「北の山・じろう」時事問題などの日記

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原発事故関連死(15)遺骨せめて双葉に 母の無念悔しさ募る<福島民報「原発事故関連死」

福島民報「原発事故関連死」から全文転載

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原発事故関連死(15)遺骨せめて双葉に 母の無念悔しさ募る
2013/03/08 11:50
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/03/post_6485.html
▼全文転載


(写真)
双葉町の自宅に1人で暮らしていたころのハツミさん。庭いじりが好きだった=平成21年

http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/images/IP130308AY0000374000_0000_C.jpg

 平成23年11月3日。山本ハツミさんは、長男が住む埼玉県行田市内の総合病院で亡くなった。東京電力福島第一原発事故のため、入所していた双葉 町の特別養護老人ホームせんだんから県内を転々とし、東京都練馬区の娘の篠美恵子さん(65)方に避難した末の102歳の人生だった。その後、震災関連死 に認定された。
 美恵子さんは「長男のそばに来ることができたし、東京に避難してきた親類に囲まれて逝った。少しは救われた」と思っている。ただ、故郷で最期をみとりたかった-という悔しさは拭えない。
 「そもそも100年も双葉で暮らしてきた母が、なぜ埼玉で最期を迎えなければならなかったのか」と考えると原発事故が憎くてならない。「お金がない町だったから原発の交付金で潤ってきた。安全が前提だったが根本から崩れた。安全なんて誰が言ったのか」と憤る。
 ハツミさんが、せんだんに入所したのは大震災の5カ月前の平成22年10月。それまでは双葉町石熊の自宅に1人で暮らしていた。親族との同居話は「双葉がいい」と断った。
 義母の介護がある美恵子さんの代わりに、夫の常雄さん(65)が毎月のようにハツミさんの家を訪ねた。「どこかに連れて行けと言わんばかりにリュック サックを玄関先に準備していた」と懐かしむ。楢葉町の天神岬スポーツ公園を散歩したり、浪江町の請戸港でサヨリを買ってきて庭で干物にしたり。何より、庭 いじりを手伝うとハツミさんは喜んだ。
 警戒区域内にあるハツミさんの家周辺の空間放射線量は今でも毎時10マイクロシーベルト前後。菩提(ぼだい)寺の墓石は倒れたままで、納骨のめどさえ 立っていない。常雄さんは「お母さんは結局、生きていても双葉に帰れなかったし、死んでからも帰れない」とハツミさんの無念を代弁する。
 ハツミさんの遺骨は郡山市の寺院に預けたままになっている。美恵子さんは「早く双葉に帰してあげたい。せめて納骨できれば少しは落ち着くのに」とため息をつく。
 美恵子さんは変わってしまった古里など見たくないと思っていたが、20日の一時立ち入りに申し込んだ。「こんなことになるなら母が暮らした双葉をもっとよく見ておくんだった」。倒れた墓前に手を合わせ、雑草が茂っては枯れた庭に母の面影を探す。

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