「北の山・じろう」時事問題などの日記

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証言/死闘、石巻赤十字病院/命のとりで 患者殺到<証言/焦点 3.11 大震災「河北新報」


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証言/焦点 3.11 大震災「河北新報・連載記事」から全文転載
※記事数が多いため、一部転載し、ほかは記事タイトルとURLの掲載です。

河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/
証言/死闘、石巻赤十字病院/命のとりで 患者殺到
2011年06月16日木曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110616_01.htm
▼全文転載


被災地から運び込まれた患者らでごった返すロビー=3月16日、石巻市蛇田の石巻赤十字病院

http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110616008jd.jpg

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避難所で被災者の体調を気遣う救護チームの看護師=石巻市吉野町の湊小
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110616009jd.jpg

 東日本大震災で津波被害を免れた石巻赤十字病院(石巻市蛇田)が発生当初、ほとんどの医療機関が診療不能に陥った石巻地域の医療を支えた。患者らが続々 と詰めかける混乱の中、スタッフは数々の死と向き合った。不足する水と食料、広がる感染症。地域医療の最後のとりでとなった病院で、スタッフは全国から集 まった応援部隊とともに、衛生状態が悪化した避難所の環境改善にも駆け回った。(肘井大祐)

◎「映画で見た戦場の救護所みたいだった」

<予感>
 「市街地はほとんど水に漬かった。救急車は流されて2台しかない」
 3月11日夜。石巻赤十字病院に、けが人を搬送した地元の救急隊から報告が入った。看護師萩原浩子さん(46)は「石巻で救出された人を搬送できる病院はここしかない。かなりの人が運ばれてくる」と直感した。
 予感は的中した。自衛隊などの救出が本格的に始まった12日昼ごろから、ヘリコプターや特殊車両が数分おきに市内外の被災者を運び込んだ。
 搬送された人の多くはずぶぬれでふるえ、話もできない状態だった。「恐怖からか、ほとんどの人がぼうぜんとしていた」と萩原さん。
 病院は正面玄関の外側に、治療の優先度を判断するトリアージのスペースと軽傷者を治療する大型テントを設けた。萩原さんは他の医師や看護師ら10人とトリアージに当たった。
 玄関付近には絶え間なく運ばれてくる患者、津波で失った薬をもらいに来る人、親族らの安否確認に来る人たちが殺到した。トリアージの最中にも「どうやって帰ればいいのか」「薬をもらうのにいつまで待たせるんだ」などと次々聞かれ、応対に追われた。
 途絶えることのない人波の中で、既に亡くなった孫を毛布にくるんで抱き、走って病院に駆けつけたお年寄りの姿が萩原さんの目に留まった。「これは現実なのか」。自らに問うた。

<騒然>
 院内も、騒然としていた。通常は待合室となる1階ロビーで、中等症の患者の処置が行われた。
 「映画で見た戦場の救護所みたいだった」。1日で700人が搬送された14日、透析治療のため病院を訪れた安田まゆみさん(47)は、当時の院内の様子をこう話す。
  ロビーは担架やストレッチャーが忙しく行き来していた。患者らでごった返し、スタッフは汗だくで走り回っていた。2階の廊下も、病院に避難した人が横にな るなどして、埋まっていた。ロビーに運ばれた患者は、けがや低体温症で歩けない。病院が用意した80台の災害用ベッドでは足りず、入院患者用のマットや外 来診察で使うベッドなどに患者が寝ていた。

<無念>
 「何かを考えるゆとりは全くなかった」。中等症患者の治療を担当した看護師城戸口和美さん(47)は、津波にのまれた人の着替えや応急処置の介助に追われた。
 急に高熱を出すお年寄りもいた。付き添う家族はなく、身元も分からないまま、院内で息を引き取った人は少なくない。
 城戸口さんが言う。「何とかしてあげたかった。でも、何もしてあげられなかった。むなしかった。悔しかった」
 本震後1週間で石巻赤十字病院で治療を受けた患者は計4186人。このうち79人の死亡を病院で確認した。

◎避難所が危機増幅/環境改善、医師ら奔走

 石巻赤十字病院で受け入れた急患は本震から1週間がたった後も連日、300人前後に上った。震災前の1日平均(約60人)の5倍に達する。原因は、避難所の環境と食料、物資の不足だった。
 当初、約200人が避難した石巻市渡波町の渡波公民館では本震から1週間、高熱を出す避難者が相次いだ。沢水を沸かして飲み、周りでくんだ井戸水を手洗いに使っていた。マスクや消毒薬はない。
 避難者が体調を崩すたびに、約200メートル離れた消防署に職員が走って救急車を呼び、赤十字病院に搬送した。
 副館長大壁裕さん(57)は「当時は食料や飲み水の確保に必死で、十分な衛生管理をする余裕がなかった。避難所ではとても、病人に対応できなかった」と証言する。
 病院に搬送される患者の多くは、肺炎や胃腸炎などの感染症や脱水症状だった。
 「避難した人たちの生活環境が悪い。患者が減らない理由はそれ以外に考えられない」
 病院の災害対策本部ゼネラルマネジャーを務める医師石井正さん(48)はこう分析した。避難所の状況を知る手掛かりは市役所に張られた避難所と避難者数の一覧表だけ。石井さんは、避難所の環境や感染症発生の有無を調べることを決めた。
 巡回は主に、全国から派遣された医療チームが手掛けた。派遣元の医師会や大学など関係機関と連携し、石巻圏合同救護チームを組織。医師や看護師ら5、6人からなる20前後のチームで手分けして、3月17日から3日間で約300あった全ての避難所を調査した。
 救護チームを統括した長岡赤十字病院(新潟県長岡市)の集中治療部長江部克也さん(54)は「食料などの物資が全く足りない。避難者が次々と命を落としかねない」と危惧した。
 報告では、避難者に1日1個のおにぎりしか出せない避難所があった。衛生管理が行き届かず、感染症がまん延した可能性も高かった。
 「給水車の水はもったいなくて手洗いに使えない」「消毒用のアルコールはすぐになくなって使えない」。巡回に加わった石巻赤十字病院の看護師西條美恵さん(33)は訪問先の避難者からこんな声を聞いた。
 プールの水で手を洗ったり、着替えがなく泥だらけの服で寝たりしている人もいた。ほとんどの避難所で消毒薬がなく、感染症の患者を隔離するスペースも設けられていなかった。
 「行政の支援を待ってはいられない」。避難所に必要な物資を行き届かせ、生活環境を改善することがチームの当面の任務になった。現地での診療に加え、石井さんを中心に県や市、業者などと折衝に当たった。チームは赤十字病院が買った衛生用品や支援物資を避難所に配った。
 チームの働き掛けで、簡易水道や間仕切りなどが設置された避難所もある。渡波公民館には、マスクや消毒薬などが届くようになり、病院に搬送される避難者はほとんどいなくなった。
 本震から27日目の4月6日、石巻赤十字病院に搬送される急患は初めて100人を下回った。本震から60日目の5月9日に通常診療を再開。救護チームは今も、石巻市や東松島市の避難所や住宅など約100カ所を回って、被災者の健康管理に当たっている。

◎物資途絶、底を突く食料

 本震発生から1週間ほどがたち、搬送される患者が減り始める一方で、石巻赤十字病院には別の危機が迫っていた。
 院内で備蓄する食料が底を突きかけていた。
 災害用に備蓄していた入院患者400人分の食料は13日までの3日分。14日以降、支援物資として届いたコメや缶詰などの食料は、入院患者や院内にとどまった患者に優先して提供した。
 透析治療に通院していた安田まゆみさん(47)によると、患者以外の避難住民が院内の廊下を埋める状態は震災後約1週間続いていた。水や食料は、そうした避難者の分まではなかった。
 病院食の献立作りを担当する管理栄養士佐伯千春さん(43)は、廊下に横たわっていたお年寄りから「水をください」と何度も請われた。「ごめんね」としか言えず、その場を後にすることの繰り返し。涙がこぼれた。
 病院に届く大口の物資は17日を境に、ぱたりと途絶えた。
 18日、入院患者に提供したメニューはこうだ。
 朝食=レトルト赤飯、ゆで卵。昼食=おにぎり、スパムソテー。夕食=焼きそば。
 入院患者の間から不満の声が上がり、院長ら病院幹部が事情を説明して回った。病院に泊まり込んだスタッフ約1000人には1食1個のおにぎりしか配れなかった。おにぎりは徐々に小さくなり、スタッフからは「ピンポン球みたいだ」との声が漏れた。
 佐伯さんのノートには「厳しい あと2日分」(17日)「院内=食材 非常に厳しい」(18日)と記されている。「どこにお願いしても、食料は届かない。途方に暮れた」と佐伯さん。自宅にあったわずかなコメや野菜を提供した職員もいた。
 報道機関を通して食料の提供を呼び掛け、地元の農家や業者から大量の野菜や果物、缶詰などが届いたのは、19日。翌日、患者向けの昼食に3日ぶりの副菜となるトマトサラダが提供された。

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