「北の山・じろう」時事問題などの日記

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サッチャー元首相死去 87歳 英経済改革「鉄の女」<東京新聞 TOKYO WEB>

東京新聞 TOKYO WEB
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サッチャー元首相死去 87歳 英経済改革「鉄の女」
2013年4月9日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2013040902000113.html
▼全文転載

 【ロンドン=石川保典】社会主義勢力に対する強硬姿勢から「鉄の女」と呼ばれた冷戦末期を代表する英国の政治家マーガレット・サッチャー元首相が 八日、死去した。八十七歳だった。家族によると、同日朝、脳梗塞(こうそく)になり、亡くなったという。英史上初の女性宰相として、国有企業の民営化や金 融規制緩和など新自由主義の経済改革を推進し、経済不振にあえぐ“英国病”を克服。日本の経済政策にも大きな影響を与えた。

 サッチャー元首相は、保守党党首として「小さな政府」を公約に掲げて一九七九年五月の総選挙で労働党に圧勝し、首相に就任。冷戦が終わる直前の九〇年十一月まで保守党政権を率いた。首相在任期間の十一年七カ月は同国史上最長だった。

 第二次大戦後の手厚い福祉政策などで肥大化した国家財政を立て直すため、電話会社やガス会社、水道事業など国有企業の民営化などを推進。労働組合の影響力を政界、産業界から排除することに力を注いだ。

 政府の介入を極力少なくし市場原理を重視する新自由主義の政策で、当初は貧富の差が拡大し失業者もあふれ、各地で暴動も起きた。だが、八二年の フォークランド紛争で、アルゼンチン軍を撃破してフォークランド諸島の奪還に成功し、人気を回復して改革を断行。九〇年代から二〇〇〇年代後半まで続いた 英国の好況は「サッチャー時代の構造改革の成果」とも評価された。

 〇八年に長女キャロルさんが出版した回顧録で、数年前から認知症を患い、首相時代の記憶も曖昧になってきていることを公表。その後は体調を崩し、滞在中のロンドン市内のホテルで死去した。(写真はロイター・共同)

◆冷戦終結に貢献 ゴルバチョフ

 【モスクワ=原誠司】サッチャー元英首相と同時代に旧ソ連の最高指導者となったミハイル・ゴルバチョフ元大統領(82)は八日、インタファクス通信に「言葉の重い偉大な政治家で、輝かしい光を放つ人間でもあった彼女は、われわれの記憶と歴史に残る」と哀悼の意を表した。

 ゴルバチョフ氏はサッチャー氏を「われわれと西側諸国の(対話の)雰囲気を変え、東西冷戦の終結に貢献した」と評価した。

◆傑出した政治家 中曽根元首相

 中曽根康弘元首相は八日夜コメントを発表。「旧ソ連に対抗し、自由世界が協力団結すべきことを訴えた。傑出した政治家だった。心からご冥福をお祈りする」とした。

東京新聞 TOKYO WEB
サッチャー元英首相が死去 反共貫いた「鉄の女」
2013年4月8日 22時03分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013040801002633.html
▼全文転載

 【ロンドン共同】1979年から90年まで英保守党政権を担い、強力な指導力と反共産主義の姿勢から「鉄の女」と評されたマーガレット・サッ チャー元首相が8日午前に死去した。87歳だった。英BBC放送などが報じた。元首相の関係者は「脳卒中を起こした後、安らかに死去した」と語った。

  不況とストライキの多発で「英国病」と呼ばれた経済低迷を金融分野の大胆な規制緩和や国有企業の民営化推進、緊縮財政の断行などで克服。競争原理に基づい た市場経済路線を定着させ、社会構造に大きな変革をもたらした。82年のフォークランド紛争では大艦隊を送り込み、アルゼンチン軍を撃破した。

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マーガレット・サッチャー - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC



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