ウクライナ危機が日本に突きつける「集団的自衛権の行使容認」の核心<現代ビジネス 2014年03月>
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ウクライナ危機が日本に突きつける「集団的自衛権の行使容認」の核心
2014年03月14日(金) 長谷川 幸洋
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▼全文転載
先週に続いて、今週もウクライナ危機について書く。先週のコラム「ロシアのクリミア侵攻は『ヒトラーのズデーテン侵攻』の繰り返し!? 国連が機能しない"規律なき世界"はどこへ向かうのか」で指摘したポイントは次の通りだ。
つまり(1)今回の危機で国連は機能しない(2)中国が尖閣諸島に両手を伸ばす誘惑にかられる可能性がある(3)日本は当面、集団的自衛権の下で日米同盟の強化が必要だが、将来的にはアジア太平洋地域の集団安保体制を視野に入れるべきだーーの3点である。
「戦争反対」の読者からの思わぬ反響
同じ論点は「クリミア侵攻の意味」と題して、東京新聞のコラムでも指摘した。
ちなみに、この新聞コラムは「私説」という欄であり、社説ではない。本文中でも「社説の論調とは違って」とわざわざ断ったのだが、読者からは「東京新聞の社説とは真逆で許されない」といった意見をいくつもいただいた。
そこでこの欄を借りて、ひと言言っておきたい。社説というのは論説委員が互いの意見を戦わせた結果、でき上がっている。当たり前だが、論説委員の意 見が最初からすべて同じであるわけがない。議論の末、社説の論調がまとまったとしても、それに異論をもつ、たとえば私のようなジャーナリストが別の意見や 主張を発表しても何の問題もない。
だから、私は自分の意見をこのコラムでもテレビでもラジオでも雑誌でも明らかにしているし、東京新聞だって「社説」ではなくて「私説」なのだから、それは当然だ。もしも社説の論調に反対する記者が自由に意見を発表できないとしたら、それは全体主義である。
どうも戦争反対とか左翼がかった人たちの中には「言論の自由」を根本から勘違いしている人たちが多いのではないか。そういう勘違いが、かえって全体主義を招いてきた事情をまったく理解していないようだ。
ほかにも、私の意見にツイッターで「一方的な見方だ」とか「無知」とか言う人もいる。何を言おうと勝手だが、中身の議論をせずに「レッテル張り」だけで批判したつもりになっているのは、言論と思考の貧しさの証明である。私はこのたぐいを相手にしない。
最初からいきなり脱線した。つまらない話はやめて、本題に戻る。
「地域分裂世界」が到来する
国連が機能せず「規律なき世界」に突入する、という先週のコラムを書いてから一冊の本を思い出した。国際的な政治コンサルタントとして著名なイアン・ブレマーが著した『Gゼロ後の世界』(日本経済新聞社、2012年)だ。
この本で、ブレマーは今後の世界を4つのシナリオで説明してみせた。まず米中による「G2」、それから実際に機能する「G20」。この2つは米中協 力が前提になっている。逆に米中が対立した中で新たな冷戦に入る「冷戦2.0」という状態、最後がグローバルなリーダーシップが存在しない「地域分裂世 界」である。
この4つの中で、ブレマー自身は地域分裂世界シナリオが「もっとも実現の見込みが高い」と指摘している。つまり米国も中国も圧倒的な力で世界をリー ドするプレーヤーたりえず、せいぜい地域のリーダーとして自分の勢力圏内で、ある程度の求心力を発揮するにとどまる、という世界である。
今回のウクライナ危機で、ロシアは国際法を真正面から無視してもクリミアを実効支配しようとした。それに対して国連が機能せず、米欧も有効な打開策を示せないでいるのを見ると、まさに世界はブレマーが指摘したような「地域分裂」に陥ってきたのではないか、と実感する。
ちなみに、本の原題は「Every Nation for Itself ~ Winners and Losers in a G-Zero World」である。つまり「どの国もそれぞれ自国のために行動する」という趣旨だ。それは当たり前なのだが、圧倒的なリーダー不在の下で、各国がそうい う行動をする結果、地域分裂世界に陥るというのである。
では、分裂した地域世界は秩序なき混沌に陥るのだろうか。あるいは世界全体の秩序が失われるのだとすれば、日本は今後、どうふるまっていけばいいのだろうか。これが先週から引き続く、今週のテーマだ。
通商交渉同様、安全保障も「地域のグループ化」へ
私は「秩序なき混沌」という言葉を聞くと、関税貿易一般協定(GATT)と、それを引き継いだ世界貿易機関(WTO)の下で数次にわたって続けられてきた貿易交渉を思い出す。ウルグアイ・ラウンドとかドーハ・ラウンドといった多角的貿易交渉である。
世界的な関税引き下げと貿易投資ルールの改善を目指すドーハ・ラウンドは2001年から始まり、現在も続いている形になっている。だが、実際には各国の対立が解けず膠着状態に陥っている(外務省の説明ペーパーはこちら)。
なぜ10年以上も交渉が続いているのにまとまらないかと言えば、各国の利害得失が複雑に絡み合って、みんなが納得できる妥協点が見つからないからだ。これを通商関係者はよく「スパゲティ・ボール」という。調理用ボールの中でスパゲティがからみ合ったような状態なのだ。
それをみた交渉参加国の中には「159ヵ国も集まったWTOで議論しても結論は出ない。いい加減に見切りをつけて、気の合った仲間同士でグループを 作ろう」という気運が出てきた。それが世界に広がる自由貿易協定(FTA)や環太平洋連携協定(TPP)の議論が高まっている理由だ。
これは通商交渉の話なのだが、実は安全保障分野でも同じかもしれない。
もしも、これから国連が当初の理想とは違って世界の平和と安定にたいした役割を果たせないのだとしたら、世界の国々はどうやって自国の安全保障を達成するか。あるいは達成しようと考えるか。
通商分野で「世界貿易機関が役に立たない」ことがはっきりしたとき、各国が自然と顔を向けたのは「地域のグループ化」だった。それが、まさしく FTAでありTPPだった。同じように「国連が役に立たない」となったら、各国が「地域のグループ化」に希望を見出すのは自然であるように思う。
つまり、自分が属する地域で安全保障体制を整えようとするのだ。
国連は「尖閣諸島」も守ってくれない
ブレマーは「地域分裂シナリオ」を説明する中で、こう言っている。
「(地域分裂の)現象自体は世界的なものだが、地域ごとに様相は異なる。(中略)一部の地域では結束力が自然に高まるが、他の地域ではそうでもない ことが明らかになるだろう。局地的な強国になろうとして、今以上に頻繁に強権政治に頼らざるをえなくなる国も出るだろう。他国と共通する民族的絆、宗教的 絆を使って、志を同じくする政府同士の非公式な連合体を築こうとする国も出るだろう」(同書219ページ)
この文章はまるで、いまのロシアとウクライナの情勢を言い当てているかのようだ。実質的に2011年の文章であることを考えると、ブレマーの慧眼に脱帽する思いがする。
日本がアジア太平洋地域のリーダーとして無理なく想定できるのは、米国である。中国は想定できない。中国は自由と民主主義、法の支配、人権の尊重、 市場経済という理念と制度を、いずれも日本と共有していない。中国には自由も民主主義も法の支配も人権、市場経済もない。中国の経済は国家資本主義であ る。
世界が地域に分裂し混沌に向かう中、日本がアジア太平洋という地域で平和と安定を維持しようとするなら、米国や豪州、ニュージーランド、フィリピン やマレーシア、ベトナムといった東南アジアの国々と手を組むべきだ。通商交渉と同じように「地域のグループ化」によって平和と安定、そして繁栄を目指すの である。
国連が機能しないなら、地域のグループ化は必然でもある。具体的にいえば、中国が尖閣諸島に武力侵攻したとき、国連は守ってくれるか。守ってくれない。なぜなら中国は安全保障理事会の常任理事国であるからだ。
先週のコラムで、ロシアの武力侵攻を国連が止められないのはロシアが常任理事国であるからだ、と指摘した。まったく同様に、中国が常任理事国であるからには、中国の尖閣侵攻に対して国連は無力になってしまう。
頼りになるのは、日米安保条約によって集団的自衛権を行使してくれるかもしれない米国だけなのだ。
集団的自衛権の行使容認が不可欠に
ところが、その米国は1月9日公開コラム「日米中のパワーバランス変化で『政治化』した靖国参拝。安倍首相が考えるべきことは」や、1月30日公開コラム「選ぶべきは『日米同盟の強化』!米国が日本より中国を選ぶ現実を前に、国連憲章に基づく『集団的自衛権見直し』は当然だ」で指摘したように、中国に傾きつつある。
そうであれば、日本が安全保障をより強固にしようとするなら、通商交渉がラウンドからFTAを経てTPPに向かったように、日米同盟からもう少し広い地域に向かうのは自然な流れである。そのためにも、集団的自衛権の行使容認は不可欠の条件になる。
米国は1951年に日米安保条約を結んだとき、日本の集団的自衛権について事実上、何も言わなかった。日本が自衛隊の前身である警察予備隊を創設し たのは前年の50年秋だったのだから、それも当然だ。よちよち歩きの日本の予備隊に米国を守ってもらうなどというのは、米国にすればジョーク以外の何物で もなかった。
しかし、たとえば日本がフィリピンを加えた集団安全保障体制を地域で構築しようとすれば、フィリピンには日本を守ってもらうが、日本はフィリピンを守らないという話が通用するか。通用するわけがない。
集団的自衛権とは本来、こういう議論である。ちなみに日本では、まだ集団的自衛権と集団安保体制は違うといったトンチンカンな議論が流布している が、それがトンデモ論であるのは、北大西洋条約機構(NATO)が集団的自衛権を基礎にできあがっている点をみれば、まったくあきらかである。
ウクライナがなぜ欧州連合(EU)とNATO加盟を目指したか。万が一のときは、NATOに集団的自衛権を発動してウクライナを守ってもらいたいからである。
国連が安保理決議というハードルのために「集団的措置」(第1条)によって平和と安定を確保できないとき、地域の集団的自衛権(第51条)によって 達成できるのではないか。今回の事態は日本にそんな安全保障の核心的課題を突きつけている。 (文中敬称略)