「北の山・じろう」時事問題などの日記

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政府が隠蔽した原爆「黒い雨」がもたらした影響 その報告書 <とある原発の溶融貫通(メルトスルー)2013年06月>

とある原発の溶融貫通(メルトスルー)

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政府が隠蔽した原爆「黒い雨」がもたらした影響 その報告書

2013年06月
http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/7161797.html
▼全文転載

 

以下はジョージさんという方のブログ「-The Truth is Out There- 東電福島原発事故の真実 放射能汚染の真実 食物汚染の真実 正しい情報を求めて」からの引用です。

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公式には無いとされてきた原爆による「黒い雨」の影響を調査した論文が発見されました。

日本人とアメリカ人の共同執筆によるもので、広島、長崎の被爆者達がいかに冷酷に「実験研究対象」にされてきたかがよくわかり、読んでいて吐き気と悪寒をもよおします。

原爆を投下したアメリカ人だけでなく、ABCCと日本の放射線医学総合研究所(NIRS)の日本人達が、放射線の影響の研究のみに被爆者を使用した事実がこの報告書にもはっきりと書かれており、激しい衝撃を覚えます。

彼らが一切の治療を施さなかったのは明白であり、だからこそ現在でも被ばく時治療の方法がほとんど研究されなかった最初の原因がここにあります。

原爆症の認定も被爆者のほんの一握りに限定され、それ以外の病状で苦しんで亡くなった人々の健康被害はなかったことにまでされたわけですから、治療方法など開発できるはずもありません。

日本政府は「黒い雨」による被ばくの証拠は無いと言い張りますが、このレポートには「黒い雨」が人々をどのように苦しめたかがはっきりと書いてあります。

だからこそ、政府は隠蔽を図った訳です。

このようなやり方に私は激しい憤りを感じます。

隠蔽された報告書をお読み下さい。

この報告書を発掘、翻訳してくださった @sivad さんに深く感謝します。

AN EXAMINATION OF A-BOMB SURVIVORS EXPOSED TO FALLOUT RAIN AND A COMPARISON TO A SIMILAR CONTROL POPULATION
Hiroaki Yamada and T. D. Jones DEC 1972
OAK RIDGE NATIONAL LABORATORY

ABCC(原爆傷害調査委員会)およびオークリッジ国立研究所の内部資料『オークリッジ・レポート』
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20120820/p1 より

 

途中省略(画像)

http://livedoor.blogimg.jp/home_make-toaru/imgs/6/7/67e9afdc-s.jpg

ほか

 

http://www.survivalring.org/classics/ExaminationOfA-BombSurvivorsExposedToFalloutRainAndComparisonToSimilarControlPopulations-ORNL-TM-4017.pdf

放射性降雨に晒された原爆生存者の調査および類似対照群との比較(オークリッジ・レポート)
ヒロアキ・ヤマダ(a)  T. D. ジョーンズ

1972年12月

オークリッジ国立研究所

ユニオンカーバイド社

米国原子力委員会

本 報告書は米国政府機関によって発起された研究のための報告としてまとめられたものである。この文書によって公開される情報、装置、製品及び工程の正確性、 完全性そして有効性に関して、米国、米国原子力委員会及びその職員、下請け/孫請け契約者およびその従業員がなんら保証するところではなく、法的責任を負 うところではない。また、この文書の使用が私有の権利を侵さないことを示すものではない。

アブストラクト

1947年頃か ら、原爆生存者のうちで放射性降雨を経験しながらも身体上面凸部(頭や肩など)にベータ線熱傷の症状を見せなかった人々は、放射性降下物から深刻な被曝は 受けなかったと考えられていた。しかし、原爆傷害調査委員会(ABCC)の生存者調査プログラムにおいて集められたエビデンスは逆を示している。本文書 は、容易に入手可能な情報を検証することで、それ以外においては軽微な被曝を受けたのみである集団に対する放射性降下物の影響を、より詳細に調査分析すべ きか否かの結論を確立しようとするものである。

背景と目的

広島と長崎のABCCは、1947年に設立された 患者観察及び診察プログラム を通して、潜在的及び遅発性の放射線誘発性作用のほとんどを研究してきた。ABCCは、放射線の遅発性作用の詳細な研究にその使命を限定し、研究努力をこ の領域に集中させたため、これら遅発性の放射線誘発性作用(b)に関する研究は徹底しており(1-3)、詳細に報告されている。この限定に関する理由はそ れなりに明白であるため、ここでは論じない。 

オークリッジ国立研究所(ORNL)によって確立された、広い基盤を持つ線量計測プログラ ムと、日本の放射線医学総合研究所(NIRS)による、基盤は限定されるものの独立したプログラムによって、生存者のほとんどにおいて原爆の爆発”当初” に受けた被曝線量(c)を正確に推定するための技法が提供された。

[a] ABCC(日本・広島)より出向中のコンサルタント

[b] 放射線誘発性作用(Radiation-inducible effectsとは、通常より高い発生率を示している作用を指す。

[c] 本報告書における被曝線量は初期放射線の量のみを示す。”黒い”雨による被曝量の数値的評価は試みられていない。

生存者はそのほかにも

a) 爆心地近くの誘導放射能地域に留まること、および/または

b)「黒い」放射性降雨があった、離れた地区の一つにいること

によって被曝した可能性がある。

これまで、これらによる被曝のレベルは極めて低いと考えられてきたため、ほとんどの個人の被曝量においては副次的な因子としか考えられてこなかった。

ア ラカワ(6)によって算出された、爆心地近くの誘導放射能による被曝量の可能最大値(予測最大値ではない)はそれ自体極めて低いものであったが、それでも 誘導放射能から”予測される”被曝量としては、おそらく非現実的に高すぎるものだろう と考えられていた。周辺地域にいた人々が、即座に爆心地に向かって移動を始め、原爆に起因する火災が発生してる間そこに留まったとは考えにくい。そんな中 「黒い雨」の問題は巨視的視点においてのみ考慮されてきており、通常では副次的な影響しか持たないものと――あるいは早まって――見なされてきた。

「黒い雨」は 爆心地から 離れた地域のいくつかに不規則的な形のパターンで、主に初期被曝量が極めて低い人々の上に降ったため、これらの人々のほとんどにおいては、放射性降雨が一次的な被曝経路となった。

生 存者の中でぱらぱらとした小雨や軽い霧雨以上の降雨を経験した人々の皮膚や衣服からは、微粒子がすばやく除去されたと予測されていたが、この考えを否定す るような異常が観察されている。そうではなく、軽い降雨によって付着した微粒子の一部は洗い流されて髪や衣服の中に捉えられ、生存者各個人の被曝線量には 大きく貢献した可能性がある。ただし、身体上面凸部(頭や肩など)にベータ線熱傷(d)の症状を見せなかった人々における「黒い雨」による被曝量は極めて 低いと考えられてきた。ABCCの医療観察記録のいくつかが提示するエビデンスは、そのような仮定の正確性に対し少なからぬ疑いを投げかけている。

[d] 核分裂生成物の崩壊においては、放射性崩壊の各段においてβ粒子が放出される。核分裂生成物崩壊のおよそ半分においては光子が作られるが、この割合は時間 とともに変化する。光子はより強い貫通力を持ち、体内臓器への放射線による”傷害”にはより大きく貢献する。ベータ線熱傷は粗い生物学的線量評価法として 用いられる。

「黒い雨」に晒された生存者の分類

ORNLは11,915件の広島生存者及び2,046件の長崎生存者の遮 蔽記録(Shielding history)のマイクロフィルムコピーを保持している。初期被曝時(ATE)に爆心地から1,600m以上離れた場所にいて、程度に関わらず放射性降 雨を経験した生存者(広島では222件)がこの遮蔽記録群から選別された。可能な限り多数の”黒い”雨生存者[の記録]が望まれた結果、ABCCのコン ピューターにあるリストからさらに65件が発見された。長崎に関しては、ABCCのコンピューターリストから82件のみが発見された。マイクロフィルムの 記録における生存者は全て雨から厳重な遮蔽構造によって守られてていたため、そちらからは一件も選出されなかった。

 

途中省略(画像)

 

放射性降雨の生存者たちに関するデータは、調査の機構を簡素化するためにコード化されてIBMカードにパンチングされた。コード化手順の概要を以下に示す。

[e] それぞれの生存者に関する個別のテープに記録された位置データ

[f]   座標の読み取りには、米国陸軍Army Map Service(ワシントンD.C.)のHiroshima-AMS L902 138449 9-46 1946を使用した。xxxx.xxという座標表記は通常、xx.xxと最初の2桁を省略して表記されるが、本報告書では3桁を省略して、x.xの形式で コード化されている。例えば、「1302.54」は「2.5」としてコード化されている。

[g] 本レポートの複数個所に「情報なし(No information)」の記載がある。これは、条件は適合したが記載が不十分だったことを意味する。

対照群生存者の選択について

広 島の放射性降雨の被曝者として選択された生存者の総数が少なかったため(287例)、衣服の種類と量、放射性降雨の強度と微粒子残留量に基づいて、被曝状 況の偏差を統計的に解析することはできなかったが、これらの分類に基づいてまとめた結果を表1、表4、表5に示す。ORNLは広島の生存者75,100 名、長崎の生存者29,400名に関するABCC記録の磁気テープのコピーを所有している。対照群は、これらの磁気テープ記録から、同様の周辺地域にお り、放射性降雨には遭遇しなかったが、同程度の初期被曝を受けた人々が選択された。対照地域は、広島南東部において以下の基準で選択された。

1.座標

4500<横座標<5000

5600<縦座標<6100

2.被曝距離

爆心地から1600m以遠

「黒い雨」生存者および対照群における放射線の作用を、表2、表3、表6、表7、表8、表9にまとめた。

 

途中省略(画像)

 

[g] 放射線被曝による大症状を一つ以上経験した生存者のほとんどは、小症状も一つ以上経験しているであろうと思われるが、記録からはこのことは導き出せないよ うだ。この表面上のアーティファクト(人為的な結果またはミス)はいくつかの理由によるものと考えられる。(1)大症状に気を取られ、小症状に気がつかな い(2) インタビュアーが、大症状がある場合に小症状を記録しなかった(3)いくつかの小症状は、大症状より反応閾値が高いなどである。「黒い雨」生存者群から 236名を大症状と小症状の記載があるものとしてリストアップした[訳注"from the control population of 16045 cases"「16045例の対照母集団から」の記載があるが、明らかに文脈からおかしい]。

[h]この調査は236名の生存者を対象にしている。対照群16045名において、初期被曝量が20radを超える者がいなかったため、「黒い雨」群においても初期被曝20radを超えた者は詳細な検討に含めていない。

[i]発症したが、発症日や発症機関などのデータが不足しているもの。

 

途中省略(画像)

 


まとめ

広島において、初期放射線による被曝レベルが低かったとされる範囲内で「黒い雨」に遭遇した生存者については、287名分 の文書記録しか残されていない。一方、対照群についても同様に、爆心地から1,600m以上離れた場所にいた生存者が選ばれたが、彼らは観察可能な放射性 降雨が確認された周辺地域にはいなかったとという点で「黒い雨」群の生存者とは条件が異なっている。

この対照群を構成する生存者は 16.045名で、この中には、初期放射線による被曝量が20rad(1rad=10mGy)を上回る例は含まれていない。そのため、作表および分析の対 象となったのは、被曝した初期放射線20rad以下の人のみであり、これを「黒い雨」生存者287名に当てはめると236名が該当する。

「黒 い雨」生存者群が小規模なため、本報告書のいくつかの表のデータは、微粒子沈着と急性被曝症状とを関連付けるには十分ではない。しかし、通常の予測を上回 る放射線誘発性の健康異常を訴えた特定の生存者を対象に放射性降下物の研究を行うにあたっては、有効な情報ソースとなる可能性がある。

本調査の「黒い雨」生存者の人数に限りがあるため、次に示すような、当初の仮説を検証することは非常に困難である:

「わずかな放射性降雨によって最初に沈着した微粒子は、その後に降った雨によって生存者の体からすぐに洗い流された。つまり、放射性降雨は二次的な被曝形態であり、放射線損傷を受けたすべての生存者に対してほとんど影響を及ぼすことはなかったと考えられる」。

「黒 い雨」群は規模が小さいため、部分群のサイズを最大化するように、放射線症状を分類することが望ましい。ただし、生存者の中には軽微な症状(小症状)を示 すもの、顕著な症状(大症状)を示すもの、その両方を示すものが存在するため、こうした作業はそれほど簡単ではない。

筆者としては、非対 称な部分群同士のデータを結び付けるのではなく、この調査から読み取れる情報は、表10のようなネガティブアプローチによってこそ、よりわかりやすく提示 されるものと考える。この表10では、「黒い雨」群(EP)と対照群(CP)それぞれにおいて、主および/または二次的な初期放射線作用に対して観察可能 な反応を示さなかったことが報告されている生存者数が比較されている。

 

途中省略(画像)

 

個別の発症比率の値については信頼性の低いものもあるが、全体的には明確な傾向が現れている。中でも、発熱(EPの13.56%)、下痢(EPの22.04%)、脱毛[m](EPの68.64%)の発症比率10、22,15はかなり正確であると考えられる。

[m]:これらの症状を選択した理由としては、その発症率が非常に高く、「黒い雨」生存者のかなり大きな部分母集団を含んでいたことが挙げられる。

嘔吐や非血性下痢はしばしば興奮やストレスによって誘発されることを考慮したとしても、表11に示す症状の発症率からは、「黒い雨」生存者においては顕著な「見込み」ガンマ線被曝量に比べても、ベータ線被曝量がきわめて高かったことが示唆される、と結論づけられるだろう。
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事故現場からは未だに放射性物質が出続けており,絶えず空気中を漂っています。

それを地表に届けてしまうの殆どの原因は降雨です。

これから降雨の時期に入ります。

特にお子さんには雨具の携帯を徹底しましょう。