「北の山・じろう」時事問題などの日記

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記者の目:原発とメディア=日下部聡(東京社会部)<毎日新聞>

毎日新聞
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記者の目:原発とメディア=日下部聡(東京社会部)
毎日新聞 2012年11月30日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/news/20121130ddm004070019000c.html
▼全文引用

(1)

 ◇問われる原点「誰のために報道」

 連載「この国と原発 第4部 抜け出せない構図」で今年1月、「政官業学結ぶ原子力マネー」を特集した ところ、読者から「メディアが抜けている」との指摘を少なからずいただいた。2月に毎日新聞労働組合などの主催で開かれたシンポジウム「メディアは何を伝 えたか〜検証・原発事故報道」でも、河野太郎衆院議員がこう語った。

 「(東京電力福島第1原発)事故以前、マスコミは完全に原子力ムラのスポークスマンだったと思う。(中略)電力会社からの広告宣伝費は汚れている金だという認識はあったと思う。その汚れたお金にみんな手を伸ばした」

 実際はどうだったのか。当事者として事実とデータに基づいて検証し、読者の疑問に答えなければならない のではないか。そう考えて、毎日新聞を中心に事故前までのメディアと原発の関係を検証した同連載第7部「メディアの葛藤」(10月22日〜11月4日、毎 日jpにアーカイブを収録)を同僚と担当した。

 内部にいるからといって、記者は全てを知っているわけではない。通常の取材と同じように関係者から話を 聞き、資料を収集する作業を重ねた。メディアは原発関連の広告宣伝も請け負い、原子力に肯定的な報道もあったことが分かった。だが、「原子力ムラのスポー クスマン」でもなかった。現実は常に複雑で微妙なものだと思う。

 ◇同じ媒体でも賛否異なり

 毎日新聞では70年代、原発推進広告を初めて掲載しようとした時期に、原発に詳しい記者が上司から原発推進の特集記事の執筆を依頼されていた。民放はCMだけでなく、政府丸抱えの原発推進番組も流していた。

 しかし、その同じ媒体で、原発の危険性や原子力政策の問題点を指摘する記事や番組も発信されていた。

 記者や編集者は一糸乱れず会社に従って動いているわけではない。子細に見れば報道内容はモザイク模様だ。

 原発推進派とみなされてきた読売新聞にも、72年12月18日朝刊に「どうしても不安−−原発乱造」と いう10段の大きな記事が載っている。政府の原発増設政策に疑問を呈し「原子力発電所は、それ自体、放射能制御技術の巨大な実験室であり、そこでの失敗 は、地球的規模の汚染と、子々孫々まで取り返しのつかぬ悪影響を生む可能性をはらんでいる」と書かれている。

(2)

 問題は、こうした問題提起型の報道がいずれも散発的で、福島の大惨事を防ぐ力にならなかったことだ。連載で評論家の武田徹氏が指摘したように、メディアには「不作為の責任」があると思う。

 大きな要因の一つは、報道現場にいる者の無関心だったと考えている。私自身、福島の事故前は原発の実態 にほとんど関心を寄せてこなかった。「難しそうだ」と、敬遠していたといってもいい。反省しなければならない。一部の熱心な記者やディレクターが地道に追 い続けていた、というのが実情だった。

 09年の政府世論調査では8割が原発を容認していた。メディアもこうした空気と無縁ではなかったと思う。「『原発もの』は視聴率が取れなかった。他にニュースがあると外されやすかった」と複数の民放幹部が振り返った。

 90年代から原発の問題点を指摘する記事を書いてきた大島秀利・毎日新聞大阪本社編集委員は連載で「自己規制こそ最大の敵と自戒している」と語った。裏を返せば、報道する側は常にその誘惑にさらされているということだ。

 ◇無意識のうちに同一思考の危険

 原発報道に限ったことではない。他メディアが同調しない中で問題提起型の報道をするのは相応のエネルギーがいる。取材相手との関係悪化というリスクを背負うからだ。気を緩めれば、安易な道を選びたくなる。私のささやかな経験からもうなずける話だ。

 もう一つは、無意識のうちに取材先と同じ思考に染まってしまう可能性だ。

 連載で毎日新聞東京経済部の三沢耕平記者は、東電を担当した時期を振り返って「限られた相手との狭い取材環境の中で、原発は安全だと思い込んでいた。価値観の違う世界と、つながりを持つことが必要だと痛感した」と語った。本質的な指摘だと思う。

 メディアが奉仕しなければならないのは読者や視聴者だ。しかし、ともすれば目の前の相手との関係にばかり目が行き、読者・視聴者を置き去りにしてきた面はなかっただろうか。

 惨事を防げなかった原発報道は「誰のために報道しているのか」という原点を、私たちに鋭く問いかけている。

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