「北の山・じろう」時事問題などの日記

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(4)怒る 避難者分断、描けぬ未来<朝日新聞 2014年3月>

朝日新聞
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(4)怒る 避難者分断、描けぬ未来
2014年3月14日11時04分
http://www.asahi.com/articles/CMTW1403140600002.html

▼全文転載

 ◆ 責めるべきは東電・国

 福島原発被災者フォーラム山形・福島代表の武田徹さん(73)は怒る。「この国はどうしようもない」と怒る。

 自宅のある福島市は3年経ったいまも放射線量が震災前の10倍前後。「岩手、宮城の被災者はゼロからの出発。けれども、福島の人は未来を見通せない。なのに国は再び原発を稼働させようとしている。福島の人々はもっと言うべきなのに、ものが言えない」

 福島県で県立高校の英語教員を約40年勤めた。定年後、自宅のある福島市内で始まった穏やかな暮らしは10年で途切れた。震災翌日に「かいだこと のない金属臭」を感じ、その日の夜、家族で福島から逃げた。米沢市雇用促進住宅「万世宿舎」は仮住まいのはずだったが、この4月で丸3年になる。

 ◆ 喜べない帰還

 2棟からなる万世宿舎には、計100戸に約80世帯の避難者が入居していた。震災2年目に約45世帯、いまは32世帯と減った。が、喜んで帰還できたのではない。福島との二重生活で車のガソリン代でも月々3万~6万円。限界になっただけとみる。

 「いつまで避難しているんだ。会社に顔向けができない」。福島に残る夫や夫の家族にそう言われて帰った人、あるいは離婚した人たちを見てきた。

 昨年まで小、中学生2人の子と暮らしていた母親の場合、福島市で公務員をする夫の元へ泣く泣く戻ることになった。米沢の学校になじめなかった中学 生の子が先に戻って父親と暮らし、昨年10月、トラブルを起こした。「母親がついていないからこんなことになるんだ」「公務員のくせに自分の家族を避難さ せるなんて」などと責められたのだという。

 ◆ 弱者間で対立

 弱い者がさらに弱い者をいじめる。武田さんは責める相手が違うと怒る。「責められなければならないのは原発事故を起こした東電であり国だろう」

    ■

 万世宿舎に残る避難世帯は福島市の自主避難者と、南相馬市の避難者の半々。

 武田さんは南相馬市の避難者から白い防護服の人々の話を聞いた。震災4日目ごろだった。その集団は何も言わずこつぜんと消えた。福島第一原発の事 故で放射能汚染は拡大したが、住民への避難勧告は遅れた。「なぜ、あの時、『ここにいてはいけない。みんな逃げろ』と言わなかったのか」と年配の南相馬の 避難者は不信感を口にした。

 避難者は分断され、声はかき消されがちだ。武田さんが震災2年でフォーラムを立ち上げたのも自治会同様にまとまる必要性を痛感するからだ。

 放射能汚染がひどく帰還ができない地域の人々には1人当たり月10万円の賠償金が支払われている。武田さんのような自主避難者にはないが、6人いれば月に60万円。うらやましく思う人もいる。武田さんは、そうやって人々が分断されているように思う。

    ■

 2月下旬、知人の韓国人記者を案内し、福島第一原発から20キロ圏内の南相馬市小高区(旧小高町)に入った。交差点の信号機がむなしく動き、人口 が1万3千人あったまちがゴーストタウンと化していた。常磐線小高駅前の自転車置き場には、空気が抜けてタイヤがぺたんとなった自転車が何百台も並んでい た。

 「だから、私は彼に言ったんだ。『自転車にしゃべらせろ!』と。自転車の言葉をそのまま記事にしたらいいと」。もしも本当に自転車が話せたら何と言うだろうか。「自転車だって、放置されたつらさや恨みをきっと口にするだろう」(伊東大治)

 

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