「北の山・じろう」時事問題などの日記

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重ねる被爆絵図 フクシマ ヒロシマ<東京新聞 TOKYO WEB>

東京新聞 TOKYO WEB
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重ねる被爆絵図 フクシマ ヒロシマ
2013年2月17日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013021702000111.html
◎全文転載

 昨年暮れに亡くなった漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんと中学校の同級生で、壮絶な被爆体験を大型キャンバスに描き続けている老画家が、 絵筆を握る思いを新たにしている。原爆後と原発事故後。ヒロシマの体験と重なる今のフクシマの現状に危機感を募らせ、目に見えぬ放射線の恐怖を伝える新作 に挑んでいる。 (戸上航一、写真も)

 相模原市中央区の油彩画家今口賢一さん(73)。住宅街にある自宅アトリエで、身長より高さのある100号キャンバスに鬼気迫る形相で立ち向かっている。

 描いているのは被爆から一年後の光景。原爆症で全身に紫色の斑点が現れ、歯茎からの出血が続いて衰弱しきった今口さんに、ドクダミの葉を煎じて飲ませ介抱してくれた母親の姿だ。

 「時を経て表れる影響が怖い。放射線への不安とストレスにさらされている被災者は、原爆症の発症におびえる被爆者と同じだ」

 今口さんは六歳の時、爆心地から約二・二キロの国民学校で朝礼中に被爆。崩れた半鐘塔の下敷きになり意識を失った。頭や足に傷を負ったが奇跡的に一命を取り留めた。

 中沢さんとは広島市立江波中学一年の時に机を並べた。訃報を受けて今口さんが書いた追悼文によると、中沢さんは被爆で頭部にひどいやけどを負っていて、「大勢の心ない同期生からピカドン・ハゲと言われていた」という。

 絵が得意だった今口さんは武蔵野美術大学と民間美術研究所で技術を磨いたが、中沢さんの活躍を知っていても、自らの体験については長い間、「思い出すと気がめいる」として、語ることも描くこともしなかった。

 転機が訪れたのは四十四歳、愛する母を亡くした時。母や犠牲者を供養するための被爆絵図を描こうと決意。中沢さんが原爆漫画を描き始めたきっかけも母親の死だった。

 被爆直後に阿鼻(あび)叫喚の街をさまよう親子。火の見やぐらから逆さづりになり裸で絶命した少年消防士。何度も広島を訪れては悲惨な記憶をたぐり寄せ、二十一点を完成させた。

 そうした中で起きた原発事故。被爆の記憶が脳裏をよぎった。

 「フクシマの胎児や子どもたちは大丈夫だろうか」。憂える気持ちに追われるように、事故から一カ月ほどして二十二点目の制作を始めたが、納得できる絵は完成していない。

 「中沢君だったら、国や東電へばかたれめが!と怒りをぶつけるような表現をしたはず。私も思いきった描き方をしなくては」と思いを新たにする。

 三月には事故後初めて福島県を訪れる予定で、「フクシマの力を借りて、被爆体験者にしか描けないヒロシマの絵を仕上げたい」。使命感は揺るがない。

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