「北の山・じろう」時事問題などの日記

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社説:終戦記念日に考える 体験をどう語り継ぐか<毎日新聞

毎日新聞
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社説:終戦記念日に考える 体験をどう語り継ぐか
毎日新聞 2012年08月15日 02時30分
http://mainichi.jp/opinion/news/20120815k0000m070099000c.html
(全文引用)

(1)

 67年前に終戦を迎えたこの日、まずは、手元にある戦争体験記録集を紹介する。新潟県十日町市の婦人学 級グループ「ゆずり葉」がこの夏にまとめた「戦争の記録 語り継ぐあの日あの時」という冊子である。戦中の食糧難から空襲、引き揚げ、抑留、戦闘体験ま で、人々と戦争との関わりが346ページの大部にあますところなくつづられている。

 例えば、終戦の日をどう受けとめたのか。大津直枝さんの場合はこうだ。正午からの玉音放送を聞くため分校に約30人の住民が集まり、村で1台しかないラジオを囲んだ。
 ◇等身大の戦争伝える

 先生の「天皇陛下のお言葉だから皆緊張して聞くように」との指導の下、耳をすませるのだが、ガーガー雑 音ばかりで内容がつかめない。隣のおばあさんに「何を言われたんだべか」と問われ、返答に困った大津さんが「国民も我慢して戦争のため頑張ってほしい、 だって」と答えた。先生も含め30人の中で大津さんの説に異を唱えるものはなかった。

 さすがに夕刻になると、終戦という事実が伝わってきた。「今夜から電気に毛布をかぶせることも窓にむしろを下げることもいらんし、よかったでねえか」「それにしても今夜必勝祈願の盆踊りが学校であるが、それをやめなきゃ……」といった人々の会話も細かく再現している。

(2)

 佐藤末子さんはこの玉音放送を、朝鮮半島の小さな村で聞いた。数日前のソ連参戦の一報を受け、軍人軍属 の家族の一員として中国大陸から日本に向け避難する途中のことだった。ここでも放送は聞き取りにくかったが、軍人が「日本は負けました。無条件降伏であり ます」と解説したのを機に皆が大声で泣き伏した。

 帰国するまでの1年間の逃避行は、地獄のような日々の連続だった。飢えと病気で毎日のように人が死んで いく。佐藤さんも2人の子供を失った。山の墓地に土まんじゅうを作って泣きながら埋葬し「帰国したら必ずお墓を建ててあげるからね」と誓い、戦後60年 たってようやく約束を果たすことができた、という。

 一地方の人々の体験談ではあるが、あの戦争が国民すべてに対しどれだけの犠牲を強い運命を狂わせたのか。人々がどうたくましく生き抜いたのか。一つ一つの記録が戦争というものを等身大に伝えてくる。

 残念なことに、「ゆずり葉」の活動はこの冊子発行が最後になる。25年間地道に記録を拾ってきたものの、語るべき人が鬼籍に入り、事務局自体も高齢化したため、という。

 やむをえないことである。これまでのご苦労に敬意を表したい。と同時に、私たちは、戦争体験の風化とい う新しい敵と対峙(たいじ)する覚悟を固めなくてはならない。戦争を知らない世代が率先して、記録を集め、かつ保管し、孫子に語り継いでいく役回りを果た したいものである。

(3)

 さて、過去を振り返るだけではなく、今に目を転じなければならない。幸運にも戦後の日本は一度も戦争を経験することなくアジア一の経済立国として生きることができた。憲法9条日米安保体制の組み合わせがそれを可能にした、といえる。

 だが、ここにきて日本の安全保障環境に変化が起きている。まずは、中国の台頭である。経済は国内総生産 (GDP)ベースで日本を抜き去り、資源、領土をめぐる海洋進出は東アジア地域での軍事的緊張を従来になく高めている。一方で、唯一の超大国であった米国 は戦争疲れと経済不振により相対的にパワーを低下させている。日本の平和戦略の源だった潤沢な対外援助資金も財政赤字と低成長から縮小気味である。
 ◇安保論戦の活性化必要

 これに加え、北方領土竹島尖閣諸島、という領土をめぐる三つの難題が一気に顕在化した。いずれも歴 史的、国際法的には日本固有の領土であるというものの、前二つに対しては、それぞれ実効支配しているロシア、韓国の大統領が上陸を断行、政治的攻勢をかけ てきた。日本が実効支配する尖閣も中国との間で「係争化」の様相を深めている。

(4)

 困難な課題である。まずは、この間の政治空白を反省しなければならない。地政学的な力関係が変化するき わめて重要な時期に、日本は1年交代の首相を6年間も続けてきた。政権の対外的信任、政策の継続性の面でとてもまともな外交ができるような状態ではなく、 そこにつけ込まれた公算が大きい。安定的な政権を作り、日米安保体制を基軸にした当面の対応策を早急に練り直さなければならない。中長期的には、安保環境 の変化に応じた総合的外交・安保政策の構築が必要になろう。政党間の論戦の活性化を望みたい。

 ここで、戦争体験の風化防止というテーマに戻りたい。あの戦争が私たち国民を存亡の機に陥れたことは、 戦争体験記録で見てきたとおりだ。他方で、アジア諸国に多大な損害と苦痛を与えた歴史も風化させてはならない。私たちが忘れても相手は語り継いでいくだろ う。領土をめぐる緊張関係の底流には、その歴史認識問題が大きく横たわっている。自虐史観ではない、バランスある成熟した議論を作り上げたい。

 戦争体験を愚直に語り継ぐこと。私たちにも可能な平和作りである。