「ガリンシャ(ブラジル)」と言う名選手を、ご存知ですか?
明日は、予選第2戦ギリシャ戦です。
明日、勝てなかったら日本代表と監督は覚悟してくださいネ?
一応、我慢していたことが「爆発だ~~??」
※それは、余計なことで「ガリンシャ」選手です。
ブラジルでのワールドカップですから、取り上げます。
サッカーの王様と言えば、「ペレ」ですネ。
「ペレ」と同じ時代にブラジルに「ガリンシャ」と言う名選手がいました。
日本で言うと、釜本さんと杉山さんの関係に似ています。
ブラジル国内では、ペレ選手と同じくらい有名で、今でも人気があるそうです。
「天才」と言う言葉は、「ガリンシャ」のためにあるような気がします。
一人でワールドカップで母国を優勝に導いたと言う意味では、マラドーナ選手とも共通する部分があります。
詳しくは、「Wikipedia」の記述をご覧ください。
本人は、大してサッカーに興味がなく入団テスト自体をさぼっています。
そして、やっとプロ・チームの入団テストを受けたのが19歳のときだそうです。
それまでは、遊びでやるストリートサッカーしか経験がなかったようです。
以下、「Wikipedia」から一部引用
1953年6月10日[13]、19歳の時、ボタフォゴFRに所属するDFアラチ・ペドロ・ヴィアナの説得が実り、ボタフォゴの入団テストを兼ねた練習に参加。既に19歳という年齢に達していたため下部組織の練習ではなく、トップチームへの参加となった。この際に当時のブラジル代表DFのニウトン・サントスが練習相手となったが、これをトリッキーなドリブル(股抜き)で何度も翻弄した[12]。ニウトン・サントスは「彼と直ぐに契約してくれ。彼のマークにつくのは真っ平御免だ」とボタフォゴの役員に直談判[3]、クラブ幹部もガリンシャの才能を恐れ、この日のうちに契約に至った[13]。
ボタフォゴではデビュー戦は同年7月19日のリオデジャネイロ州選手権のボンスセッソFC戦[13]。この試合で右ウイングとして先発出場したガリンシャは1-2の劣勢からハットトリックを決めて6-3の逆転勝利に貢献[13]すると、レギュラーに定着していった。1957年のリオデジャネイロ州選手権では優勝のかかったフルミネンセFCとの一戦で4アシストの活躍。6-2のスコアでフルミネンセを下し優勝に貢献するとクラブに9年ぶりのタイトル獲得に導いた。
以上、引用終わり。
信じられますか??
そして、ペレとともにブラジルを代表する選手になります。
「ガリンシャ」には、ハンデイがあります。
以下、「Wikipedia」から一部引用
6歳の時にポリオ、俗に言う小児麻痺にみまわれた。ガリンシャの家は貧しく医者にかかる金などはなかったため一人の無名の若い医者が無料で手術を施した[7]。
その結果、彼の背骨はSの字状に歪曲し両足が同じ方向にねじ曲がった。以後も軽度の知的障害が残り、小児麻痺の影響で左右の足の長さが異なる(右足が左足より6cm長かった)ハンデを背負うことになった[4]
1958年のワールドカップスウェーデン大会で代表に招集された。しかし過去2大会での経験を踏まえて招聘した心理学者により行われた心理テストにおいて攻撃性の欠如、知能テストから「13歳の知能しか有していない」[7]という低い結果報告がされたことで、監督のヴィセンテ・フェオラはガリンシャの起用を躊躇するようになった[7]。
以上、引用終わり。
引退後は、アルコール依存症となり、1983年1月20日肝硬変により死亡。
49歳の若さでした。この辺りもマラドーナ選手と似ています。
「ガリンシャ」には、もう一つエピソードがあります。
正確には、二人のエピソードと言うべきでしょうネ?
二人目の妻です。その後、離婚に至ります。
その女性が、「伝説的歌手エルザ・ソアレス」です。
事実は小説より奇なり…伝説的歌手エルザ・ソアレスの壮絶な人生と歌
http://matome.naver.jp/odai/2140275799431277201
「エルザ・ソアレス」もブラジル国内では、圧倒的な知名度があるようです。
Elza Soares - Wikipedia, the free encyclopedia
日本語では、検索しても出てきません。
亡き「ガリンシャ」のために、今回はブラジル・チームに優勝して欲しい。
と私個人は、願っています。
せっかくの、ワールドカップですから??
みなさんも、インターネットを穿り返して??
「にわかサッカーファン&つう(通)」になってくださいネ??
4年に1回で、かまいませんから???