「北の山・じろう」時事問題などの日記

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福島原発事故から2年 飯舘村・菅野村長に聞く {日本海新聞}

日本海新聞
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福島原発事故から2年 飯舘村・菅野村長に聞く
2013年03月15日
http://www.nnn.co.jp/news/130315/20130315005.html
▼全文転載


原発事故を機に日本は変わらないといけない」と訴える菅野村長=2月23日、福島市飯野町の飯舘村役場飯野出張所
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 東日本大震災による東京電力福島第1原発事故から2年。鳥取県でも中国電力島根原発松江市)の事故に備えた原子力防災体制が強化されつつある。事故から何を学び、どう備えるべきか。現在も全村民の避難生活が続く福島県飯舘村の菅野典雄村長に話を聞いた。

-この2年を振り返って思うことは。

 当初は2年で村に帰る「希望プラン」を掲げたが、除染が進まず完全に打ち砕かれた。避難生活による住民の負担は大きく、あらためて原発事故の恐ろしさを感じている。東京電力は人の力で負えないものを預かっている企業として、あまりに危機管理が甘かった。

 -国の対応は。

 不満は数限りなくあるが、愚痴を言っても解決しない。現実を受け入れ、場合によっては逆提案しながら進めてきた。これだけの有事なので平時の規則 や机上で物事を進めないようお願いしている。対応は随分良くなったが、省庁や人によっては腹の煮えくり返る思いをすることもある。

 -復興に向けた課題は。

 地震や津波だけなら「ゼロからのスタート」となるが、マイナスからゼロに向かって汚された土地で不安と闘わなければならない。

 放射線に対する捉え方が個人個人で違い、「村ごと移転せよ」という人もいれば「早く村に帰して」という人もいる。2世代、3世代同居の多い地域 だったが、世帯数は事故前の1700から3100に増えた。事故は家庭を壊し、地域を壊した。住民の心は結束せず「心の分断」の連続。これが原発事故の現 実だ。

 -避難で心掛けたことは。

 村民が極力ばらばらにならないよう1時間以内の所に避難先を用意した。避難が遅れ批判を浴びたが、放射能だけでなく、生活の変化によるリスクも慎 重に考えないといけなかった。畜産農家も多く、村を離れるのは簡単ではない。1時間以内の所なら、仕事を替える必要がないかもしれないし、村にも様子を見 に帰れると考えた。

 -震災前はどんな村づくりを。

 「日本で最も美しい村」連合に加盟し、「までい(両手=思いやり、包み込むなどの意味がある)ライフ」を実践してきた。大量生産・大量消費時代からの転換、相手を思いやることの大切さを唱え、循環型社会の構築や自主自立の村づくりに取り組んできた。

 いざ事故が起き、実践してきたことは国全体に問われていることだと感じている。日本は今が豊かになればいいと50年間、原発を造ってきた。もうそ ろそろどうすれば次の世代に迷惑を掛けないか考えないと。原発事故で天が気付かせようとしたのに、残念ながら「福島の問題」で片付けられようとしている。

 -鳥取県は一部が島根原発から30キロ圏。どう備えるべきか。

 飯舘村原発から40~50キロも離れているが、風向きが悪かったため高濃度の放射性物質が降った。村民は避難してくる人たちを手当てしているう ちに被ばくしてしまった。原発周辺地域は、事故を想定して避難ルートを確認し、自治体間で防災協定を結んでおいたほうがいいだろう。住民も行政任せにせ ず、自分たちで汗を流して日ごろからコミュニティーをしっかりつくっておくことが必要だ。

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