「北の山・じろう」時事問題などの日記

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8月6日NHKスペシャル 「黒い雨」文字おこし(その2)<さつきのブログ「科学と認識」2012年8月>

さつきのブログ「科学と認識」

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8月6日NHKスペシャル 「黒い雨」文字おこし(その2)
2012/8/10(金) 午前 0:06
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▼全文転載

 

 

(前稿からの続き)
  「女性が被ばくした4930 mの距離では、初期放射線はほとんど受けていない筈だ。女性は市内をさまよっている間、黒い前が降った地域を数回通っている。この領域の放射線量が高けれ ば、症状が出るほどの被ばくをしていたかもしれない。」女性の名前は栗原明子。取材を進めると、この女性が今も広島に居ることがわかりました。

(広島)
 栗原明子さん、86歳です。当時、ABCCに事務員として務めていたため、ウッドベリー博士の調査の対象にもなっていました。原爆が投下された時、爆心地から5 kmの場所にいた栗原さん。その後、市の中心部にあった自宅に戻り、激しい急性症状が出たのです。

栗原氏:「髪といたら、櫛にいっぱい髪の毛が着いてくるから、おかしいねえと思って。だいぶ抜けましたね。」

 しかし、残留放射線の影響を疑っていたのはウッドベリー博士だけで、他の研究者に急性症状のことを話しても、全く相手にされなかったと言います。

栗原氏:「怒っ たように言われましたね。絶対にありえないって。そういうのは、二次被ばくというのは絶対にあり得ないからって断言されました。もう、矛盾してるなあ思っ たんですけど。ほんとにあの、体験して、私も体験して、他の人も体験した人を沢山知ってましたからね。なぜそれはちがうんかなあと思って、不思議でしかた がなかったんですけど。」

 ウッドベリー博士が報告書を書いた直前、アメリカは太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行っていました。日本のマグロ漁船第五福竜丸放射性物質を含んだいわゆる死の灰を浴び、乗組員が被ばく。死の灰の一部は日本にも達し、人々に不安が広がっていました。

ウッドベリー博士の報告書:「最近、日本の漁師が水爆実験の死の灰で被ばくするという不幸な事件がおきた。今、広島・長崎の残留放射線に対する関心は再び高まっている。この問題は、より詳細な調査を必要としているのだ。」

  原子力委員会のダナム氏は、こうした主張こそ、東西冷戦のさ中にあったアメリカの立場を悪くするものだと警告します。第五福竜丸事件の後、日本で反米感情反核の意識が高まっていました。1955年、広島では第一回原水爆禁止世界大会が開かれ、被爆者が、被害の実態と核の廃絶を訴え始めていました。

ダナム氏の手紙:「もし、ここでアメリカが引き下がれば、何か悪い物、時には共産主義の色合いのものまでが、広島・長崎の被害を利用してくるだろう。そうなれば、アメリカは敗者となってしまうだろう。」

 被害の訴えに強く対処すべきとの考えは、原子力委員会の中で当たり前になっていたと、ロックウェル氏は言います。

ロックウェル氏:「放 射線被害について人々が主張すればするほど、それを根拠に原子力に反対する人が増えてきます。すくなくとも混乱は生じ、核はこれまで言われてきた以上に危 険だという考えが広がります。私もアイゼンハワー大統領も考えていたように原子力はアメリカにとって重要であり、原子力開発にとって妨げとなるものは何で あれ問題だったのです。」

 1958年11月、原子力委員会の会議にダナム氏と広島から呼び寄せられたウッドベリー博士が出席、残留放射線の問題が議論されました。議事録は公開されていません。分かっているのは会議の一ヶ月後、ウッドベリー博士がABCCを辞職したことです。

 ウッドベリー博士の報告書には、こんな一節が残されてています。
「この問題は、ほとんど関心が持たれていない。私が思うに、何度も何度も、研究の対象としてよみがえっては、なんら看取られることなく、静かに葬りさられているのだ。」

 ウッドベリー博士が報告書の中で残留放射線の影響を指摘した栗原明子さんです。戦後、貧血や白内障など、さまざまな体調不良に悩まされ続けました。しかし、被ばく直後の急性症状も戦後の体調不良も、その後の研究で顧みられることはありませんでした。

  1975年、ABCCは組織改正されます。日本も運営に加わる日米共同の研究機関「放射線影響研究所」が発足しました。研究の目的に、被爆者の健康維持や 福祉に貢献することも加えられました。ABCCの調査を引き継ぎ、被爆者の協力のもと、放射線が人体に与える影響を研究しています。国は、放影研の調査結 果をもとに、被爆者の救済にあたってきました。原爆による病気と認められた人に、医療手当を支給する「原爆症」の認定制度です。

  救済の対象は、実質、初期放射線量が 100 mSvを超える 2 km以内。残留放射線の影響はほとんど考慮されてきませんでした。原爆症と認められている人は現在、被爆者全体の僅か4%、8,000人にとどまっていま す。被爆者は、自分たちの調査をもとに作られた国の認定制度との闘いを強いられることになりました。2003年から全国に広がった、原爆症の認定を求める 裁判。その中で被爆者は、半世紀以上も前の被ばくの影響を自ら証明することを求められたのです。

  原告の一人、萬膳ハル子さんです。爆心地から2.6 kmで被ばく、黒い雨に遭いました。訴訟が続いていた2005年、原爆症と認められないまま、肝臓癌で亡くなりました。遺族のもとには、戦後の貧しさの中 で学校に行けなかった萬膳さんが、国に訴える手紙を書くため、練習していた文字が残されています(注3)。自らの主張を必死に伝えようとしていた萬膳さ ん。それに対して国は、裁判で、被ばくの確たる証拠を示すようせまったのです。

 国側の裁判資料:「黒い雨を浴びたなどと供述しているが、それに放射性物質が含まれていた証拠はなく、肝臓癌の発症に影響を与えるとの知見も存在しない。脱毛などの症状も、客観的な証拠は存在しないうえ、考えられる被ばく線量からすれば、放射線による急性症状とは考えがたい。」

 萬膳さんが亡くなった翌年、黒い雨の影響を認める判決が出されました。しかし、それから6年が経った今も、国は、認定制度を抜本的に見直さず、黒い雨の影響についても認めようとしていません。

 30年以上、被爆者の治療にたずさわり、医師として原告団を支えてきた斎藤 紀(おさむ)さん。詳細な調査もせず、黒い雨の影響を無いものとしてきた国こそ、責任を問われるべきだと考えています。

斎藤氏:「そ の、初期放射線で説明つかない、国は説明つかないから被ばくは無かったんだと言ってるんですけども、まさに説明のつかない、放射線にもとづくと思われる症 状が多数、被爆者の中には認められていたんですね。その被害が無かったのかどうかは、その調査を突き詰めていくことによって、結果として出てくることで あって、その調査を突き詰めないで、被害が無かったというのは、あの、なんて言うか、科学の常道ではない訳なんですね。」

  解明されてこなかった、黒い雨が人体に及ぼす影響。放影研のデータが公開されない中、被爆地広島の科学者達が、独自の研究で明らかにしようと動き始めてい ます。広島大学原爆放射線医科学研究所(原医研)の大滝慈(めぐ)教授です。被爆者が癌で死亡するリスクについて分析してきました。大滝教授らは、被ばく した場所によって癌による死亡のリスクがどう変わるか調べていました。すると、意外な結果が得られたのです。初期放射線の量は距離とともに少なくなるた め、死亡のリスクは同心円状に減っていく筈です。しかし、結果は、爆心地の西から北西方向で、リスクが下がらない、いびつな形を示しました。初期放射線だ けでは説明のできないリスクが浮かび上がってきのです。

大滝氏:「まさか、そのお、同心円状ではないようなリスクの分布があるというようなことは、まさしく想定外だったと思うんですけど。」

  このリスクは、黒い雨によるものではないか。しかし、大滝教授らが使ってきた独自の被爆者データだけでは、確認できませんでした。3万7000人につい て、どこで被ばくしたか調べていますが、黒い雨に遭ったかどうかまでは尋ねていなかったからです。去年、放影研が黒い雨の分布図を公開してから、大滝教授 らは、新たな分析を試みました。被爆者が癌で死亡するリスク全体から、初期放射線などのリスクを取り去ります。すると、問題のリスクが姿を現しました。そ れは、西から北西にかけて爆心地より高くなっていたのです。これを、今回放影研が公開した黒い雨の分布図と合わせると、雨にあったと答えた人が多い場所と 重なったのです。

大滝氏:「や はりその、リスクが高くなっている地域というのは、黒い雨の影響を受けたんであろうということが、強く示唆されてるものと考えております。直接被ばく線量 以外の放射線の影響というものが、あまりにも軽視されてきたんじゃないかなということが、今回の我々の研究で明らかになってきたんじゃないかと思っていま す。」

 今年6月、大滝教授らのグループは研究成果を学会で発表しました。黒い雨によるリスクをさらに明確にしたい。大滝教授は、放影研が持つ黒い雨のデータを共同で分析したいと考えています。

  放影研は、ABCCが作成した9万3000人の調査記録をもとに、全ての被爆者を追跡し、どのような病気で亡くなったか調べています。国から特別な許可を 得て、毎年、全国各地の保健所に、新たに亡くなった被爆者の調査表を送り、死因の情報を入手しているのです。黒い雨に遭ったと答えた1万3000人につい て、死因の情報を分析すれば、黒い雨の人体への影響を解き明かせるのではないかと、大滝教授は考えています。

大滝氏:「黒 い雨の影響を研究する上で、世界に類を見ない、貴重なデータだと思います。まあ、可能な限り広い見方ができるような状況で、解析をするということが、デー タから真実を引き出す、必要条件だと思います。そうするとデータは、自ずと語ってくれるようになると思います。真実をですね。」

 こうした指摘を放影研はどう受け止めるのか。共同研究については、提案の内容をみて判断したいとしています。しかし、黒い雨による被ばく線量が具体的にわからない限り、リスクを解明することはできず、データの活用も難しいとしています。

放影研の大久保理事長:「可 能性があるというところまでは、ああそうですかということで、もちろんそうかもしれない。そうかもしれないだけで、それ以上のことは言えませんので、(リ スク分布が)歪むには歪むだけの、リスクの、死亡率の違いがある訳ですから、その違いを証明できるだけの、被ばく線量を、なんでも、推定値でもなんでいい から、それを出して頂かないとですね、放影研として一緒に、同じ土俵で議論することはできないということです。」

  今、私たちは新たな被ばくの不安に直面しています。去年起きた原発事故です。子供の頃、母親の背中で黒い雨をあびた佐久間邦彦さん。福島などから広島に避 難している母親達に、自らの体験を語り始めています。佐久間さんが繰り返し訴えているのは、事故の時、どこにいて、どう避難したのか、自分と子供の記録を 残すことです。被ばくの確かなデータがなければ、子供を守ることはできない。母親が答えてくれた、自らの黒い雨の記録を見せながら、語りかけます。

  広島・長崎で被ばくし、癌などの病気で苦しんできた被爆者達。長年にわたって集められた膨大なデータは、放射線に傷ついた、一人一人の身体を調べることに よって得られたものです。半世紀の時を隔てて明らかになった命の記録。見えない放射線の驚異に正面から向き合えるかが、今、問われています。
(おわり)
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注3)画面を通して、切実、願い、言葉、流産、子供、泣、失望、内蔵、苦しみ、忙しい、脈、程 などの文字を認めることができる。
 
 

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