「北の山・じろう」時事問題などの日記

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フィンランドの教育現場 すべての子に学ぶ支援(1)~(3)<東京新聞 2013年12月>

 

※この記事を引用してくれていた方がいて、本当に良かったと思います。記事の更新を休んでいた時期の記事で、是非ご紹介したいと思った記事です。朝日新聞の記事も合わせてどうぞ。

 

フィンランドの教育現場 すべての子に学ぶ支援(1)~(3)社説

東京新聞 TOKYO WEB トップ >http://www.tokyo-np.co.jp/

2013年12月16日(1)

2013年12月17日(2)

2013年12月19日(3)

 

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フィンランドの教育について
http://blog.livedoor.jp/fu55-gomemo/archives/1767290.html

(上記ブログから、全文転載)

    東京新聞社説 2013年12月16日

    フィンランドの教育現場(1) すべての子に学ぶ支援

    

     「みんなも同じ時代に生きていると想像してね」。
    地理の時間。
    シモ先生(43)の明るい声に励まされ、生徒たちは色鉛筆を手に、米大陸の先住民族インディアンの肖像画を描き始めた。

     首都ヘルシンキから東へ約百三十キロ離れた地方都市、コトカ市にあるランギンコスキ中学校。
    教員歴十八年のシモ先生は、脳機能の障害などで読み書きが難しい生徒たちの特別支援学級を受け持つ。
    絵を描くのは、言葉や感情を上手に伝えられない生徒たちにとって、表現力を養う工夫でもあるのだという。

     人口約五百五十万人のフィンランドは、小国ながら二〇〇〇年以降、経済協力開発機構OECD)加盟国を中心とする国際学習到達度調査で常に上位に位置してきた。
    「教育大国」を自任するのはそのためだ。
    応用力や読解力を養う総合学習の成果とも言われているが、エリート教育はされていない。
    高い学力の秘密はむしろ生徒間の学力差の小ささにある。
    成績下位の子どもが少ないことが水準を押し上げているのだ。

     フィンランドでは親の経済力に関係なく、大学まで無償で学ぶ機会が保障される。
    公財政支出に占める教育費は13%弱。
    日本の9%を上回る。
    一学級の人数は二十人前後で、授業に応じてアシスタントの教師が配置される。

     特別支援学級はさらに少人数で行われる。
    シモ先生の一人一人の力に応じたきめ細かな指導も、ハンディがある子どもをこそ手厚く支えようとするこの国の教育のあり方を表している。

     背景には、一人一人の学ぶ権利を大切にするという社会の合意がある。
    すべての子に支援を惜しまないと決めた教育が、格差の小さな学力と高い学力とを両立させている。
     日本でも習熟度別授業などで教師を増やしているケースはある。
    でも一学級四十人の基準は減らない。
    財政難を理由に教育予算が削減されるなら、今以上に学校からゆとりが奪われるだけだ。
    フィンランドに日本が学べることは何か。
    コトカ市の学校現場を訪ねながら考えた。    (佐藤直子


    東京新聞社説 2013年12月17日

    フィンランドの教育現場(2) 人に投資、現場を信じる

    

     教育大国と呼ばれるフィンランドの転機は一九九〇年代のバブル崩壊後に訪れた。
    財政難で教育予算も大幅な削減が求められた。
    だが当時の教育相は「教育の力で不況を切り抜けたい。むしろ予算を増やして人に投資すべきだ」と、大胆な教育改革を打ち出した。

     教育の権限は国から地方へと移され、予算執行は自治体に任された。
    学習内容も国は大綱によって最低限の目標を示すだけで、具体的なカリキュラムや授業配分は自治体や学校が決める。
    現場の裁量は広がる一方、教師にはより高い質が求められるようになった。

     教職の人気は高い。
    大学の養成課程には意欲ある学生が集まり、みな修士号を取る。
    「教職に就いてからも指導法の研究は欠かさない」とコトカ市の中学校教師タイナさん(36)。
    「教師は競争を勉強の動機づけにしないのです」

     子どもたちは「勉強は自分のためにするもの」と教えられる。
    金曜日の小学校では、ある子は国語の書き取りに、ある子は計算問題に取り組んでいた=写真。
    「週内に十分に達成できなかったことを、それぞれが考えて補習している」と担任が教えてくれた。

     義務教育は日本と同じ九年。
    最後に到達度をはかる学力テストがあるが、それは公教育を競わせるためのものではない。
    学力差のある子らが同じ教室で学びながら、一人一人が目標にどう近づくのかが大切にされる。
    詰め込みや点数競争にさらされない子どもたちの姿はのびのびとしてみえた。

     学校や教師の「責任とやる気」にかけたフィンランドの改革は、国際的な学習到達度調査の上位国となることで成果を収めたようにみえる。
    だが課題がないわけではない。
    一部の自治体では、人件費抑制のために教師が交代で休まされるようなことも起き、学習環境の悪化が心配されている。

     「よりよい公教育を目指し、学校や教師は努力してくれる」。
    来日したキウル教育相は学校現場への信頼を口にし、「それでも」と言葉を継いだ。
    私たちの改革はまだ道半ばです」 (佐藤直子

    東京新聞社説 2013年12月19日

    フィンランドの教育現場(3) 解決のかぎは公正さ

    

     木くずを飛ばし、のこぎりを引く。
    障害児学級を併設したコトカ市のムッサロ学校で、知的障害のある生徒たちが教師に手伝われて木工に取り組んでいた。

     フィンランドでは成人して親と一緒に暮らす者は少ないという。
    身体に障害があっても同じだ。
    このため九年の義務教育では木工の授業を重視する=写真。
    技能があれば社会的な自立につながるからだ。
    職業学校に進んだり、木工所で働くこともできる。

     課題を抱えた子だからこそ手厚く支え、その方が将来の自立につながるという考えはごく当然だ。
    しかし、その先に「その方が社会全体にとってもいい」と考えるのがフィンランド流だと思う。

     不登校の子どもはどうか。
    市の特別支援調整役のハナレさんによると「ゼロ」だという。
    市内の小中学生約五千五百人のうち病気で登校できない三人がいるが、日本のような不登校はいない。
    全国で十万人を超え、どの学校にも数人の不登校児童・生徒を抱える日本では想像もつかないことだ。
     学校に行きたがらない子に対しては、校長がカウンセラーらと協力し、家まで迎えに行くこともある。
    「何度か訪ねると来てくれるようになりますよ」と、ムッサロ校の校長は言う。
    信頼とは簡単にいかなくても、そこには校長が同じ位置に立とうとする思いがある。

     経済協力開発機構OECD)が実施した二〇一二年の国際的な学習到達度調査で、日本は「教育大国フィンランド」を、すべての分野で上回った。
    だが排除される子どもがどうしてこんなにも生み出されるのか。

     むろんフィンランドも夢の国ではない。
    厳しくなる財政事情や失業の増加など問題を抱えている。

     だが公正さを失わず、一人ひとりの力を伸ばすことで社会の発展を目指そうとする福祉国家の原則は古びていない。

     それはあらゆる場で格差を広げている今の日本にこそ取り入れられてほしい考え方だ。
    時間のかかる教育も、機会が平等に保障されてこそ、成果が生まれる。
    フィンランドののびやかな教育現場がそれを物語っている。 (佐藤直子

 

※関連記事

朝日新聞

比較・競争とは無縁 学習到達度「世界一」のフィンランド
2005年02月25日
http://www.asahi.com/edu/nie/kiji/kiji/TKY200502250173.html