「北の山・じろう」時事問題などの日記

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どうする核のゴミ<2> “共存の歴史”が決めた【社説】2013年1月29日<東京新聞 

★この記事について、誤解していただきたくない事があります。これは、あくまでフィンランドの選択にしか過ぎません。現在、安全な高濃度放射性汚染物質の処分方法は、開発されいません。「遠い将来に、放射能は漏れ出す。しかし、それは環境に悪影響を及ぼすほどのものでは、ない」と言う、放射能の漏出を前提にした計画なのです。「それが、危険はない」とは、誰も断言できないと思います。現にドイツでは、岩塩鉱山跡の地下に保管した、放射性物質の入ったドラム缶が腐食し、地下水に漏れ出し、周辺住民に健康被害をもたらしている疑いがあります。



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【社説】2013年1月29日
どうする核のゴミ<2> “共存の歴史”が決めた
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 オンカロは、なぜオルキルオト島にあるのだろうか。

 「それは長い物語」と、オンカロを建設するポシバ社コミュニケーション・マネジャーのティモ・セッパラさんは話し始めた。

 一九七九年、オルキルオト原発が運転を開始した。実はこの時、フィンランド政府は、五年間しか運転許可を出していない。その間に使用済み核燃料の 最終処分計画を立てなさい。でなければ、許可は更新しない。つまり、運転の継続を認めないという強いメッセージを、電力会社に発していた。

 八三年、処分場選定までの行程表を政府が提示した。二〇一〇年までに、処分場を決めて、建設許可を取るように、と。

 電力会社は当初、核のごみは、海外で処分してもらえばいいと考えていた。もう一つのロビーサ原発は、十年にわたってロシアへ持ち込んだ。

 だが、九四年の原子力法改正で、その道を封じてしまう。使用済み核燃料の輸出入を禁止したのだ。背景には、長い間支配を受けた隣の大国ロシアに対する根強い不信があった。

 原発を運営する二つの電力会社はその翌年、ポシバ社を設立し、処分場建設の体制を整えた。

 電力会社による処分場の候補地探しは、八三年に始まっていた。フィンランド全土を五〜十平方キロのブロックに分け、文献などから地質や周辺環境を考慮して百二カ所の調査エリアを決めた。

 ポシバ社が、そのうち五カ所でボーリング調査などを実施して四カ所に。その中で住民が受け入れに好意的だったのがハーシュトホルメンとオルキルオト、つまり原発のある自治体だった。

 九九年、最終的にオルキルオトが残った理由の一つは、オルキルオト原発の方が、廃棄物の排出量が多く、移送費用がかからないから、だったという。

 「原発との共存。それが決め手でした」と、セッパラさんは振り返った。本当にそれでよかったのだろうか。(論説委員・飯尾歩)

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