「北の山・じろう」時事問題などの日記

 ☆今は、無きブログのタイトル☆ 『取り残された福島県民が伝えたいこと』 管理者名 「取り残された福島県民」 当時のURL>http://ameblo.jp/j-wave024/

焦点/津波被災18年 北海道・奥尻島ルポ/早期復興、情報共有が鍵<証言/焦点 3.11 河北新報・連載記事」

証言/焦点 3.11 大震災「河北新報・連載記事」から全文転載
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/index.htm
※記事数が多いため、一部転載し、ほかは記事タイトルとURLの掲載です。

河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/
焦点/津波被災18年 北海道・奥尻島ルポ/早期復興、情報共有が鍵
2011年09月20日火曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110920_02.htm
▼全文転載


北海道奥尻町青苗地区の高台に造成された「望洋台」団地。奥の灯台は地震時に折れたが、付近の住民が逃げる際の目印になった
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110920014jd.jpg
地図略図
http://www.kahoku.co.jp/img/news/201109/20110920_syouten1.jpg
約27億円をかけて青苗漁港に建設された人工地盤「望海橋」=北海道奥尻町青苗
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110920015jd.jpg
夜明け前のまだ暗い中、帰港した漁船からイカが続々と陸揚げされる=8月下旬、北海道奥尻町青苗の青苗漁港
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110920016jd.jpg

 北海道南西沖地震の津波で大きな被害を受けた北海道の奥尻島は、集落の高台移転や漁業の再生など東日本大震災の被災地にも通じる課題に直面し、乗り越え てきた。地震から18年。かつて「完全復興」を宣言した島は現在、人口流出や高齢化が進み、漁業を柱に生きる地域の活性化に頭を悩ませる。復興を遂げなが らも厳しい現実に直面する島を取材した。(東野滋)

◎特需後、産業振興後手 過疎化やまず

 奥尻島南部の奥尻町青苗地区にある海抜約20メートルの高台。70坪(約230平方メートル)ずつ28区画に区切られた敷地に、住宅が整然と並ぶ。地震後、集団移転先として造成された団地「望洋台」だ。
 青苗は津波と火災で全体の約7割に当たる342戸が全半壊し、島で最大の被害を出した。奥尻町は高台に四つの団地を整備し、青苗の住民を中心に約120世帯が移り住んだ。
 海から約100メートルの距離にある望洋台は、青苗漁港にも近い。元漁師の無職増田信作さん(85)は「郵便局や商店が無いので少し不便だが、安心して暮らせる。住み慣れた海沿いに高台があり、恵まれていた」と話す。
 
<住民と町 橋渡し>
 被災者の住宅再建を後押ししたのが、190億円の義援金だ。町予算の約5倍に当たり、町は133億円の「災害復興基金」を創設。手厚い被災者支援事業を展開し、住宅を新築する場合は見舞金も含めて1世帯に最大約1400万円を配分した。
 青苗の住民を中心に結成された「奥尻の復興を考える会」の会長だった明上雅孝さん(61)は「義援金のおかげで自己負担なしで家を建てた人もいる」と振り返る。
 会は集団移転をめぐり、行政と住民との「中間組織」として機能した。
 会のアンケートで住民の約2割が高台移転を望まないとの結果が出たため、町は全戸移転案ではなく一部移転案を採用。被災者支援事業についても会の要望で、家具や家財の購入への助成も盛り込まれた。
 震災から5カ月後の93年12月、北海道の支援を受け、住民説明会を重ねた末に町の復興基本計画案がまとまった。明上さんは「住民の声を届けるパイプ役として何度も町と話し合い、町も情報を隠さずに出した。互いの協力がスピーディーな復興につながった」と話す。
 
<事業費、負担重く>
 集落再生のほか、防潮堤建設なども含めた復旧・復興事業の総事業費は763億円に上る。工事は被災者の雇用を維持し、島外から最大2000人の作業員が入る「復興特需」が島を潤した。
 半面で町の事業費負担158億円が財政を圧迫した。地方債残高は92年度の39億円から98年度には94億円に膨張。年間約40億円の町予算のうち、償還額が7億~10億円という状態が続いた。
 「負担は大きく、その後の産業振興などに十分な予算を回せなかった」。地震発生時の町総務課長で、助役を経て2001年から町長を1期務めた鴈原徹さん(68)が嘆く。
 復旧・復興事業が終了した島は停滞感が漂う。人口は1960年の約7900人をピークに減少を続けており、2010年の国勢調査速報値では3041人で、05年からの人口減少率は16.5%に達した。
 高齢化も著しく、ことし8月末現在で65歳以上の高齢者は人口の31.7%を占める。就職先が島にないため、25人前後の奥尻高の卒業生ほぼ全員が進学などで島を出ていくのが現状だ。
 島が「完全復興」を宣言したのは1998年3月だった。青苗の住民ら島民の多くはかつての復旧・復興事業に感謝しているが、鴈原さんは「以前より豊かで安全な暮らしは実現できたと思うが、過疎や高齢化の流れを食い止められなかったのは残念だ」と複雑な表情を見せる。

◎天災への備え 万全なし/防潮堤 宮古・田老を参考に建設/島民「高台避難」再認識
 
  巨大な防潮堤、漁港の人工地盤、張り巡らされた高台への避難路…。奥尻島の復興は、防災施設の整備による災害に強い島づくりが特徴だ。巨費が投じられた が、東日本大震災の大津波は東北各地の防潮堤を粉砕し、ハード面の限界をさらけ出した。「最後は高い場所に逃げるしかない」。島民はあらためて避難の重要 性を認識している。

 総事業費約211億円の防潮堤は総延長14キロ、最高約12メートルの威容を誇る。北海道南西沖地震(1993年)での津波の痕跡に基づき、高さ10メートルの宮古市田老地区の防潮堤を参考に建設された。
 防潮堤の背後地に新たに造成された住宅地は、盛り土で海抜6~9メートルにかさ上げされた。住民は島内42カ所に設置された避難路を使い、住宅地の裏手の高台に逃げることができる。
 青苗漁港に造られた人工地盤「望海橋」は幅約30メートル、長さ約160メートル、海面からの高さ約7.7メートルの屋根状の構造物。地震の際、漁師は5カ所の階段から地盤上部に避難し、そのまま内陸部の高台に移動する。
 「自然の脅威の前に万全はない」。東日本大震災の大津波は田老の防潮堤をも乗り越え、津波防災の先進例とされる奥尻島でも、島民は大きな衝撃を受けた。
 北海道南西沖地震で島に津波が到達したのは2、3分後とされる。198人の犠牲者を出した島で生死を分けたのは、基本ともいえる高台への速やかな避難だった。
 住民組織「奥尻の復興を考える会」元会長の明上雅孝さん(61)は「地震の記憶が薄れつつあるところに大震災が起きた。今回の津波の映像を見て、万一の時は高台に素早く逃げるしかないことを誰もが思い出したはずだ」と語る。
 防災には震災の悲劇と教訓の伝承が欠かせない。青苗地区の青苗岬に2001年にオープンした「奥尻島津波館」が、近くに立つ慰霊碑「時空翔」とともにその役目を担っている。
 立体模型や写真、映像などの展示で、地震の発生から復興までの歴史を伝える。10年度は1万3770人が来館した。職員の安達恵子さん(56)は「島内外の人に何があったかを語り継ぐことが犠牲になった人の供養だと考えている」と話す。

◎新村卓実奥尻町長に聞く/30年後見据え計画策定を

 東日本大震災の被災地が奥尻島から学ぶことは何か。新村卓実奥尻町長(58)に島の復興や被災地への助言を聞いた。

 ―島の復興では多額の義援金が役立った。
 「義援金を活用した町の被災者支援事業は73項目に上る。生活再建による人口流出の阻止に重点を置き、結果として被災により島を出た人はほとんどいない。漁業の再生に力を入れたのも大きかった」
 「一方で復旧・復興事業に伴う町債発行で財政が硬直化した。義援金は使い切ってしまったが、住民サービスの充実や新たな地域活性化策に充てられる基金として残しておけばよかったとの思いはある」

 ―防災施設の整備に力を入れた。
 「人命を守ることが第一との観点だった。全ての災害を防げるわけではなく、人工地盤は無駄な公共事業と指摘されたこともあるが、いつかは『造ってよかった』と言われる時が来るはずだ」

 ―産業振興が課題だ。
 「離島なので企業誘致は難しい。『育てる漁業』の観点からアワビの種苗育成センターを活用し、中国向けの輸出で高値が付くナマコの安定生産を目指す。観光についてはきれいな海でのマリンスポーツなど観光資源を生かし、人を呼び込む方法を模索している」

 ―東日本大震災の被災地に伝えたいことは。
 「漁業再生に関しては漁業者のグループ化は大きな選択肢になる。町には道具を共有し、共同で作業する『部会』ができた。ナマコやウニを採る潜水部会は特に利益を上げていると聞く」
  「復興とはきれいな街並みに戻して終わりではない。行政は被災者の生活再建と同時に20年後、30年後の地域の発展を考える必要がある。奥尻町は復興計画 の策定の際、住民と対話を重ねた。行政の方針を押し付けるのではなく、さまざまな場面で住民の意見を聞き、丁寧に話し合う姿勢が求められる」

◎漁業再生苦戦、観光に活路/高齢化で漁師半減/誘客、新幹線の開業期待

  北海道南西沖地震(1993年)で、奥尻島の基幹産業である漁業関係の被害額は68億円に達した。復興の最重要課題として漁業の再生が進められたが、漁師 の高齢化など取り巻く状況は現在も厳しい。一方、観光を産業のもう一つの柱と位置付け、強化する取り組みも始まっている。

 8月下旬。辺りが闇に包まれた午前3時、水平線に集魚灯の白い光が幾つも輝く。島の漁師の3分の1が従事するイカ漁だ。
 「今日は40箱か。まあまあだな」。青苗漁港で20~25匹のイカが入った箱を陸揚げした住吉武弘さん(68)が、顔をほころばせた。「さ、次はウニ採りだ」。慌ただしく漁船の片付けを始めた。
 島の漁業はイカ漁と、ウニやアワビを採る「磯回り漁」が主力。掛け持ちする漁師も多い。津波の漁船被害は沈没・流失421隻、破損170隻に上ったが、大半が磯回り漁に使う磯舟だった。
 国や北海道の支援策に加え、町は「災害復興基金」を活用し、船外機や漁具の購入を助成した。漁協にも補助し、漁船を一括して取得する際の負担を軽減した。
 「いち早く共同作業施設の建設を決めるなど、漁業の再建方針を早期に示し、漁師に希望や意欲を持たせた」。竹田彰奥尻町総務課長(58)が当時の対応を振り返る。
 漁船は漁協組合員に5年間リースされた後、安価で売却された。磯舟1隻の価格は約100万円だが、漁師大須田知行さん(63)は「ほとんどただで船が手に入った」。住宅再建と同様、多額の義援金が再生を支えた。
 2009年度の漁獲高は3810トンで、1992年度の6290トンの6割まで回復した。一方、地震前に407人いた組合員は引退が相次ぎ、昨年度は187人に減った。
  後継者不足の打開策は見つからないが、安定した収入につなげようと、町と漁協は「育てる漁業」への転換を推進する。アワビを養殖し、水深が深いところにい るウニを餌が豊富な浅瀬に移植して、成長させる作業を義務化。市場が遠いため、輸送コストの削減や鮮度保持にも力を入れる。
 人口流出が進む島で、町は観光による交流人口の拡大を重視する。
 島観光協会によると、観光客数は1991年度の5万9273人をピークに減少。98年度にいったん5万人台に戻ったものの、再び減り始めて2009年度は3万9002人だった。
 協会は「体験型観光」を掲げ、島の自然や名所をガイドと歩くツアーとアワビ狩りを売り込むが、10年度の参加者は約1600人にとどまる。協会の佐野由裕主任(29)は「浸透はまだまだこれから」と説明する。
 協会が期待するのは、教育関係の旅行。10年10月、函館市の高校1年生約190人が島で復興を学び、青苗地区では住民や町職員などの役に分かれ災害対応訓練を経験した。「好評で、ことしも実施が決まった」(協会)という。
 15年度には北海道新幹線の開業が予定され、北海道と本州が新幹線でつながる。佐野主任は「北海道へのアクセスが向上するチャンス。函館市など周辺自治体と連携し、『面』で客を呼び込みたい」と意気込む。

奥尻島]北海道せたな町の南西約45キロに位置する北海道南西端の島。東西約11キロ、南北約27キロで、面積約140平方キロ。自治体名は奥尻町。中央部の奥尻地区と南部の青苗地区に人口が集中している。

[北 海道南西沖地震]1993年7月12日午後10時17分、奥尻島北方を震源域として発生したマグニチュード(M)7.8の地震。島の震度は6と推定され、 地震発生の数分後に時速500キロ以上の津波が到達したとみられる。地震の死者・行方不明者計230人のうち島が死者172人、行方不明者26人と大半を 占めた。

<しんむら・たかみ>53年、北海道奥尻町生まれ。千葉商科大卒。運送会社役員、町議を経て09年の町長選で初当選。

★ほかの記事
焦点/基準地価/福島、下落幅急拡大/岩手・宮城沿岸部も深刻
2011年09月21日水曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110921_01.htm

焦点/気仙沼 農地転用、進む宅地化/手続き加速、国が促す

2011年09月19日月曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110920_01.htm

焦点/高校生の就職試験解禁/希望の仕事 地元になく

2011年09月17日土曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110917_01.htm


証言/焦点 3.11 大震災{河北新報・連載記事}
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/index.htm
河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/

ご購読案内
http://www.kahoku.co.jp/pub/koudoku/syoukai.htm
河北新報/義援金受け付け
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1067/index.htm




☆ホームページのご案内
福島第1原発事故と原発問題、チェルノブイリ原発事故関係情報案内所
福島原発事故と放射能環境汚染・食品汚染・健康被害、チェルノブイリ関連情報案内所