「北の山・じろう」時事問題などの日記

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ひと:渡辺祥子さん シベリア抑留者の慰霊碑建立を計画<毎日新聞>

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ひと:渡辺祥子さん シベリア抑留者の慰霊碑建立を計画
毎日新聞 2013年01月25日 00時31分(最終更新 01月25日 13時28分)
http://mainichi.jp/opinion/news/20130125k0000m070112000c.html
▼全文転載


                   

 父の記憶はない。3歳で終戦を迎え、樺太(現サハリン)から母と引き揚げるため、駅で別れたきりだ。

                         

 戦時中、樺太庁財務課長だった父良穂(よしお)さんはシベリアに抑留され、50年にノリリスクで亡くなった。39歳だった。

                         

 北極圏にあるノリリスクの冬は氷点下50度を下回る日もある。生還者の手記には、日本人収容者300人弱のうち帰国者は110人余りとある。なぜ酷寒の地で死ななければならなかったのか。真相を追い続けた母智津子さんに「過去を振り返ってばかり」と反発したこともある。

                         

 90年、立ち入りが制限されていた現地を智津子さんと訪れた。その母も02年に死去し、04年に遺骨を持って再訪した。「日本人の慰霊碑がない」。残念がっていた母の思いをかなえたくなった。

                         

 厚生労働省に働きかけたが「同じ州に碑がある」と断られた。「ならば自分で」。ロシア語学習を始め、現地の慰霊広場を管理する博物館長にメールを送り続けた。昨年「計画書を送って」と連絡が来た。「ここまで来たら身を削ってでも」と思っている。

                         

 厚労省によると、旧ソ連・モンゴルに国や戦友会の建てた134の慰霊碑があるが、渡辺さんの碑は最北になる。碑文に決意を込めるつもりだ。

                         

 <吹雪の向こうから聞こえる抑留者の声に耳を傾け、痛みや苦しみが二度と繰り返されることのないよう行動し生きていきます>【青島顕】

                         

 【略歴】わたなべ・さちこ。東京都八王子市在住。父母にささげる著書「魚と風とそしてサーシャ」(桜美林大北東アジア総合研刊)を今月出版。71歳。

    

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