「北の山・じろう」時事問題などの日記

 ☆今は、無きブログのタイトル☆ 『取り残された福島県民が伝えたいこと』 管理者名 「取り残された福島県民」 当時のURL>http://ameblo.jp/j-wave024/

MLB2024>50本以上HRを打った選手とルール変更など

歴代50HR以上の打者の所属球団

https://times.abema.tv/articles/-/10096605


アーロン・ジャッジ NYヤンキース
クリス・デービス オリオールズ
ホセ・バティスタ ブルージェイズ
アレックス・ロドリゲス NYヤンキース1レンジャーズ2 
デビッド・オルティーズ レッドソックス
ケン・グリフィー・ジュニア マリナーズ
アルバート・ベル インディアンス
セシル・フィルダー タイガース
ロジャー・マリス NYヤンキース
ミッキー・マントル NYヤンキース
ハンク・グリーンバーグ タイガース
1932ジミー・フォックス アスレチックス
1920~ベーブ・ルース NYヤンキース4回
1920年ベースボール革命)

1920-60年間154試合
その後、ばらつきがあり年により異なる
1962-71年間162試合
1973-80年間162試合
1996~年間162試合
https://sposuru.com/contents/sports-quest/baseball-mlb-number-of-games/

1931年に本塁打のルールについて数々の変更
https://www.nikkei.com/article/DGXZZO37559460V21C11A2000000/
1930年ボールの質が変わりホームラン数が減る。
ポールを巻くホームランが認められた。
サヨナラホームランも認められる。それ以前は単打。
野球歴史研究家のビル・ジェンキンス
『ポール際の打球の判定に関して現行ルールが適用された場合は、75本ほど本塁打になっていただろうと、野球歴史研究家のビル・ジェンキンス氏が推定している。』
⇒計算上はボンズを上回る

 

 

ベーブ・ルース - Wikipedia

1921年当時は現在とは多少本塁打に関するルールが異なっていたため、もし現行のルールでルースがシーズンを送っていたら、彼はこの年に104本の本塁打を記録していただろうという研究もある。ビル・ジェンキンソンが2006年に執筆した本 “The Year Babe Ruth Hit 104 Home Runs”(和題:ベーブ・ルースが104本塁打を打った年)によれば、1931年までアメリカンリーグではファウルポールに直撃した打球はエンタイトル二塁打扱いであった。また、フェアゾーンでフェンスを越え、ファウルポールを巻いてファウルゾーンに落ちた打球は、現在では当然のごとく本塁打扱いになるが、当時はファウルであった。これらのデータを全て集計すると、ジェンキンソンによれば、ルースは104本塁打を記録していたことになる。』

<この記述に関して>

同じ著者が、述べていること。

https://www.nikkei.com/article/DGXZZO37559460V21C11A2000000/

サヨナラ本塁打については1例のみ。スピーカー当たってグラウンドに打球が戻ってきたケースは、少なくとも1930年に2度あるとされる。それらの数字は決して多くないものの、ポール際の打球の判定に関して現行ルールが適用された場合は、75本ほど本塁打になっていただろうと、野球歴史研究家のビル・ジェンキンス氏が推定している。』

ベーブ・ルースの通算本塁打は714本なので、あと78本増えていれば792本となり、バリー・ボンズの762本より多かったはずだ、というわけだ。

ワンバウンド本塁打が多ければ、マイナス分も考慮しなければならないが、それを22本程度と見積もる説と、全くなかったという説があり、正確には分かっていない。たとえ、上記の数字から22本を差し引いたとしても、計算上はボンズより多くなる。』

 

この部分をWikipediaの記述者は間違えて書いている可能性がある。

野球歴史研究家のビル・ジェンキンス氏の著書で確認しないと不明。