「北の山・じろう」時事問題などの日記

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焦点/学びや、6割の子戻らず/南相馬・原町の小中5校再開<証言/焦点 3.11 大震災「河北新報・連載記事」

証言/焦点 3.11 大震災「河北新報・連載記事」から全文転載
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/index.htm
※記事数が多いため、一部転載し、ほかは記事タイトルとURLの掲載です。

河北新報
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焦点/学びや、6割の子戻らず/南相馬・原町の小中5校再開
2011年11月03日木曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20111104_01.htm
▼全文転載


7カ月ぶりに本校での授業が再開された大甕小に戻り、笑顔を見せる児童。放射線の影響を懸念する保護者も多く、復帰児童は全体の4割に満たない=10月17日、南相馬市原町区

http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20111104013jd.jpg

 南相馬市の緊急時避難準備区域の指定解除に伴い、同市原町区の五つの小中学校は10月半ば、約7カ月ぶりに本校での授業を再開し、仮校舎に通った児童、 生徒が元の学びやに戻った。市は5校の大規模除染を実施して受け入れ態勢を整えたが、福島第1原発事故の放射線汚染への不安は根強く、まだ4割の子どもし か復帰していない。(中島剛)
 
除染も不安根強く/学期途中、転校に難色

 5校は原町一、原町三、大甕(おおみか)の3小学校と原町一、原町二の2中学校。10月17日の再開を受け、3小学校で464人、2中学校で422人が本校に戻った。
 本年度の在籍予定数に占める復帰率は5校全体で41.8%にとどまる。放射線の影響を受けやすい低年齢の子どもほど低く、2中学校が52.1%だったのに対し、3小学校は34.0%だった。
 原発事故で原町区は4月、ほぼ全域が避難準備区域に指定され、同区の全校が閉鎖になった。児童、生徒の多くは母親らと共に市外などに避難して避難先の学校に転校し、一部の子どもが自宅に残った。
 残留した子どもについて、市は指定区域外の同市鹿島区の学校や公共施設を間借りして仮校舎を設置。3小学校で369人、2中学校で330人の在籍数で4月、新学期をスタートさせた。
 その後、原発事故が収束の方向に向かい、遠方に避難した子どもたちも徐々に自宅に戻り、学校に復帰した。夏休み明けの8月25日時点の仮校舎での在籍数は3小学校で450人、2中学校で412人と、現状に近い水準まで増えた。
 市は9月の避難準備区域の解除を見据え、仮校舎の子どもたちを本校に迎え入れようと除染に着手。校庭の表土をはぎ取り、校舎を高圧洗浄する大規模な作業を行った。
 だが、そのかいもなく、その後の在籍数は伸び悩み、本校での授業再開もすぐには復帰増に結び付かなかった。「授業再開が学期途中で転校が難しかった」(市教委学校教育課)ことが響いたという。
 放射線の問題はデリケートだ。仮校舎に通う子どもが、避難している同級生に「もう大丈夫だから戻っておいで」とメールを送ったところ、保護者から「避難者に対するいじめだ」と苦情が寄せられたこともあった。
 原町区には今回の5校の他、七つの小中学校がある。いずれも学校周辺の放射線量が高かったり、東日本大震災で校舎が損傷したりで閉鎖している。7校のうち4校は年度内に再開する予定だが、残りの3校はめどが立っていない。
 第1原発から20キロ圏内の警戒区域の同市小高区にも5小中学校があるが、立ち入り制限に伴って仮校舎での授業が続いている。
 堀川幸一学校教育課長は「自校授業の再開や復帰の呼び掛けは軽々にはできない。一歩ずつ本来の教育環境を取り戻していきたい」と話している。

◎子への影響、親に葛藤/放射線量にらみ苦悩

  南相馬市原町区の大甕(おおみか)小は、緊急時避難準備区域の指定解除に伴って本校での授業を再開した1校だ。復帰した児童は75人で、全児童204人に 占める復帰率は36.8%にとどまる。地元に残ってわが子を同校に通わせ続けた親、避難先から戻らずに子どもも復帰させなかった親。決断に至るまでには、 それぞれに心の葛藤があった。

 主婦の熊耳(くまがみ)浩子さん(41)は、福島第1原発事故後も夫、大甕小6年の長女、2年の次女と共に同市原町区の自宅に残った。子どもは同市鹿島区の仮校舎にバスで通学し、本校再開の日を迎えた。
  遠方に避難しなかったのは放射線量が思いの外、低かったためだ。自宅は第1原発の20キロ圏内に迫る地点にあるが、室内の線量は毎時0.2マイクロシーベ ルト程度だった。「子どもだけ避難させることも考えたが、家族をばらばらにしたくなかった。線量も低く、全員でいることを選んだ」と話す。
 避難先にとどまって子どもの復帰を見送った親にも理解を示す。「同じ地域の住宅でも線量に差がある。そんな状況では戻ってきても大丈夫とは言えない。保護者はみんな苦悩しながら子を送り出している」と語る。
 主婦の小沢佳織さん(38)は、避難先の千葉県四街道市の貸しアパートで大甕小の授業再開のニュースを見た。そばにいた長女が「戻りたいな」とぽつりとこぼすのを聞き、やりきれない気持ちになった。
 長女は大甕小の4年生だった。1年の長男もいる。3月末、子どもの将来を考えて2人を連れて地元を離れた。子どもは避難先の小学校に転校し、友達もできて楽しそうに見えたが、かつての母校の映像を見て里心を抱いたようだった。
 夫(48)は南相馬市職員で、業務のために自宅に1人で残っている。月に数日、夫が千葉に来る時だけ会える。再び家に戻ろうとする夫の服を長男がつかみ、「帰らないで」と懇願する。そんな光景が繰り返されるたび、胸が痛む。
 校内の線量が下がっているという話を聞くと、「戻っても大丈夫かな」と思う。冬休みが終わったら地元に帰り、大甕小に戻すことも考えている。それでも「福島県の児童の尿からセシウム検出」などという報道が流れると、帰郷をためらう。
 「夏でも長袖の服を着せ、マスク姿で通学させることが、わが子のためになるのだろうか」。心は今も揺れ続ける。
 大甕小は除染で線量が毎時0.1マイクロシーベルト台に下がり、健康への影響はなくなった。だが、学校を取り囲む雑木林や道路の除染が手付かずで、帰郷をちゅうちょする親子の不安が解消するまでには至っていない。
 平間勝成校長は「本校に戻ってくるのは、ゴールではなくスタート。児童と保護者が安心できるよう地道に除染を続けるしかない」と語る。
(加藤敦)

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