福島の山や川 元に戻らない 農家の苦悩 人形劇に託す<東京新聞>
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福島の山や川 元に戻らない 農家の苦悩 人形劇に託す
2013年2月23日 夕刊
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▼全文転載
福島第一原発事故から二年近くたった今も、放射能の影に悩まされる地元の農家たち。山と土の恵みを受けて作物を育ててきた福島県田村市の農家らは、生活が一変する中、苦闘を続けている。 (木下大資)
肉厚で直径十センチほど。「山のアワビ」と呼ばれる自慢のシイタケは一瞬で「放射性廃棄物」に変わった。
宗像幹一郎さん(62)は、良質なナラの木を使ってシイタケを栽培してきた。四十キロ離れた原発が爆発し、三十キロ圏に一部が含まれる田村市のシ イタケは出荷停止に。国の指示で二週間かけて、四トンのシイタケをもぎ取り、妻基子さん(62)と山へ捨て、泣いた。五万本の原木も廃棄した。
「負げでらんねぇ」。昨春、会津地方から新たに原木一万本を仕入れた。だが植菌後に木を測定すると、規制値を超える一キロ当たり二〇〇ベクレルを 検出。「里山汚染」の現実を突きつけられた。「もうここに木を並べることはできねえ」。山に入るのが嫌になった。枝打ちなどで維持してきた里山の手入れを やめた。
今年はシイタケと放射能の関係を調べる試験栽培に徹する。同じ境遇の農家らと語り合う日々。「もし事故前から、こんなふうに協力して知恵を出し合い、販売ルートを開拓していたら、すごかっただろうな」。そんな想像をして笑い合うと、涙がこぼれそうになった。
◇
「体にいいものを作りたくて農家になったのに…。ぜんぶ、覆されてしまった」
大河原多津子さん(58)は夫の伸さん(57)と二十八年間、無農薬野菜を作ってきた。農協を通さない直接販売。顧客とは家族のような付き合いだった。
事故後、トマトから一二ベクレルが検出された。規制値以下だが、その事実を伝えると、顧客の三分の二が離れた。「毒野菜を売るのか」「東北の農家はやめろ」。ネット上には福島の農家を中傷する書き込みがあふれた。
広島の親戚は「こっちで農業をやれば」と誘ってくれる。だが、有機栽培は土作りに長い時間がかかる。「土は子どものようなもの。簡単に移れない」
放射能を恐れる気持ちは分かる。「はっきり数値を出さないと福島の野菜は排除される」。放射線測定器を手に入れ、すべての野菜の数値を公表して販 売するグループを昨年五月に設立した。毎月一回、季節の野菜を送り届ける。人づてに広まり、全国に八十世帯の新たな客ができた。
◇
大河原さん夫婦は長年、人形劇団を運営し、農閑期に県内各地を回っている。最近、直売所の仲間の宗像さん夫妻をモデルに新作をつくった。丹精したキノコを原発事故で奪われ、失意の中で老いていく夫婦の物語だ。
<山も川も元には戻らない。放射能は簡単に消えない。たくさんの涙が今も流されている…>
希望を抱かせる結末、ではない。これが現実だ。怖いのは、事故が忘れ去られること。「体の動く限り、私の反原発運動として上演し続けていく」
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