じ、その瞬間頭をよぎったのは原発のことでした。「こんな大きな地震がきてしまって大丈夫かな」、そう思いました。しかし、発生直後は通信なども遮断され混乱していたので、郡山の状況がよく掴めず、とにかく事務所に急ぎました。現場に着いてみると、無残な姿になっていて、頭が真っ白になってしまいました。
 ――その後、福島第一原発で水素爆発が発生しました。
 斎藤 大変なことになったと思いました。枝野幸男官房長官(当時)は、原発の釜(燃料容器)は大丈夫だろう、というような発言をしていて、一度は信用しました。しかし、原発が爆発した以上は、いずれは避難することになると考え、家族には準備するように伝えました。そして、15日の朝になって、インターネットに接続できたので、メルトダウンの可能性があることを知りました。私は最悪のケースを想定し、この日、 22歳の長男と高校生の娘、それから妻と一緒に福島を出ました。国内でできるだけ安全な場所ということで、九州を選びました。知り合いの弁護士がいるというのも大きかったです。
 ――震災発生から避難までの期間が短かったのでご苦労されたでしょう。
 斎藤 避難するときに愛犬も一緒だったのですが、ペット同伴で宿泊させてくれるホテルがなくて本当に困りました。初日は10件以上問い合わせてもダメで、最終的には犬を飼っている支配人さんがいるホテルに泊めてもらうことができました。もし、そのときいきなり福岡の都市部に行っていたら、宿泊先が見つからなくて諦めて福島に戻っていたかもしれません。その後は、遠賀郡在住の知り合いの自宅にお世話になりました。結局3月から8月くらいまでの5カ月間住まわせてもらったのですが、大変感謝しています。ただ、娘に関しては高校に入学するタイミングだったこともあって、福島に妻と帰ってしまいました。線量も高いですし、女の子ですからいちばん避難させたかったのですが、大変心配しています。
 ――福岡に来られて、お仕事の方は順調でしょうか。
 斎藤 いえ、正直に申し上げて厳しい状況です。現在でも郡山の案件の方が比率的には大きく、月に2、3回は福島に帰って仕事をしています。4月からは遠賀郡で個人事務所を開こうと考えていますが、運営に関する不安はあります。
 ――「原発なくそう!九州玄海訴訟」の弁護団に参加されていますが、その経緯を教えてください。
 斎藤 私は3.11以前から福島で脱原発に関する活動をして参りました。だからこそ、メルトダウンの危険性を察知して3月15日という早いタイミングで避難に踏み切ることができました。実際に福島原発で事故が起こってしまったいま、やはり原発は絶対に止めなければならないと強く思いましたし、そういうなかで「原発なくそう!九州玄海訴訟」を知り、参加することに決めました。
(つづく)
【清水 秀生】
| (後) ≫
<INFORMATION>
saitousi_p.jpg■清和法律事務所 斎藤利幸弁護士
所在地:〒803-0816 北九州市小倉北区金田1-8-5 北九州法曹ビル1階
TEL: 093-562-8300
FAX: 093-562-5555
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投稿者 jeru769baute7512koituj8na0l8n7 時刻: 20:00 0 コメント
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福島から福岡へ。原発再稼働問題とたたかう〜斎藤利幸弁護士インタビュー(後)
NET-IB NEWSネットアイビーニュース

福島から福岡へ。原発再稼働問題とたたかう〜斎藤利幸弁護士インタビュー(後)
脱原発・新エネルギー
2012年2月14日 16:00
http://www.data-max.co.jp/2012/02/14/post_16433_dm1739_1.html


 福島で被災後、福岡に移住し「原発なくそう!九州玄海訴訟」の弁護団に参加している弁護士がいる。北九州の清和法律事務所に籍を置く斎藤利幸弁護士がその人だ。最悪の原発事故により愛する故郷を追われ、新天地にやってきた同氏。3.11からこれまで、そして今後について話を聞いた。
 ――脱原発の声が国民からあがる一方で、電力会社のみならず政府も原発再稼動に向けて動き出しているように見えます。
 斎藤 このままではまた事故を起こします。そうなれば、大げさでなく日本は終わりだと考えています。震災以降、地震も活発に発生していますし、即停止するしか道はありません。チェルノブイリ原発事故の5年後に、ソ連は崩壊しました。もちろん、その要因は政治状況などさまざまですが、あの事故がその一因であることは疑いようがありません。繰り返しますが、もう一度事故が起きたら日本は沈没です。住むことさえできなくなります。
 ――政府の被災地に対する復興支援が十分でないという声もあります。
 斎藤 野田総理は就任直後「福島の復興なくして日本の復興なし」とおっしゃっていましたが、実際には政府は福島を見捨てていると感じます。とても放射線量が高いにも関わらず、子どもたちがそのままになっています。県は県で、県民が避難してしまうと自治体として成り立たなくなるので、住んでもらわないと困るという発想です。つまり、住民の命よりも、自分たちの立場を考えているのです。全県避難となれば、実際には金がかかるから救えない。このような状況を考えれば、住民がすでに捨てられているということは明らかです。ただ、これを救える人たちがいます。それが、国民です。国民一人ひとりが立ち上がり、避難者を受け入れるなどの手助けをする。そういう協力を求めたいと思います。また、こうした活動をすることによって国が間違っていることや、国からの救済が期待できないことが明らかになるとはずです。国民全員が問題を認識するために、国民運動を先行させなければなりません。また、いずれは国が救ってくれるとか、東電がこのまま何もしないなんてことはないだろうとか、いまだに思っている人が多いのです。そういう幻想は捨てて自分たちでやっていく時期がきています。日本の国民は誠実だと言われていますが、その誠実さが食い物にされているのです。
 ――ところで、今後は弁護士として福岡を拠点に活動されていくわけですが、これまではどのような案件を扱ってこられましたか。
 斎藤 いちばん比率が高いのは交通事故で、5割以上はこれになります。交通事故では、事故当時は加害者の立場だったのに、事故後、一方的に被害者側から責められて、被害者になってしまうケースが少なくありません。最初は偶然請負ったのですが、次第に多く依頼されるようになっていきました。しかし、交通事故のみに限らずどんな案件でも受け付けています。離婚問題など、身近な問題でも気軽に相談していただければと思います。
 ――最後に3.11でいちばん変わったこと。それから、今後についてお聞かせください。
 斎藤 震災前、福島にいたときは、あまり地域住民のかたと交流する時間が持てませんでした。しかし、福岡に来てからは親切で素敵な人々に助けられ、そういう触れ合いの大切さを再認識しました。実際、遠賀郡を選んだのも、そういう暖かさに触れたのが大きな理由になっています。それから、福島など東北から避難して来ている人は多いと思いますが、なかなか出会う場がありません。このようなネットワークは是非構築したいと思いますし、同郷というのは良いものです。ぜひ、メールでも結構ですから、お気軽にご連絡いただければと思います。助け合って生きていきましょう。