「北の山・じろう」時事問題などの日記

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ウクライナにおける事故影響の概要・ドミトロ・M・グロジンスキー(京都大学原子炉実験所)

かなり専門的で長文ですが、ご参考

 

ウクライナにおける事故影響の概要京都大学原子炉実験所)
ドミトロ・M・グロジンスキー
ウクライナ科学アカデミー・細胞生物学遺伝子工学研究所(ウクライナ
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/saigai/Grod-J.html

 

一部抜粋転載

上に示したデータは,組織内に取り込まれた放射性核種による低線量被曝が,強い遺伝的な影響を与えることを結論づけている.放射線の突然変異誘発機構と細胞変異機構は,植物細胞でも動物細胞でも同じであるといってよい.細胞内に蓄積された放射性核種からの被曝が,高い生物学的効果を持つことは疑う余地がない.低線量被曝に素早く反応する植物細胞を試験試料とした結果を,放射線の危険度評価に適用できることもまた疑う余地がない.

考察

1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故は発生した.疫学データを解析した結果は,環境の放射能汚染によって,人々の健康が著しく悪化していることを示している.健康の悪化は非常にさまざまな病気として現われている.

社会心理学的な影響もまた大変深刻である.事故が起きてはじめの数年間に人々が見たり聞いたりした経験は,多くのことに対する信頼を,時として,完璧にまた長期間にわたって失わせた.そして,巷には,罹病率の増加をひたすら放射能汚染とは別の原因(化学物質,重金属,そして主として社会心理学的な症状の発生)に求めようとする傾向が存在している.

原子力推進の当局側に属している専門家たちは,事故の初日から,リクビダートルや放射能汚染地域に住む住民の間に起きるすべての健康破壊が,放射線に直接的に関係しているのではないと証明しようとしてきた.チェルノブイリ大災害の被災者たちの病気発生率と,彼らの被曝量との関連について,どうしてそのような疑いを考え出すことができるのであろうか? 疑い深い人たちは,この関連性については,信頼でき,かつ充分な証明がなされていないと言うのである.このように考える人たちの根拠は以下のようなものである.

    放射線に特異的とは言えない病気に関して,汚染地域に住む人々と対照グループとの間に,それらしい相違が見られない.
    病気の診断技術は,最近の10年間で大変進歩した.したがって,チェルノブイリ事故の前と後の疫学データを比較することは正しくない.
    健康状態悪化の原因は,他の要因,すなわち栄養状態を含めた生活条件の悪化および心理的な抑鬱効果にある.こうして,いわゆる“放射線恐怖症”が最大の注目を引くのである.

こうした否定的な見解に応えるために,疫学データを解釈する上での少なくとも2つの方法がある.その2つの考え方を紹介しよう.

第1の考え方.汚染地域での被曝グループにはあまりに厖大な数の人が属しており,他のグループと有効に比較することが困難である.そのため,適切な対照グループをみいだせない.しかし,実際の問題としては,ウクライナ全体の死亡率の地域分布をみてみよう.事故以前において,汚染地域はウクライナの他の多くの地域と比べて,死亡率がかなり低い地域であった.それゆえ,罹病率と死亡率の比較のために,ウクライナ全体を対照地域として考えることには合理性がある.別の方法は,罹病率の経年的な変化傾向を分析して比較評価することである.

第2の考え方.人々の健康悪化の真因を解析するために,放射線生物学的な研究データを活用すべきである.生物学的実験においては,適切な対照を選ぶことが十分に可能である.また,生物学的な効果をもたらす最初の出来事は,主要な細胞および分子遺伝子プロセスであり,私たちは,その線量・効果関係を評価するのに適した生物学的な試験系をたくさん知っている.

結論

1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故は発生した.疫学データを解析した結果は,環境の放射能汚染によって,人々の健康が著しく冒されていることを示している.冒された健康の結果として,非常にさまざまな病気が広がっている.チェルノブイリ周辺の子供たちの甲状腺ガン発生率を疫学的に予測した値は,実際の増加率ときわめてよく一致している.しかし,巷には,罹病率の増加を放射線被曝でない原因(化学物質,重金属,そして主として社会心理学的症状の発生)に求めようとする傾向がある.

チェルノブイリの大惨事はウクライナにとって重荷となった.あらゆる生態系の中で,空気,水,野菜が汚染された.人々の健康には,長期にわたる影響が現れ,耕地と森林が失われた.汚染地域の何1000にもおよぶ集落が集団で移住を余儀なくされ,数100万人の人々が重い心理的なショックに陥り,そして痛苦に満ちた予期せぬ悲劇を被ることになった.

事故から11年,原因と結果の両者で悲劇的であったこの出来事は,社会と環境との関わり合いを示しただけでなく,原子力社会に生きる人間の倫理的な側面についてきわめて重要な教訓を与えてくれた.