「北の山・じろう」時事問題などの日記

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シリアで銃撃死 綿菓子みたいな人だった山本美香さん<日刊ゲンダイ

日刊ゲンダイ
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シリアで銃撃死 綿菓子みたいな人だった山本美香さん
2012年8月22日
http://gendai.net/articles/view/syakai/138334
(全文引用)

「結婚の形式にとらわれないパートナーが重要」

 内戦が泥沼化するシリアで20日、戦闘に巻き込まれて亡くなった独立系通信社「ジャパンプレス」の山本美香さん(45)。ジャーナリストとしての実力はもちろん、その人柄で周囲から慕われる存在だった。
「常に最前線に立ち、的確な位置にいようと努力していた」
 03年のイラク戦争や06年のレバノン紛争などの取材現場で一緒だったフォトグラファーの嘉納愛夏さんは、時事通信の取材にこう語り、早すぎる死を悼んだ。
「きれいな方だった。女性用がないため、いつもダブダブのカメラマンベストを着ているのが印象的だった」
 多くの時間を海外紛争地帯での取材活動に費やしてきたが、国内にいる時は、マスコミ関係者中心の“女子会”にも参加していた。
「小柄で華奢(きゃしゃ)な体つき。言われなければ、とても戦場ジャーナリストには見えなかった。いつも穏やかで優しく、場を和ませてくれる。ホンワカし た綿菓子みたいな人でした。でも、心の内には熱い思いを秘めていて、芯の強さを感じさせる。本当に、凛とした人でした」(記者仲間の女性)
 山梨県出身で、地元の都留文科大文学部を卒業。90年にCS放送の朝日ニュースターに入社し、ビデオジャーナリストとして活躍した。91年に長崎・雲仙普賢岳の噴火災害を取材したことがきっかけで、紛争報道の道に進んでいく。
「災害も紛争も、突然大切な人を失うことは同じ。ごく自然に紛争報道につながっていった」と生前に語っていた。
 95年に朝日ニュースターを退職し、アジアプレス・インターナショナルに所属。この時には人間関係で悩んだこともあったというが、志を貫いた。96年に ジャパンプレスに移籍してアフガン入り。それが初の戦場取材だった。その後は、内縁の夫でジャパンプレスの上司でもあるジャーナリストの佐藤和孝氏 (56)と常に同行し、二人三脚で戦場取材を続けた。佐藤氏は、今回のシリアでも一緒だった。
「形式よりも、心から信頼しあえるパートナーの存在が重要」と語っていた山本さん。現在は日本政府が遺体の引き渡し交渉中で、早ければ8月23日にも成田に戻ってくる。