「北の山・じろう」時事問題などの日記

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宍倉正展博士(活断層・地震研究センター)の研究〜「太平洋のプレートが衝突して巨大津波が発生する」

★忘れないように、メモしておこうと思います。今回、巨大な被害をもたらした東日本大震災・大津波ですが、発生して、「やはり・・・」と思った方が、います。それが、宍倉正展博士(活断層地震研究センター)です。以下、WSJの記事から、一部引用します。


『 宍倉博士は古い地層を研究した結果、450年ないし800年ごとに太平洋のプレートが衝突して巨大津波が発生し、福島県宮城県の現在の仙台市周辺を荒廃させてきたと確信した。

 大昔の津波の一つは歴史にも登場している。ある史実によれば、西暦869年の貞観地震に伴い発生した津波は死者1000人を出したとされる。宍倉博士は、同じ地域で後年もう一つの津波が発生した有力な痕跡を発見した。恐らく西暦1300年と1500年の間に発生した津波だ。 

 そこで宍倉博士と同僚らは2010年8月、論文を発表し、「近い将来に再び(同様の津波が)起きる可能性を否定できない」と警告した。この論文は同氏の勤務する独立行政法人産業技術総合研究所活断層地震研究センター(つくば市)の発行する機関誌に掲載された。』

と言う事です。つまり、2010年8月の段階で、この論文は同氏の勤務する独立行政法人産業技術総合研究所活断層地震研究センター(つくば市)の発行する機関誌に掲載されているのです。

もし、このような地道な研究をもっと重視する学界の体制があったなら、この論文の中で示された事を、津波災害予防に生かせたはずです。 

しかも、WSJによると、『宍倉氏の上司で活断層地震研究センター長の岡村行信博士は09年、福島原発の安全性を討議する公式委員会の席上、この研究結果に言及していた。岡村博士によれば、津波対策強化の考え方は実行に移されなかったという。 』
と、言う事です。

そして、『 宍倉博士はこれを警告するための広報活動を始めていた。活断層地震研究センターでは、どの地域が津波リスクがあるかを人々に理解させるため地図を配布する計画が立案されていた。3月23日には、福島県の当局者を前に研究成果を説明する予定だった。』そうです(WSJ)。

佐藤前福島県知事が、東電津波対策の強化を申し入れていたと聞き及びますが、この研究を知っていた可能性もあります。
時事通信
福島原発事故は人災」
「佐藤前福島県知事インタビュー」
http://www.jiji.com/jc/v4?id=20110409interview0001
http://www.jiji.com/jc/v4?id=20110409interview0002

話と関係有りませんが、佐藤前福島県知事は、東電原発運営に反対したため政治的に原発利権から抹殺された疑いが濃厚です。原発に反する者は、社会から抹殺する事は、頻繁に行われていました。生命を奪うと言う意味では、ありません。マスコミを使ってネガテイブ・キャンペーンをしたり、犯罪疑惑を押し付けて有罪にしたりして、社会の表面から消してしまえば、それで十分なのです。そのような流れが、原子力安全・保安院を骨抜きにして原発の安全対策強化を妨害するような組織にしてしまいました。

原発の安全対策や災害対策を、真剣に考える流れが、もしあったなら「宍倉博士」の研究結果は、当然重視され、防災に生かされたでしょう。

東日本大震災・大津波は、決して予測されていなかった事では、ないのです。科学的研究と根拠により研究結果が、論文として発表されていたのです。しかも、2009年の段階で、福島原発の安全性を討議する公式委員会の席上で言及されていたにも拘らず、却下されています。

東日本大震災・大津波は、分かっていたけれども予測を軽視して何の対策もなされなかったために、大きな人的被害を生ぜしめ、原発事故を招いたのです。全部を防ぐ事は、出来なかったでしょう。

しかし、それなりの対応策を実施していたなら部分的な人的被害や原発事故は、確実に防げていた可能性が高いのです。


★参考サイト
★阿修羅♪ >
巨大津波を予測していた男−活断層地震研究センターの宍倉博士
http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/900.html
2011 年 4 月 11 日 12:44:15
▼全文転載

(元記事)WSJ
巨大津波を予測していた男-活断層地震研究センターの宍倉博士
2011年 4月 11日 9:21 JST
 
 日本の太平洋岸を襲った巨大津波はほとんどすべての人々を驚かせた。しかし宍倉正展氏(41)はそれを予測していた。巨大津波到来を知って「やっぱり」と思った、と宍倉氏は言う。

断層・地震研究センターの宍倉博士

 「想像していた通りの現象が起きた」と言う宍倉氏は、日本のカサンドラギリシャ神話の予言者、信じられない凶事の予言者)になった。 

 宍倉博士は古い地層を研究した結果、450年ないし800年ごとに太平洋のプレートが衝突して巨大津波が発生し、福島県宮城県の現在の仙台市周辺を荒廃させてきたと確信した。

 大昔の津波の一つは歴史にも登場している。ある史実によれば、西暦869年の貞観地震に伴い発生した津波は死者1000人を出したとされる。宍倉博士は、同じ地域で後年もう一つの津波が発生した有力な痕跡を発見した。恐らく西暦1300年と1500年の間に発生した津波だ。 

 そこで宍倉博士と同僚らは2010年8月、論文を発表し、「近い将来に再び(同様の津波が)起きる可能性を否定できない」と警告した。この論文は同氏の勤務する独立行政法人産業技術総合研究所活断層地震研究センター(つくば市)の発行する機関誌に掲載された。 

 宍倉博士はこれを警告するための広報活動を始めていた。活断層地震研究センターでは、どの地域が津波リスクがあるかを人々に理解させるため地図を配布する計画が立案されていた。3月23日には、福島県の当局者を前に研究成果を説明する予定だった。

 宍倉氏の上司で活断層地震研究センター長の岡村行信博士は09年、福島原発の安全性を討議する公式委員会の席上、この研究結果に言及していた。岡村博士によれば、津波対策強化の考え方は実行に移されなかったという。  

 3月11日の大地震の際、宍倉博士の勤務する8階のオフィスでは書棚が倒れテレビが床に落ちた。同博士は一階下の臨時のスペースに移動しており、そこでインタビューに応じてくれた。

 同博士は 「間にあわなかったのが残念だ」と述べた。しかし以前、研究のため地層を掘ろうとする同博士に手を貸すどころか、「迷惑」だと言っていた地元当局者もいたことを思い出し、自らの正しさが立証され報われたとも感じていると述べた。  

 宍倉博士の研究は、古地震学という比較的新しい学問分野だ。パイオニアであるカリフォルニア工科大学教授を経て現在シンガポール地震研究所の所長を務めているケリー・シー博士は、こうした研究に携わっている少数の研究者は通常無視される運命にあると語る。同博士によれば、人は自分自身が目撃した、あるいは自分の知っている人が目撃したものを信じるようにできている。彼らは「500年に一度の出来事に対処する」ようにはできていないのだという。 

 宍倉博士は東京郊外の丘で化石を収集するのが好きな少年だった。そして高校生の時、地学が過去に関する疑問に答えてくれると悟った。 

 同博士の方法論はかなりシンプルだ。宮城県の土壌は豊かだが、その中で砂と小石の層が挟まれている。同博士は、これは幾つかの津波によって海岸から運ばれたに違いないと言う。この地層を調べた結果、同博士の研究グループは、襲来した津波が遠く3500年前までさかのぼれると推定した。

 このような巨大津波襲来の危険を自覚していれば、比較的小さな犠牲で多くの人々の生命が救われたかもしれない。宮城県福島県の人々は大地震には慣れていたが、こうした地震は大津波を起こさなかった。だがより北の方では、1896年や1933年の地震の際に津波が襲来したことがよく知られていた。ただ、これらの津波は、主として海岸の低地を襲うにとどまった比較的弱い津波だった。

 このため、3月11日にマグニチュード9.0の大地震が起きた際、内陸にいた一部の人々は、自分たちは安全だと考えていた。着替えをしたり電話したりして時間をつぶした人もいた。高地に逃げるのではなく、津波が到来するのを見物していた人もいた。人々のこうした行動は、宍倉博士ら研究グループが昨年、この地域の地震について論文で警告した状況そのものだった。

 それは「過去にM8を超える規模の地震で3-4キロメートルも内陸まで水が押し寄せるような大津波があったことは一般にはほとんど知られていないようだ」というものだった。 

 現在、宍倉博士の研究チームは、南方海域の南海トラフに注目している。地震とともに大津波が発生して四国と紀伊半島を襲う恐れがあるからだ。宍倉博士は、この海域では大津波がどうやら400年ないし600年に一度発生しているようで、最も最近の津波は1707年だったと指摘している。

 この大ざっぱな推定は、危険が到来するのは少なくとも100年先であることを示唆している。だが、宍倉博士は「注意したほうがいい」と警告している。

記者: Peter Landers

▲転載終わり