「北の山・じろう」時事問題などの日記

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証言/気仙沼市、ツイッターで避難誘導/危険顧みず、刻々と発信<証言/焦点 3.11 大震災「河北新報・連載記事」

証言/焦点 3.11 大震災「河北新報・連載記事」から全文転載
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/index.htm
※記事数が多いため、一部転載し、ほかは記事タイトルとURLの掲載です。

河北新報
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証言/気仙沼市、ツイッターで避難誘導/危険顧みず、刻々と発信
2011年09月28日水曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110928_01.htm
▼全文転載


気仙沼市役所前の道路に流れ込んだ津波。この模様をツイッターは実況中継した=3月11日午後3時40分ごろ(気仙沼市提供)
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110928012jd.jpg
震災発生直後からツイッターで被災状況を投稿し続けた伊東さん=気仙沼市役所
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110928013jd.jpg

 東日本大震災気仙沼市は、短文投稿サイト「ツイッター」で住民に避難を呼び掛けた。あの日、市の担当者が命の危険を感じながら発信し続けたツイッター による「つぶやき」は60回以上。どれほどの市民が読み、避難したかは確認できないが、被害状況を全国に発信する重要な役割を果たした。(神田一道)

<指示>
 3月11日、市役所は朝から市議会の対応に追われていた。本庁舎3階会議室では新年度の予算案を審議する特別委員会が開かれ、市議と職員が質疑応答を交わしていた。
 午後2時46分、激しい横揺れが会議室を襲った。「机の下に入って」。危機管理課課長の佐藤健一さん(58)が叫んだ。揺れが収まると、隣の庁舎にある危機管理課に駆け込んだ。
 停電でテレビが映らない。固定電話も使えない。ツイッターは何とか送信できることが確認できた。間もなく、沿岸部に大津波警報が発令される。「ツイッターで住民に避難を呼び掛けろ」。佐藤さんは近くにいた同課主幹の伊東秋広さん(41)に指示した。

<襲来>
 「宮城県沿岸に大津波警報 高台に避難」(午後2時55分)
 防災行政無線からは、津波の襲来を告げる情報が次々と流れてくる。伊東さんは無線を聞きながらノートパソコンのキーをたたいた。
 「大津波警報 予想される津波高6メートル すぐに高台へ避難」(午後3時4分)
 「津波が到達しています すぐに高台へ避難」(午後3時31分)
 津波は八日町にある庁舎1階に達した。危機管理課は2階だ。伊東さんは自身の安全とともにパソコンがぬれることも心配し、急いで4階の駐車場に駆け上がった。
 「津波は八日町まで来ています すぐに避難」(午後3時38分)
 「大津波すぐに避難 第2波のほうが大きいという情報」(午後4時23分)

<火災>
 海岸部に目を向けると、鹿折地区が災に包まれていた。ガスボンベが爆発する音も響いた。
 「市内各地に火災発生中 海岸に近づかないようにすぐに避難」(午後7時19分)
 「仲町宮脇書店から魚市場前まで火災延焼中 避難所から戻らないように」(午後8時11分)
 危機的な状況を、伊東さんは簡潔な描写で伝え続けた。パソコンの通信がつながりにくくなった後は、携帯電話から発信した。しかし通信状況は次第に悪化する。
 「また津波が来ています。避難所から出ないでください」
 午後10時37分。送信して間もなく、携帯電話は「圏外」を示した。この日、伊東さんが発信したツイート(つぶやき)は62本に上った。
 市は2010年7月、災害時の住民の避難誘導などに活用するため、ツイッターによる情報発信を始めた。伊東さんはその発案者だった。

◎複数ツール「備え必要」/市民への効果不透明

 気仙沼市の通信回線が回復したのは3月14日夕。ツイート(つぶやき)をサイトに投稿した市危機管理課主幹の伊東秋広さん(41)の目は、ホームページに表示されたフォロワー(読者)の数にくぎ付けになった。約2万5000人―。
 東日本大震災前は700人程度で、市民の関心は低かった。それが35倍に膨れ上がっている。「これまでとは桁が違う。とにかくびっくりした」と伊東さんは振り返る。
 発生当日の3月11日、テレビ局は全国ネットで伊東さんがつづったツイートを紹介。翌12日には新聞各紙も引用し、火の海と化した気仙沼の状況を詳しく伝えた。
 震災直後、気仙沼の市街地は浸水し、報道関係者は近づけなかった。多くのマスコミが、伊東さんの臨場感あふれるツイートを貴重な情報源として活用することで、被災状況は全国に伝わった。
 伊東さんは「気仙沼の状況をいち早く発信する『広報』の役割を果たせた」と強調する。
 ツイッターで支援の輪も広がった。
 震災直後、深刻な食料不足に陥り、伊東さんは救援物資を求めるツイートを投稿した。すると30分後には、食料を送ることを伝える電話が同課にかかってきた。多くは秋田や山形など県外の団体からだった。
 情報発信と支援拡大の効果を生んだツイッター。一方、本来の避難誘導の役割は果たしたのか。市危機管理課の職員たちは「ツイッターを見てどれだけの人が避難したのかは分からない」「多くは防災無線を聞いて避難したのでは」と効果をつかみかねている。
 ネットメディアに詳しい青森中央学院大専任講師の佐藤淳さん(43)=行政学=は「ツイッターを見て、全ての市民が避難することはあり得ない」と情報ツールとしての限界を認める。
 その上で「一部の人でも見ていれば、周りの人に情報を伝えることができる。大事なのは、防災行政無線だけではなく、ツイッターや(インターネットの交流サイト)フェイスブックなど多元的なツールを備えておくことだ」と指摘する。
 市危機管理課のフォロワーは増え続けており、現在、約3万2000人になった。
 「川崎市の殺陣(たて)道場の方が市内の避難所で子どもたちとチャンバラをしてくれました」
 「俳優の要潤さんが避難所を訪れ応援をいただきました」
 気仙沼市のツイートは最近、復興に向けた明るいニュースが続いている。

証言/焦点 3.11 大震災{河北新報・連載記事}
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