「北の山・じろう」時事問題などの日記

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【社説】2012年10月11日 これからの原子力政策 民主・公開を求める<中日新聞>

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【社説】2012年10月11日 これからの原子力政策 民主・公開を求める
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▼全文引用

 原発推進の時代は終わり、原子力委は役目を終えた。原子力政策は、社会的合意と科学的検証に耐えねばならない。そのために民主・公開を強く求める。

 六法全書をひもといてみる。

 一九五五年十二月に制定された原子力基本法。第一条には「この法律は、原子力の研究、開発及び利用を推進することによって、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り…」とある。

利用以外は考えない

 これに基づき、翌五六年一月一日、総理府(現内閣府)の中に、原子力委員会が設置された。

 法の条文通り、原子力の開発と利用を進めるための組織であり、原発推進を妨げることになるような役柄は、はじめから想定していない。

 ただし、原子力の研究開発と利用について、「民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し…」(第二条)とうたっている。科学界の要請で盛り込まれた「民主・自主・公開」の三原則が、迷走・暴走に歯止めをかけるはずだった。

 言うまでもなく日本は、世界唯一の被爆国である。だが、被爆国、敗戦国だからこそ、成長と進歩、それをもたらす科学に対し、逆説的にあこがれも持っていた。

 その二年前には、アイゼンハワー米大統領が国連総会で、原子力の平和利用を提唱していた。

 日本はこの時、米国のエネルギー戦略下に組み入れられた。基本法も委員会も、いわばその受け皿だった。はじめから「自主」など存在しなかったのだ。

 原子力委発足時の委員には、経団連会長(昭和電工会長)の石川一郎、経済学者(東大教授)の有沢広巳、物理学者(学術会議・原子力問題委員会委員長)の藤岡由夫の三氏、そして、日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士も請われ、非常勤で名前を連ねた。

 しかし湯川博士は、自前の研究を積み上げず、安全性も十分確かめず、米国からの輸入に頼って商業炉の稼働を急ぐ拙速さに嫌気が差して、一年で辞任した。

 その後原子力開発の国産化が顕著になるにつれ、委員会を含め官、産、学等の“原子力ムラ”が形成された。

 現在、原子力委は、首相が任命する五人の委員で構成される。最大の仕事は、五年に一度、向こう約十年間の原子力政策のあり方を示す「大綱」を作る ことである。法律的にも歴史的にも、利用推進のための道筋を示す場所となってきた。アクセルはあるがブレーキがないクルマのように。

不信と不安の温床に

 だとすれば、原子力利用のブレーキになるような大綱は作れない。国として曲がりなりにも原発ゼロをうたった以上、原子力委は、もう役目を終えたのだ。

 本家米国の原子力委員会は七五年に廃止され、開発部門はエネルギー省に吸収されている。

 今後、原子力政策の根幹は、関係閣僚らでつくる政府のエネルギー・環境会議が担うという。

 ところが、3・11以降も絶えない不祥事、不手際に国民は驚き、不信を抱いている。

 福島原発事故のあと、原子力委の近藤駿介委員長は「ゼロからの出発で新大綱を議論する」と訴えていた。ところが、その近藤氏自身が新大綱の見直し作業の中で、策定会議の委員のうち、電力関係者ら原発推進側だけを集めた秘密会に出たことが発覚した。

 経済産業省や電力関係者だけに事前に会議の議案を示し、大飯原発3、4号機再稼働の妨げになるような議案を外す「議案隠し」も明るみに出た。

 基本法がうたう民主・公開の精神はみじんもなく、推進派だけで政策をコントロールできるという仕組みが見て取れる。

 エネ環会議への不信も深まっている。「原発ゼロ」の看板だけは掲げたものの、実現への道筋や具体策はなお、あいまいである。それどころか、大間原発新設工事の再開を認めるなど、民意とも自らの政策とも、矛盾するようなことばかりが目立つ。政策自体が定まっていないのだ。

店じまいをするために

 地震国日本には使用済み核燃料の処分地は見つからず、それなら原発は減らしていくしかない。このような負の遺産を清算するには、国民や地域の全面的な協力、参加を得ることが欠かせない。

 3・11後の原子力政策は、利用推進ではなく、原発をどう減らしていくか、廃炉も含めて後始末をどうするかがやはり基本になるだろう。

 エネ環会議が担うにしろ、新組織をつくるにしろ、民主と公開の原則を徹底させた決め方が必要になる。原子力をどうするかは、結局国民が決めるのだ。



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