「北の山・じろう」時事問題などの日記

 ☆今は、無きブログのタイトル☆ 『取り残された福島県民が伝えたいこと』 管理者名 「取り残された福島県民」 当時のURL>http://ameblo.jp/j-wave024/

国会事故調に虚偽説明、すでに3兆円超の税金投入決定――情報隠蔽の東電は国有化を

週刊金曜日ニュース
トップ>http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/
国会事故調に虚偽説明、すでに3兆円超の税金投入決定――情報隠蔽の東電は国有化を
2013 年 3 月 7 日  4:57 PM 
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=3008
▼全文転載


 東京電力が国会事故調査委員会(解散)に対し虚偽の説明をしていた問題で、二月一二日に衆議院予算委員会に参考人招致された廣瀬直己社長 は組織的関与を否定した上で、「とうぜん社長が関与すべき問題だと思う」と発言。当時の勝俣恒久会長や西澤俊夫社長まで決裁が上がっていたのかどうか調査 すると答弁した。

 しかし東電の調査は、遅々として進んでいない。七日の東電の会見で尾野昌之原子力・立地本部長代理は、上層部の関与について「調査中である」として明らかにしない。第三者による検証委員会を設置したが、結論をいつ出すのかは明確にしていない。

 虚偽説明問題は七日付の『朝日新聞』が朝刊一面で、「東電、国会事故調に虚偽」の見出しを掲げ、東電が国会事故調査委員会に対し虚偽説明をしたと 報じたことが発端。福島第一原発1号機に設置されている非常用復水器の現地調査を要望した国会事故調の田中三彦元委員に対し、連絡調整を担当していた東電 の玉井俊光企画部部長(当時)が、原子炉建屋の内部は「真っ暗」と説明。田中氏はそれを理由に内部調査を断念したが、実際は真っ暗ではなかったというの だ。

 同日、田中氏は記者会見を開き、東電は「国会を愚弄した」と批判。田中氏によれば、東電の玉井氏は、一一年一〇月に撮影したビデオを見せながら現 場の状況を説明した。ビデオでは原子炉建屋の中にも光が当たっている場所があったが、玉井氏は「今は(1号機には)カバーがかかっているので真っ暗。暗い のでパニックを起こすかもしれない。足を踏みはずして二一メートル下まで落っこちる可能性がある」などと述べ、「どうしても行くなら建屋入り口までは案内 するので、勝手に入ってやってほしい」と言ったという。

 ところが実際は、ビデオはカバーが設置された後に撮影されたものだった。このため田中氏は、虚偽説明の事実確認と、現場の再調査を国会に要請し た。これに対して東電は、即座にホームページに反論を掲載。説明の誤りは認めたが「何らかの意図をもって虚偽の報告をしたことはない」とした。

 翌八日の東電会見では虚偽説明に関する質問が相次いだ。東電の尾野本部長代理は、玉井氏の誤認が原因だったとし、組織的関与を否定。ホームページ に「意図はなかった」と記載した根拠は玉井氏からの聞き取りだと説明した。しかし、玉井氏だけの責任だったとすると、事故調の窓口をしていた担当者が現場 や上司に確認もせず、対応していたことになる。そんなことがありえるのだろうか。

 かりに玉井氏個人の責任だった場合は、国会事故調の報告書の信憑性に疑義が生じることになる。玉井氏は事故調との調整だけでなく、事故後の経緯や技術的な問題についても説明していたからだ。

 さらに会見では、下河邉和彦会長や廣瀬社長らの会見出席を求め、現経営陣の認識を問う声も上がったが、尾野氏は「ご意見として承る」と述べるに留まった。

 そんな中、一五日に東電は、一二年一一月に非常用復水器の現場調査をしていたことがわかったとして映像を公開した。これまで、一一月に現地調査をしたという説明はなかった。

 非常用復水器は、交流電源がなくなっても蒸気の力で原子炉に水を送って冷却を続ける装置。国会事故調の報告書は、地震によって非常用復水器の配管 に損傷ができた可能性を指摘していた。もし地震による配管破断などがあったとすると、耐震基準の見直しにつながり、再稼働に大きな影響を及ぼすことにな る。東電は、自社の事故調査報告書で地震による影響を否定している。

 いったい福島第一原発では、今、何が行なわれているのか。情報はいまだに東電が独占し、東電が取捨選択して、都合のいいものだけを公表することが続いている。すでに三兆円を超える税金の投入が決まっているにもかかわらずだ。

 このまま東電が存続すれば、東電の言いなりに税金を注ぎ込むことになりかねず、私たちが東電に隷属することを意味する。今すぐ東電に情報公開を義務づける法律を制定するか、東電を完全に国有化する必要があるのではないか。

(木野龍逸・ジャーナリスト、2月22日号)
週刊金曜日ニュース
トップ>http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/
PR
週刊金曜日」はこんな雑誌です
http://www.kinyobi.co.jp/consider/about/about_index.php
定期購読にはワケがある
http://www.kinyobi.co.jp/consider/consider_reason.php
ご契約の詳細はこちらをご覧ください
http://www.kinyobi.co.jp/consider/consider_faq_index.php

3年内に原発再稼働 首相答弁「代替エネ獲得まだ」<東京新聞 TOKYO WEB>

東京新聞 TOKYO WEB
トップ >http://www.tokyo-np.co.jp/
3年内に原発再稼働 首相答弁「代替エネ獲得まだ」
2013年3月8日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013030802000143.html
▼全文転載


 衆院予算委員会は七日午後、安倍晋三首相と全閣僚が出席し、二〇一三年度予算案に関する基本的質疑を続けた。首相は、施政方針演説で原発を再稼働 させる考えを明言したことに関連し「この三年で再稼働させるものは再稼働させる。安定的な電力をしっかりと得ることが経済成長、安心できる生活にもつな がっていく」と重ねて強調した。

 「三年」は施政方針では触れていなかったが、自民党の衆院選公約「再稼働の可否は三年以内の結論を目指す」に沿った答弁で、政権として原発維持の 姿勢をさらに鮮明にした。首相は再稼働への手続きとして、原子力規制委員会による安全確認が前提との方針をあらためて説明し「原発比率を低減させていくの は目指すべき方向だが、今の段階では代替エネルギーを獲得していない」と指摘した。

 首相は「三年でできる限り再生可能エネルギー(の普及)、イノベーション(技術革新)を促すために国家資源を投入し、原子力の代替エネルギーにしていく」とも述べた。

 一二年度補正予算と一三年度予算案に盛り込んだ公共事業費に対し、バラマキとの批判が出ていることには「地域の成長力、生産性の向上につながるものを厳選し、今回の予算に盛りこんだ」と反論した。
東京新聞購読のご案内】
http://www.tokyo-np.co.jp/koudoku/

東京新聞 TOKYO WEB トップ >http://www.tokyo-np.co.jp/

 

 

☆ホームページのご案内
福島第1原発事故と原発問題、チェルノブイリ原発事故関係情報案内所
福島原発事故と放射能環境汚染・食品汚染・健康被害、チェルノブイリ関連情報案内所

放射性物質:高線量域20年後も 政府、初の予測地図公表<毎日新聞>

★図面です。計7枚。URLからご覧ください。

毎日新聞

ホーム>http://mainichi.jp/
放射性物質:高線量域20年後も 政府、初の予測地図公表
12年3月末の空間線量率の予測図
http://mainichi.jp/graph/2012/04/23/20120423k0000m010076000c/002.html


関連記事
特集ワイド:訂正続き、信頼失墜 放射性物質拡散予測地図 「最悪」想定、もっと公開を
毎日新聞 2012年11月26日 東京夕刊
http://mainichi.jp/feature/news/20121126dde012040013000c.html

1537 ・「脱原発こそ最良の防御だ」と、朝日の社説が力説<生き生き箕面通信>

生き生き箕面通信
トップ>http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt
1537 ・「脱原発こそ最良の防御だ」と、朝日の社説が力説
2013-03-08 06:58:18 | 日記
http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt/e/888cc5b76944ce40331f3f85905c46ad
▼全文転載


おはようございます。                                                                              生き生き箕面通信1537(130308)をお届けします。

・「脱原発こそ最良の防御だ」と、朝日の社説が力説

 「原発は、テロやミサイル攻撃から守れるのか」は、以前から気がかりな問題でした。日本の原発は大量の冷却水を必要とすることから、海水利用のた めすべて海岸に造られました。だから、海からのミサイル攻撃などにほとんど無防備という弱点があったのは、誰にも分かることことです。ただ、簡単に答えが 出せないため、例によって日本流の「この問題はないことにしよう」と、できるだけ考えないできたのです。

 いや、実際にはアメリカまで行って、「原発の守り方」を勉強してきました。アメリカでは、レーザー銃で武装した警備隊があり、「9・11」の同時 多発テロ後は国内104基の原発のさらなる警備を義務づけたそうです。しかし、それでも十分ではないのが、悩みの種。コンピューター内に侵入してかく乱す るサイバー攻撃には、銃は全く役に立ちません。

 朝日新聞の本日3月8日の社説は、「日本では、原発内で働く作業員の身元も精査されていない実態が報告された」と指摘。未確認情報ながら、北朝鮮の労働党幹部が「ミサイルで日本の原発を攻撃すれば、広島型原爆の320倍の爆発が起こる」と講演したとも伝えました。 

 そうした多くの弱点を持つ原発に対し、この社説は「どうすべきなのか」と問い、「やはり、原発をできるだけ早く減らしていくしかない」と、結論づ けています。見出しは、「脱原発こそ最良の防御だ」。朝日は「テロやミサイル攻撃から原発を守るのは、簡単じゃないか。原発をなくせばいいんだよ。なんで そんな簡単なことが分からないの」と、いっているのです。

 安倍首相は、脱原発の意味が分からないどころか、原発再稼働をもくろみ、新設さえほのめかしています。そのうえで、「国民の安心、安全を守るの が、政府の役割」と、しゃあしゃあといってのけます。ついでながら、前の野田佳彦(わるひこ)という首相も、「消費税を上げない」と公約しながら、しゃあ しゃあと上げて、ウソつき首相の面目躍如でした。日本にかぎらず、権力を握ったものは、ウソをつくものです。国家権力に対しては性悪説の立場で監視する必 要があります。

 カギは、国民の草の根の力であり、有権者の民主主義を生かすパワーです。そのためには、少しめんどくさいのですが、立ち上がることが避けられません。自分の頭で考え、自分の足で立ち上がりましょう。それしか、権力者からこの国を守る方法はないですよね。

生き生き箕面通信
トップ>http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt


◎ご参考
★阿修羅♪
テロとミサイル攻撃―脱原発こそ最良の防御だ 朝日新聞社
2013 年 3 月 08 日 
http://www.asyura2.com/13/senkyo144/msg/804.html
▼全文転載

http://www.asahi.com/paper/editorial.html
2013年 3月 8 日(金)付 朝日新聞社


 原発テロを想定した訓練を請け負う会社が米国にある。

 レーザー銃で「武装」した模擬部隊を編成し、実際に原発に突入する。迎え撃つのはやはりレーザー銃を持つ発電所の警備隊。レーザーが当たれば相手は倒れる想定だ。テロリストに原発が占拠されるか、警備隊が勝利して安全を守りきるか。

 米原子力規制委員会(NRC)が最低3年に1回、原発で行う「フォース・オン・フォース」という訓練だ。

 演習後、NRCは徹底的に発電所の成績を評価する。

 2001年9月11日の同時多発テロ以来、米国では原発へのテロを警戒し、全電源喪失に備えた機材の追加と訓練の強化を104基の原発に義務付けた。

 今、それでもテロ対策として十分ではないという声がある。福島第一原発の事故が敵に弱点をさらけ出したからだ。

 バックアップ機能も破壊し水と電気を遮断すればテロリストは福島の危機を再現できる。

 使用済み核燃料の貯蔵プールが原子炉格納容器の外にある原発は、安全確保が不十分である。米NGO「憂慮する科学者同盟」の上級研究員、エドウィン・ライマン氏は福島が示したアキレス腱(けん)をそう指摘する。

■次の脅威への備え

 米国の原発は、脅威の大きさに応じて設計基準を見直す「DBT」(設計基礎脅威)という考え方をとる。

 テロや事故で原発の弱点が明らかになれば脅威のレベルはあがり、基準が修正される。福島の事故の後、NRCは改善策の導入をすすめている。

 サイバー攻撃への警戒も高まる。システムに侵入され、電源系統の遠隔操作によって冷却機能がまひする恐れもある。

 9・11以後、施設の改善に業界全体で12億ドルをかけたという米原子力エネルギー協会(NEI)は「世界貿易センター(WTC)に比べて核施設は小さく、飛行機によるテロ攻撃は困難だ。サイバー対策はネットを外部から孤立させれば心配ない」と説明する。

 しかしサイバーテロに詳しい米科学者連盟のチャールズ・ファーガソン会長は「USBメモリーを持ち込めば、システムをウイルス感染させることはできる。相手は表も裏もある人間なのだから」と警鐘を鳴らす。

 高まる脅威にどこまで対策を打つか。国際テロの再発防止に大国の威信をかける米国ですら、見えない敵への対処法は暗中模索である。

■ジレンマの中の日本

 2月、日本の原子力規制委員会の緊急事態対策監がNRCを訪ねた。7月に策定する原発の新安全基準の骨子を説明し、意見を求めるためだ。

 新基準の柱の一つがテロ対策だ。航空機激突で全電源が喪失する。その時に備え、原子炉を冷却するため電源設備を分散して配置する。100メートル以上離れた所に第2制御室も必要――。

 これらの過酷事故対策を、今までのように電力会社まかせにせず、法律で義務化する。

 日本はすでに国際原子力機関IAEA)の核物質防護勧告に基づき、立ち入り制限区域の設定や重要施設周辺の柵、カメラなどの設置を進めてきた。

 だが、今月4日に開かれた規制委の核セキュリティーに関する検討会の初会合では、原発で働く作業員の身元も精査されていない実態が報告された。

 日本は他国から核セキュリティー後進国とも指摘される現状を、まず認識する必要がある。

 他方で、民間警備員も武装する米国方式をそのまま導入するのは無理がある。では、どんな危機対応が最適なのか。ジレンマの中にある。

■核燃料は特殊容器に

 「ミサイルで日本の原発を攻撃すれば、広島型原爆の320倍の爆発が起こる」。北朝鮮の朝鮮労働党幹部がこう講演したと、韓国のネットメディアが昨秋、報じた。

 真偽は定かではない。だが現実に日本海沿岸のものを含めて多くの原発が、北朝鮮の中距離弾道ミサイルの射程内に入る。

 2007年、イスラエル空軍の戦闘爆撃機がシリアに侵入、東部の核施設を空爆したとされる。原発攻撃は、あり得ない話と切り捨てられない。

 国内の原発などには1万数千トンの使用済み核燃料がある。原発を再稼働すれば、新たに使用済み核燃料が出てくる。

 どうすべきなのか。100%の迎撃率を望めないミサイル防衛に命運はあずけられない。テロ対策を無限に拡大するわけにもいかない。

 リスクを減らすには、やはり、原発をできるだけ早く減らしていくしかない。同時に、プールにある使用済み核燃料を空冷式の頑丈な容器に移し変えていくことも必要だ。

 安倍政権は、民主政権の「30年代の原発ゼロ」の白紙化を強調する。再稼働にも前向きである。原発攻撃へのリスクをどう考えてのことだろうか。


★管理人の考え
日 本を攻撃するのに、核ミサイルは必要ありません。通常ミサイルを原発に撃ち込めば、福島以上の惨劇が発生します。「日本の原発は、ミサイル攻撃に耐えられ る」とされてきました。しかし、それは格納容器の話であって、実際には周辺設備を破壊されたなら、原子炉は一気に暴走することが、福島原発事故で明らかに なりました。多分、ミサイルを所有する近隣の敵性国家は、それをシッカリ確認したはずです。しかも、原子炉だけでは、ありません。現在も、4号機使用済み 核燃料プールは、きわどい状況が続いています。応急の工事は施されていますが、原発近くで大規模な余震が発生した場合は、果たして無事か??どうか??? かなり疑問です。

と言うことは、???
そうです。
原発だけではなく、使用済み核燃料が大量に保管されている、使用済み核燃料の共用プールにミサイルを打ち込まれても、大規模な放射能拡散が起きるのです。
福島燃料プール危機の教訓
http://kakujoho.net/npp/pool.html

更に、危険なことがあります。小規模な特別攻撃部隊を送り込まれ、原発を攻撃された場合も、防御の手段がありません。海岸にある日本の原発にテロ攻撃を仕掛けるのは、その道のプロにはそれほど難しい任務ではありりせん。

実際にドイツ議会で、原発へのテロ攻撃を防げるかどうか??検討されたそうです。
結論は、防御不可能でした。私の過去ブログに関連記事を掲載したことがあります。現在、パレスチナなどで使われている「比較的簡単に持ち運びの出来る」ロケット弾の威力は、射程2km、5メートルの鉄筋コンクリートを貫通する威力があるそうです。
ドイツの脱原発を実現したZDFフィルム『原発政策の間違い』
http://d.hatena.ne.jp/point-site-play/20120430/1335715469

つまり、通常ミサイル攻撃にも、少人数の特別編成の攻撃部隊による破壊工作に対しても、原発を防御することは、不可能なのです。

 

 

☆ホームページのご案内
福島第1原発事故と原発問題、チェルノブイリ原発事故関係情報案内所
福島原発事故と放射能環境汚染・食品汚染・健康被害、チェルノブイリ関連情報案内所

(1)レベル7/25年後の福島なのか 生活消えた街、既視感「河北新報」連載特集

河北新報」連載特集二つの被ばく地」から全文転載

河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/
(1)レベル7/25年後の福島なのか 生活消えた街、既視感
2012年08月15日水曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1107/20120815_01.htm
▼全文転載


大事故を起こしたチェルノブイリ原発4号機。手前は記念碑で見学者が通常最も近づける300メートルの地点にある=ウクライナ北部
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2012/20120815012jd.jpg
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2012/20120815013jc.jpg

<3500人事故処理>
 2012年7月、ウクライナ北部。鉛色の巨大な構造物は薄曇りの空と溶け合って立っていた。チェルノブイリ原発4号機。1986年4月に世界最大級の原子力事故を起こした。
 初めての場所なのに既視感が強い。本やテレビ、新聞で見た世界史の現場だからか。それだけが理由ではない。私が福島から来たせいだ。
 直方体の建屋が幾つも連結した姿、大きな煙突、立ち入り禁止区域と検問、生活が消えた周辺の街。似た風景を昨年3月以降、何度も見た。状況の一つ一つに、8000キロ離れた福島第1原発と被災地が重なる。
 原発構内の人影は案外多い。運転時は7000人が働き、現在も3500人が事故処理に当たる。談笑する半袖の男性や、芝刈り機を動かす女性。表情に26年前の大惨事の影はない。牧歌的な雰囲気さえ漂う。

<1マイクロシーベルト下回る>
 徹底的に除染された構内は、ほとんどが毎時1マイクロシーベルト未満。4号機から約300メートルの展示施設周辺も5マイクロシーベルト前後だった。「俺の家の方が高い」。同行した双葉郡選出の福島県議がつぶやいた。
 これまでのチェルノブイリ視察記は周辺の線量の高さを「東京の○○倍」などと強調してきた。実際に訪れると、思いの外低く、拍子抜けする。
  立ち入り禁止区域に6時間半滞在して累積線量はわずか5マイクロシーベルト。今年2月に第1原発を取材した時は最高で毎時1500マイクロシーベルトだっ た。福島市でも1マイクロシーベルトは珍しくない。ただ、狂っているのは私の感覚だろう。福島の異常さをあらためて思う。
 チェルノブイリはあなどれない。4号機の中には、溶けてただれた大量の核燃料が当時の作業員の亡きがらと共に手のつけられない状態で残る。「石棺」と呼ばれる厚さ18メートルのコンクリートが強烈な放射線を「死の世界」に辛うじて封じ込める。
 展示施設の女性ガイド、ユーリア・マルーシチさんの話が重い。「26年たっても線量が高く、人の入れない場所がたくさんある」「夢物語の希望を語っても仕方がない。廃炉は百年、二百年のスパンで考えている。技術が開発されなければ半減期を待つしかない」
 日本政府は第1原発の廃炉を30~40年後に完了する工程表を示す。しかし、ユーリアさんは言う。「フクシマの方が大変な事故かもしれない。ここは1基だが、フクシマは4基の原子炉が重大な問題を抱えている」

<33万人が移住>
 国際原子力機関によると、チェルノブイリ事故では、28人が急性の放射線障害で死亡。事故後2年間で35万人が高線量の中、処理作業を行った。
 管理が必要な汚染区域はウクライナベラルーシ、ロシア3国の計14万5000平方キロにまたがり、約500万人が暮らす。高汚染区域の33万6000人は移住させられた。今も30キロ圏内は原則的に立ち入り禁止だ。
 放射性物質の放出量は推定で6分の1とはいえ、第1原発事故も同じレベル7。チェルノブイリから何を学べるのだろう。この地は福島の25年後の姿なのか。
 共に視察した福島大の清水修二教授は強調した。「私たちはチェルノブイリの試行錯誤を生かせる。知識や技術も発展している。同じ年数をかける必要はない」
   ◇
  原発事故対策を探る福島県議会の海外行政調査に同行した。チェルノブイリ事故から四半世紀が過ぎ、ウクライナベラルーシの被ばく地はどうなったのか。世 界で初めて高レベル放射性廃棄物処分場を建設するフィンランドと合わせて、3国の現状から福島事故の問題を考える。(福島総局・中島剛)=8回続き

ご購読案内
http://www.kahoku.co.jp/pub/koudoku/syoukai.htm

二つの被ばく地ーチェルノブイリと福島
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1107/index.htm
河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/

(2)葬られた街/帰還権なき強制移住/消せぬ懐郷の思い「河北新報」連載特集

河北新報」連載特集二つの被ばく地」から全文転載

河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/
(2)葬られた街/帰還権なき強制移住/消せぬ懐郷の思い
2012年08月16日木曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1107/20120816_01.htm
▼全文転載


森に沈むプリピャチ中心部の建物。5万人が暮らした街が無人となって26年がたつ
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2012/20120816010jd.jpg
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2012/20120816011jd.jpg

<162地区の墓標>
 検問を抜けると、風景が変わった。畑がなくなり、森が深くなる。人影も消えた。
 ウクライナの首都キエフから北に車で2時間。チェルノブイリ原発の30キロ圏は事故26年後の今も、ベラルーシ側の一部を除き、一般の立ち入りが禁じられている。
 事故当時、30キロ圏に住んでいた11万6000人は強制移住させられた。時折、廃屋が見える。汚染のひどい家は壊されて埋められた。その跡がこんもりと、墓場の土まんじゅうのように連なる。
 原発まで十数キロ。事故処理の基地になっているチェルノブイリ市には、「希望の小道」というモニュメントがあった。
 強制移住で消えた162の居住区の標識が200メートルにわたり立ち並ぶ。花も供えられている。まるで墓標だ。長泥(福島県飯舘村)、赤宇木(浪江町)、夫沢(大熊町)。福島第1原発事故で放出された放射性物質が降り、住民が避難を強いられた地域の名が浮かぶ。
 高層のアパート群が森に沈み掛けていた。原発から3キロの街プリピャチ。「古代遺跡だな」。視察団から嘆息が漏れた。

<面的除染せず>
 5万人が暮らした原発職員のベッドタウン。平均年齢は26歳で毎年、赤ちゃんが1000人生まれた。若い、活気のある街だった。
 キエフチェルノブイリ博物館での説明を思い出す。「原発ウクライナの誇りだった。プリピャチの人は将来に自信を持って暮らしていた」
 その街が無人となり、26年が過ぎた。メーンのレーニン大通りは草木が茂り、獣道寸前だ。壁がはがれた劇場。無言の遊園地。赤さびたイルミネーションの中、鎌とハンマーをかたどる旧ソ連の国章だけがアルミ製なのか、銀に輝いていた。
 旧ソ連は89年まで大規模な除染を行ったが、膨大な経費の割に効果が薄く、大量の廃棄物が発生する問題もあって中止した。被災地が広がるウクライナベラルーシ、ロシアの3国は現在、面的な除染はしていない。高い汚染地は除染ではなく、移住が原則だ。
 「元の居住区に住民が戻った例はない。26年で家もインフラも壊れた。帰還させる案は全くない」。ベラルーシ非常事態省の担当局長は断言した。ウクライナ政府も30キロ圏への帰還は数百年間は許可しない考えで、「半分は永遠に立ち入りが制限される」とする。

<住民が選択を>
 ロシアの被災地支援策に詳しい現代経営技術研究所(東京)の尾松亮主任研究員はこう提言する。「被災者の権利は幅広くした方がいい。移住権と帰還権をセットで設定するべきだ」
 日本の避難基準は年間20ミリシーベルト。それを下回る地域にも一定の基準を設け、移住か居住かを住民が選べるようにする。
 その上で、一方通行の「出ていく権利」だけでなく、線量や土壌汚染が低減した将来、古里の復興に尽くせるよう、復帰を支援する仕組みも用意しておく。帰還権は旧ソ連3国にはない概念だ。
 土地が国有だった旧社会主義国では、郷土への愛着が日本と比べて薄いとみる向きもある。でも、それは違った。
 「家に帰れない絶望。それが一番つらい」。プリピャチからの避難者は昨年11月、福島県の民間調査団に答えた。年に一度、古里への墓参が許される正教の春の招霊祭。立ち入り禁止区域は大勢でにぎわう。懐郷の思いは葬れない。

2012年08月16日木曜日

ご購読案内
http://www.kahoku.co.jp/pub/koudoku/syoukai.htm

二つの被ばく地ーチェルノブイリと福島
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1107/index.htm

河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/

 

 

☆ホームページのご案内
福島第1原発事故と原発問題、チェルノブイリ原発事故関係情報案内所
福島原発事故と放射能環境汚染・食品汚染・健康被害、チェルノブイリ関連情報案内所

(3)暗中のリスク/低線量の影響、不透明/医師評価分かれる「河北新報」連載特集

河北新報」連載特集二つの被ばく地」から全文転載

河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/
(3)暗中のリスク/低線量の影響、不透明/医師評価分かれる
2012年08月17日金曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1107/20120817_01.htm
▼全文転載


図URL
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2012/20120817010jd.jpg
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2012/20120817012jc.jpg

<「遺伝」指摘も>
 「チェルノブイリ原発事故の被災地では、いまだに新たな健康被害が生まれている」。キエフウクライナ放射線医学研究センター。研究者の報告は衝撃的だった。
 遺伝的影響に踏み込んだ小児科のエルゲニヤ・ステパノワ教授の発言には動揺した。「子どもでは免疫関係の病気が特に観察される。呼吸器や循環器の疾患も多い。次世代に遺伝的な異常が現れる可能性がある」
 他の研究者も続ける。「事故処理作業員の白血病リスクは高い。女性では乳がんが増えた」「被災者の死因の8割は血液循環系の病気。フクシマでも注目してほしい」
 しかし、世界保健機関(WHO)など国連機関がチェルノブイリとの因果関係を認める晩発影響は、放射性ヨウ素による小児甲状腺がんだけだ。
 がん死亡率の増加は、作業員ら被ばく量の大きい60万人で数%、低汚染地域の住民500万人では1%以下と予測。放射線の遺伝的影響は広島、長崎の被爆者調査では否定されている。
 ミンスクベラルーシ小児がんセンターでも、アンナ・ズブロフスカヤ副院長が気になるデータを示した。小児甲状腺がんの発症率が事故前の水準に戻らず、子どもの骨髄性白血病は年平均で2.6%ずつ増えている。
 「事故から26年たち(半減期8日の)放射性ヨウ素は残っていない。セシウムストロンチウムの影響かもしれない」
 セシウムの低線量被ばくが原因の健康被害をWHOは認めていない。しかし、「わずかでも臓器に取り込まれると、疾患が悪化する危険性が非常に高くなる」(ベラルーシ・ゴメリ医科大のユーリ・バンダジェフスキー元学長)などと指摘する研究者は存在する。

<「根拠がない」>
 一方で国連機関側に立つ意見も多い。
 ベラルーシ卒後医学教育研究所のワレンチナ・ドロッツ教授は「低線量のセシウムが健康に影響する明らかな根拠は何もない。バンダジェフスキー氏の研究は不備だらけで完全に否定されている」と反論した。
 甲状腺がんや白血病に関しても「事故当時は正確なデータがなくて比較できない。診断の精度が向上して発見率も高まっている。一概に増減は言えない」と主張する。
 どちらが事実なのか。
 福島県立医大の山下俊一副学長を訪ねた。1991年から100回以上、旧ソ連の被災地に入り、調査研究を重ねた。長崎の被爆2世でもある。
 「病気の人はどこにでもいる。放射線との因果関係が見えない」。山下氏はステパノワ教授ら放射線の影響を大きく見積もる地元研究者の論文を多数、英訳して読んだ。対照群の設定や線量評価があやふやで、国際的に評価できる水準ではなかった、と言う。
 事故の健康リスクは全ては解明されていない。いま影響が認められていない事象の中から将来、因果関係が見つかる可能性はある。ただ、現地で晩発影響による死者が相次いでいる報告はない。ウクライナベラルーシも、人々は普通に暮らしていた。

<心の被害深刻>
 チェルノブイリで最も深刻な健康被害は心的影響だった。「91年当時はあらゆる病気、交通事故までが原発事故のせいにされていた」と山下氏は振り返る。その轍(てつ)は踏みたくない。
 根拠のない不安と安心をどう避け、長期の低線量被ばくと向き合えばいいのか。被ばく者の自問自答は続く。

ご購読案内
http://www.kahoku.co.jp/pub/koudoku/syoukai.htm

二つの被ばく地ーチェルノブイリと福島
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1107/index.htm
河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/

(4)不満と依存/補償に矛盾、自立妨げ/支援の集約化必要「河北新報」連載特集

河北新報」連載特集二つの被ばく地」から全文転載

河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/
(4)不満と依存/補償に矛盾、自立妨げ/支援の集約化必要
2012年08月18日土曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1107/20120818_01.htm
▼全文転載



補償への不満を訴えるアナトーリさん(手前)とチーリヒさん。壁一面の顔写真はチェルノブイリ原発事故直後に生まれた周辺の子どもたち=キエフチェルノブイリ博物館
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2012/20120818004jd.jpg
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2012/20120818005jd.jpg


<範囲広げ過ぎ>
 広く薄い補償が不満と依存を生み、長引く支出が国家財政を疲弊させる。チェルノブイリ原発事故から26年。ウクライナの被災者支援は機能不全に陥っていた。
 「政治家が住民の歓心を買うために補償の適用範囲を広げ過ぎた。本当に援助を必要とする被災者にカネが回っていない」。キエフの事故処理作業員カリャージン・アナトーリさんが憤る。
 現地の被災者支援団体によると、ウクライナでは、人口の9分の1に当たる500万人が補償を受ける権利を持つ。そのうち25万人が事故処理作業員、12万人が強制避難させられた原発周辺の住民、それ以外は汚染地域とされる場所に暮らす人だ。
 補償のメニューは、避難や健康被害の有無、現在の居住地の汚染度で細分化される。
 現金支給、年金の前倒し、大学進学の優遇、公共交通の無料化、保養所への招待など盛りだくさんだ。
 しかし、実際に履行されているのは国家予算ベースで6%程度。規定通りの支援をすれば、予算の2割が必要で、財政が破綻する。大半は空手形と化している。

<月2万円だけ>
 アナトーリさんは事故を起こした4号機で働いていた。発生直後から吐き気に耐え、命懸けで収束作業を続けた。現在は63歳。15の病気を抱え、障害者の認定を受ける。
 法律上は、医療費が無料で住宅も提供されるはずだが、果たされていない。月に2万円程度の年金支給はあるものの、生活は賄えない。
 一方、低汚染地に住む300万人には月約50円が支給されるという。
 「こんなはした金をばらまいて何になるのか」と批判するのは、事故処理作業員のウラジミール・チーリヒさん。
 「ウクライナでは、被災者となって補償を受けたい考えが根強い。復興へのモチベーションを下げている。フクシマはそうならないでほしい」と忠告した。
 国連機関が事故20年を契機にまとめた報告書は、長期の補償が個人や地域の力を損ない、復興を妨げる依存体質をつくり上げた、と手厳しい。
 適用範囲が広過ぎて実効性に欠け、政府の財政難を招いていると指摘する。健康被害や貧困に悩む被災者に、支援を集中するべきだと提言している。
 被災者支援の集約化が進んでいるのはベラルーシの方だ。
 非常事態省のウラジミール・チェルニコフ局長は「家庭に対する補償は地区全体への支援に切り替え、病院などの整備に充てている。被災者への年金は法定分を100%支給している」と説明する。
 ミンスクで会った処理作業員でつくる会のウラジミール・カメンコフ会長も「政府は頑張っている」と評価した。

<活力失われる>
 1994年以降、ルカシェンコ大統領の独裁体制が続くベラルーシより、民主度の比較的高いウクライナで被災者支援が形骸化している矛盾が浮き出ている。
 ウクライナの補償をめぐる混迷について在ウクライナ日本大使館の坂田東一大使はこう話した。
 「政治家と有権者が判断しなければならない難しい問題。はっきりしているのは補償に頼り続ければ、地域や住民の活力、幸福度が失われる。ウクライナ政府も頭を悩ませている」

ご購読案内
http://www.kahoku.co.jp/pub/koudoku/syoukai.htm

二つの被ばく地ーチェルノブイリと福島
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1107/index.htm
河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/

 

 

☆ホームページのご案内
福島第1原発事故と原発問題、チェルノブイリ原発事故関係情報案内所
福島原発事故と放射能環境汚染・食品汚染・健康被害、チェルノブイリ関連情報案内所

止まった時間、途方なく(上)(下)「河北新報」連載特集「二つの被ばく地ーチェルノブイリと福島」

河北新報」連載特集「二つの被ばく地ーチェルノブイリと福島」から全文転載

河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/
止まった時間、途方なく(上)
2012年08月23日木曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1107/20120823_01.htm
▼全文転載


<墓標>チェルノブイリ原発事故の強制避難で消滅した30キロ圏の居住区をしのぶモニュメント。162の標識が墓標のように立ち並ぶ=ウクライナチェルノブイリ

 日本ではあり得ないと思ったレベル7の原発事故が福島で起きた。世界を震わせたチェルノブイリフクシマは 同列に扱われている。7月、福島第1原発事故対策を探る福島県議会の海外行政調査に同行し、ウクライナベラルーシフィンランドを訪れた。チェルノブイ リ原発の30キロ圏は原則立ち入り禁止で、事故から26年が過ぎても放射能との闘いが続いている。フィンランドは10万年先を見据え、世界初の高レベル放 射性廃棄物処分場を建設していた。原子の力を享受した人間は事故の有無、原発への賛否を問わず、放射能のリスクと向き合わなければならないことを実感し た。(福島総局・中島剛)

 

<祈り>ベラルーシの首都ミンスクの教会にある記念碑。広島、長崎、福島の砂を入れたカプセルが埋められている。フクシマは世界的な地名になった

<老朽>老朽化が激しい4号機の石棺。屋根がゆがみ、隙間も生まれている。崩壊や放射能漏れの危険性が高まる=ウクライナチェルノブイリ原発



河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/
止まった時間、途方なく(下)
2012年08月23日木曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1107/20120823_02.htm
▼全文転載


<静寂>朽ち果てる回転式のブランコと観覧車。オープン5日前にチェルノブイリ事故が起きた。原発から3キロの遊園地に子の歓声が響くことはなかった=ウクライナ・プリピャチ

<埋葬>4月に着工した新シェルター。骨組みが徐々に姿を現してきた。超巨大ドームで老朽化した石棺を丸ごと覆う=ウクライナチェルノブイリ原発

<処分>フィンランド・オルキルオトの中低レベル放射性廃棄物処分場。強固な岩盤をくりぬいた地下60メートルのトンネルに実験用の立て坑があった

ご購読案内
http://www.kahoku.co.jp/pub/koudoku/syoukai.htm


二つの被ばく地ーチェルノブイリと福島
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1107/index.htm

河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/

原発事故関連死(11)102歳の母「診察拒否」 被ばくを疑った医師{福島民報(連載記事)

福島民報(連載記事)
トップ>http://www.minpo.jp/
原発事故関連死」
原発事故関連死(11)102歳の母「診察拒否」 被ばくを疑った医師
2013/03/04 11:47
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/03/post_6416.html
▼全文転載


ハツミさんが救急搬送された都内の総合病院。医師は診察を拒否した
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/images/IP130302TAN000202000_00.jpg

 東京電力福島第一原発事故で施設からの避難を強いられたお年寄りは、県内外の病院や施設などで次々に命を落としていった。1月までにその数は 520人に及ぶ。避難先を転々とする中、体調を悪化させ死期を早めた。東京の病院で被ばくを疑われ、一時は診察を拒否された高齢者もいる。不条理な差別を 受け、故郷の地を踏めないまま逝った。遺族の嘆きは深い。ついのすみかを追われた災害弱者の「原発事故関連死」を追う。
 病室の母は、体にたくさんの管を付けられ力なく呼吸するばかりだった。心肺停止で埼玉県行田市の総合病院に救急搬送されたと聞いて駆け付けた時、既に意識はなかった。
 「これでお別れになるのかな。双葉に帰れなくてごめんね」。東京都練馬区の篠美恵子さん(65)は、母・山本ハツミさんの手をそっと握った。
 翌日の平成23年11月3日。親族らが見舞った後、ハツミさんは静かに息を引き取った。急性循環不全。102歳だった。
 「100年も双葉で暮らしてきて最期が埼玉だとは。母も悔しかったと思う」。母のそばで過ごした7カ月は、あっという間だった。
 双葉町の高齢者施設「せんだん」に入所していたハツミさんが原発事故で郡山市の郡山養護学校に避難していると聞き、たまらず夫婦で3月17日夜に迎えに行った。
 22日午後9時すぎだった。ハツミさんが38.8度の熱を出した。郡山から都内の自宅に連れてきて、4日目だった。夫の常雄さん(66)に体温計を見せた。「ちょっとまずいな。衰弱している」
 食事も排せつも自立し、認知症もなかった母が明らかに弱っていた。
 到着した救急隊員はストレッチャーを手に搬送の準備に掛かった。「郡山でスクリーニングを受けた」と説明すると、隊員は動きを止め、顔を見合わせた。
 「検査結果を知る必要がある」と告げられ、施設側に確認した。「被ばくはしていない。具体的な数値は現場が混乱していて残っていない」。教えられた内容をそのまま隊員に伝えた。
 救急車は15分ほどで都内の総合病院の救急搬送入り口に滑り込んだ。迎えた男性医師は、上半身にプロテクターのようなものを身に着けていた。レントゲン撮影時に用いられる放射線防護用エプロンだった。救急隊が病院側に母が被ばくしている可能性を伝えたのだと思った。
 「被ばくしている人は診察したくない」
 医師から発せられた言葉は、診察の拒否だった。美恵子さんは事態をすぐには理解できなかった。
 「私にも家族がいる。被ばくしたら困る」
 美恵子さんは、全身から力が抜けていくのを感じていた。スクリーニングで母の体に放射性物質は付着していなかった。なぜ信じてくれないのか、なぜ差別されなければならないのか、母が何か悪いことでもしたのか-。空白の時間の後、ようやく言葉を絞り出した。
 「診てもらえないなら、福島に連れて帰るしかないわね」

カテゴリー:原発事故関連死
購読のお申し込み・お問い合わせ
http://www.minpo.jp/subscribe/

原発事故関連死」アーカイブ
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012-11genpatsukanrenshi/

福島民報(連載記事)
トップ>http://www.minpo.jp/

 

 

☆ホームページのご案内
福島第1原発事故と原発問題、チェルノブイリ原発事故関係情報案内所
福島原発事故と放射能環境汚染・食品汚染・健康被害、チェルノブイリ関連情報案内所

原発事故関連死(12)失望から強い憤りへ 医師対応に募る不信{福島民報(連載記事)

福島民報(連載記事)
トップ>http://www.minpo.jp/
原発事故関連死」
原発事故関連死(12)失望から強い憤りへ 医師対応に募る不信
2013/03/05 12:06
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/03/post_6426.html
▼全文転載


ハツミさんが入院した都内の総合病院。医師は「引き取りに来ないなんてことはないですよね」と念を押した
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/images/20130305kanrenshi.jpg

 このままでは病院をたらい回しにされかねない。「東京に母を避難させたのに、こんなことで死なせるわけにはいかない」。東京都練馬区の篠美恵子さん(65)は、郡山市の避難先から引き取った母・山本ハツミさん=当時101歳=の診療を渋る医師をなじった。
 「診てもらえないなら、福島に母を連れて帰るしかないわね」
 医師への失望は、強い憤りに変わっていた。衰弱していく母を見ていられなかった。
 問答の末、医師は「それじゃあ」と言って、渋々診察を始めた。結果は心筋梗塞と肺炎。心臓の血管がふさがるか、細くなるかして血流量が少なくなっている可能性が高いということだった。
 食事も歩行も排せつもできた母。「双葉町の老人ホームを追われ、避難先を転々とした疲労がたたったのか」。美恵子さんは天を仰いだ。同時に「何とかしてもらいたい」とすがる思いだった。
 だが、医師は静かに告げた。「この病院にはカテーテルの設備がない。他の病院に行ったほうが良い」
 総合病院で心臓カテーテルができない? そんなことがあるのか-。他の病院に行かせるために、心筋梗塞と診断したのではないか。美恵子さんは診断そのものさえ疑うような気持ちだった。「カテーテルの治療はしなくても結構です」と転院の打診を断った。
 ハツミさんの容体は回復せず、即日入院することになった。用意されたのは1日2万500円かかる個室。医師からは相部屋は満杯で個室しか空いてないと説 明された。美恵子さんと夫の常雄さん(65)は個室を承諾したが、「母は被ばくの疑いを持たれて隔離されたんだ」と思った。
 福島民報社の取材に対し病院は「看護日誌には当時の入院患者総数の記載しかなく、なぜ個室を使用したのか記録にない。男性医師は既に退職している。病室の稼働状況と患者の容体などを医師が総合的に判断したのだと思う」としている。
 ハツミさんはがらんとした個室のベッドで目を閉じていた。寝顔を確認した美恵子さんらが自宅に戻ろうとしたところ、男性医師から声を掛けられた。
 「このまま(ハツミさんを)引き取りに来ない、なんてことはないですよね」
 ため息しか出なかった。「悔しいやら情けないやら。でも、何とか母を助けてもらいたかったから...」。何も言い返さずに足早に病院を後にした。

カテゴリー:原発事故関連死

購読のお申し込み・お問い合わせ
http://www.minpo.jp/subscribe/

原発事故関連死」アーカイブ
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012-11genpatsukanrenshi/

福島民報(連載記事)
トップ>http://www.minpo.jp/

暴風雪で父親凍死…守られた娘に激励「父を誇りに思って」<zakzak&毎日新聞>

zakzak
ホーム>http://www.zakzak.co.jp/
暴風雪で父親凍死…守られた娘に激励「父を誇りに思って」
2013.03.07
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130307/dms1303071530017-n1.htm
▼全文転載


岡田幹男さんの葬儀で遺影を抱く親族=6日午後、北海道湧別町【拡大】
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/photos/20130307/dms1303071530017-p1.htm
 北海道湧別町で暴風雪の中、凍死した漁師、岡田幹男さん(53)が抱きかかえるように守った長女の夏音(なつね)さん(9)に「父を誇りに思ってください」などと励ますメールや手紙が国内外から同町に寄せられた。

 6日までに届いたメールは22件。2通の手紙の中には、それぞれ10万円と3万円が入っていた。「何かできることはないか」などという問い合わせの電話も70件以上あったという。

 夏音さんは凍傷で入院中。湧別町は「時期をみて本人や関係者に届けたい」としている。
zakzak


毎日新聞
ホーム>http://mainichi.jp/
暴風雪:命賭し愛娘守る…風を背に10時間抱き続け
毎日新聞 2013年03月03日 21時12分(最終更新 03月03日 23時52分)
http://mainichi.jp/select/news/20130304k0000m040073000c.html
▼全文転載


行方不明になった父娘が発見された農業倉庫。入り口の前の雪山(左)との隙間(すきま)に、父が娘に覆いかぶさるように倒れていた=北海道湧別町で2013年3月3日午前10時20分ごろ、遠藤修平撮影
http://mainichi.jp/graph/2013/03/04/20130304k0000m040073000c/001.html

 北海道を襲った暴風雪。 車を捨てて歩き始めた父は、猛烈な地吹雪の中、たった一人の娘を守ろうと、10時間にわたって覆いかぶさるように抱きしめながら体温を奪われ命を落とし た。車内に残った別の一家は逆流してきた排ガスに倒れた。住民らは改めて自然の猛威に体を震わせた。【遠藤修平、伊藤直孝】

                         

 「大丈夫か」。3日午前7時すぎ、湧別町東の牧場用倉庫前で、雪の中に黒色の上着の一部を見つけた道警 遠軽署員が大声を出した。雪を払いのけると、同町の漁師、岡田幹男さん(53)が小学3年の長女夏音(なつね)さん(9)を両手で抱きかかえながら、うつ ぶせに倒れているのが見つかり、その胸の下にスキーウエア姿の夏音さんが泣きながら震えていた。岡田さんは風が吹いていた北側に背を向けていたといい、夏 音さんは低体温症ながら命に別条はなかったが、岡田さんは搬送先の病院で凍死が確認された。

                         

 同署によると、岡田さんは2日午後に夏音さんと一緒に知人宅に向かったが、同4時ごろ、携帯電話で「車 が雪にはまり動けない。車を捨てて歩いて行く」と連絡があった。その後、連絡が取れなくなった。車は同9時半ごろ、自宅から約1.5キロ西の道路脇の雪山 に突っ込んだ状態で発見され、そこから約300メートル先の倉庫の前で2人は見つかった。倉庫の50メートル先には民家があったが、吹雪で気づかなかった とみられる。

                         

 知人らによると、岡田さんは2年前に妻を亡くし、夏音さんと2人暮らし。近所の男性(51)は「一人娘 をとにかく可愛がっていた。守りたい一心だったのでは」と話す。別の知人によると、夏音さんは病院で「お父さんはどうなったんですか」としきりに気にする 様子だったという。

                         

 湧別漁業協同組合の常務理事、雲津幸治さん(57)は「岡田さんは勉強会にも積極的に参加し、漁協の中 心的存在だった」と話す。雲津さん自身も2日午後1時半ごろ、車が雪山で動けなくなり、車を捨て、カーナビの位置情報と信号機の光だけを頼りに約300 メートル離れた民家に助けを求めたといい、「50年以上住んでいるが、こんな吹雪は初めて」と顔をこわばらせた。

                         

 ◇雪だまりに車 母子4人救助できず

 

 北海道中標津町で雪に埋まった車の中で母子4人が死亡した事故では、猛烈な地吹雪が救助の行く手を阻んだ。現場まで約12キロと、通常なら15分 ほどで到着するが、除雪車の先導で向かった消防隊員が到着したのは約2時間後。「経験したことのないような荒れ方で、視界は数センチ程度。何ともしようが なかった」と隊員らは肩を落とした。

                         

 「車が雪山に突っ込んで動けない」。母親の宮下加津世さん(40)から知人に電話があったのは2日午後 5時40分ごろ。この知人がトラクターを所有する別の男性に救助を依頼し、車内でぐったりしていた4人を発見したが、消防に連絡が入ったのは午後7時10 分ごろ。中標津消防署は隊員18人が救助車や救急車など5台に分乗したが、道路は雪で通行止め。急きょ除雪車を手配し現場に向かった。

                         

 周辺は台風並みの風が地上の雪を吹き上げ、道路のあちこちに高さ2~3メートルにも達する吹きだまりが できていた。救助に向かった消防隊員は「目の前は真っ白で、前の車の回転灯すら見えなかった。雪の多い地域だが、これほどの経験はなく、2次災害に巻き込 まれそうな危険を感じた」と話す。

                         

 現場に到着できたのは約2時間後の午後9時10分ごろ。車は天井やドアの一部が辛うじて見える程度まで雪に埋まっていた。エンジンは発見した知人らが既に止めていた。隊員らがスコップで雪を掘り、中にいた4人を助け出した時には、既に心肺停止状態だった。

                         

 3人の子供はいずれも町内の高校、中学、小学校に通っており、事故時は加津世さんが長男の大輝君(11)を連れて、町内にいた2人の娘を迎えに行き、帰宅する途中。大輝君は、3月末で閉校する全校児童8人の町立俣落小の児童会長に就いたばかりだった。

                         

 知人とは別に事故後に加津世さんから連絡をもらい、救助に駆け付けた俣落小のPTA役員の男性(42)は「電話でちょっと頭が痛いと話していたので、換気をしなさいと助言した。あの時エンジンを止めてくれていれば」と声を落とした。【本間浩昭、森健太郎】

購読申し込み
https://form.mainichi.co.jp/annuncio/koudoku/form.html

毎日新聞
ホーム>http://mainichi.jp/

 

 

☆ホームページのご案内
福島第1原発事故と原発問題、チェルノブイリ原発事故関係情報案内所
福島原発事故と放射能環境汚染・食品汚染・健康被害、チェルノブイリ関連情報案内所

防災庁舎 遠藤未希さんの悲劇◆宮城・南三陸{記憶の部屋・東日本大震災}

はてなダイアリー」から「はてなブログ」に移転いたしました。

旧ブログにアクセスすると、新ブログにリダイレクトされます。

今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

★全文転載
記憶の部屋・東日本大震災
ホーム>http://memory.ever.jp/tsunami/sitemap.html
防災庁舎 遠藤未希さんの悲劇◆宮城・南三陸
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_bosai-tyosya_miki.html

 宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった町職員遠藤未希さん=当時(24)=の悲劇報道については当サイト:防災対策庁舎の悲劇のページにも掲載したが、2012年1月、遠藤未希さんの「天使の声」が埼玉県の公立高校の教材に載ることが報道されたので、遠藤未希さんに関する記事をこのページにまとめた。

      


      

 志津川中学校への坂から見た防災対策調庁舎(さらに海側に公立志津川病院)【9月3日撮影】

      

                    

 遠藤未希さん(24)に関する記事は、河北新報社がこれまでに5度報じており、そのうちの4編を以下に紹介する。

      

住民救った 「高台に避難してください」    <4月12日 河北新報

      

      

  防災無線 声の主 姿なく

      

 「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」
       防災無線の呼び掛けが、多くの命を救った。だが、声の主の行方は震災から1カ月たった今も知れない。
       3月11日午後2時46分、宮城県南三陸町の防災対策庁舎2階にある危機管理課。町職員遠藤未希さん(24)は放送室に駆け込み、防災無線のマイクを握った。
       「6メートルの津波が予想されます」「異常な潮の引き方です」「逃げてください」
       防災無線が30分も続いたころ、津波は庁舎に迫りつつあった。「もう駄目だ。避難しよう」。上司の指示で遠藤さんたちは、一斉に席を離れた。
       同僚は、遠藤さんが放送室から飛び出す姿を見ている。屋上へ逃げたはずだった。が、津波の後、屋上で生存が確認された10人の中に遠藤さんはいなかった。
       南三陸町の住民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いした。遠藤さんは、多くの同僚とともに果たすべき職責を全うした。
       遠藤さんは1986年、南三陸町の公立志津川病院で産声を上げた。待望の第1子に父清喜さん(56)と母美恵子さん(53)は「未来に希望を持って生きてほしい」との願いを込め「未希」と命名した。
       志津川高を卒業後、仙台市内の介護専門学校に入学。介護の仕事を志したが、地元での就職を望む両親の思いをくみ、町役場に就職した。同僚は「明るい性格。仕事は手際よくこなしていた」と言う。
       2010年7月17日、専門学校で知り合った男性(24)と、町役場に婚姻届を出した。職場仲間にも祝福され、2人は笑顔で記念写真に納まった。
       両親は当初、2人姉妹の長女が嫁ぐことに反対だった。「どうしてもこの人と結婚したい」。男性が婿養子になると申し出て、ようやく両親も折れた。ことし9月10日には、宮城県松島町のホテルで結婚式を挙げる予定だった。
       美恵子さんは「素直で我慢強い未希が人生で唯一、反抗したのが結婚の時。それだけ、良い相手と巡り合えたのは幸せだったと思う」と語る。
       遠藤さんの声は、住民の記憶に刻まれている。
       山内猛行さん(73)は防災無線を聞き、急いで高台に逃げた。「ただ事ではないと思った。一人でも多くの命を助けたいという一心で、呼び掛けてくれたんだろう」と感謝する。
       娘との再会を果たせずにいる清喜さんは、無念さを押し殺しながら、つぶやいた。        「本当にご苦労さま。ありがとう」
        ◇◇◇
       震災後の対応に忙殺され、市町村職員の死者・行方不明者数はいまだに実態が把握されていない。
      

      


      

                                         ページのトップへ戻る

      

二つ目は5月2日、上の記事で紹介された遠藤未希さんの遺体が発見された記事だ

      

最後まで避難呼び掛け 不明の職員遺体発見  <5月2日 河北新報

      

 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の職員で、最後まで防災無線で町民に避難を呼び掛け、行方不明になっていた遠藤未希さん(24)とみられる遺体が志津川湾で見つかった。
       父清喜さん(56)や母美恵子さん(53)らによると、遺体は4月23日、志津川湾に浮かぶ荒島の北東約700メートルの地点で捜索隊が発見した。
       両親や昨年7月に結婚した夫(24)が遺体を写真で確認し、左足首に巻かれているオレンジ色のミサンガや、右肩付近のあざなどの特徴が遠藤さんと一致したという。ミサンガは夫からのプレゼントだった。
       家族は死亡診断書が届き、遺体が遠藤さん本人と確定し次第、遺体を火葬し、葬儀を営む予定。
       遠藤さんの実家も津波で被害を受けた。両親は避難所で暮らしながら、手掛かりを求めてがれきの街を捜し回り、遺体安置所の町総合体育館に通い続けた。
       美恵子さんは3月下旬、遠藤さんが水中で亡くなっている夢を見た。「未希が『早く捜してほしい』と、助けを求めていると思った。亡くなったことはつらいが、遺体が見つかり、家に迎え入れることができるだけでもよかった」と言う。
       清喜さんは「家に帰って来てくれれば、いくらかでも気持ちは違うと思う。今も行方不明の方々がいることを考え、葬儀はしめやかに行いたい」と話した。
        遠藤さんは3月11日午後2時46分から約30分間、防災対策庁舎2階にある放送室から防災無線で「高台に避難してください」「異常な潮の引き方です。 逃げてください」などと呼び掛け続けた。津波が庁舎に迫ったため放送室を出た後、行方が分からなくなっていた。
      

      


      

                                         ページのトップへ戻る

      

三つ目は、9月に結婚式を控えていた遠藤未希さん(24)にささげる歌が披露されるという記事で、6月10日の紙面に掲載された

      

挙式控え犠牲、防災無線の職員追悼    <6月10日 河北新報

      

      

 天国へウェディングソング

      

 防災無線で住民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった宮城県南三陸町職員遠藤未希さん(24)にささげる歌が震災発生から3カ月 となる11日、同町で披露される。9月に結婚式を控えていた遠藤さんの思いが伝わるようなバラード。自ら作詞した東京都の歌手水戸真奈美さん(28)=宮 城県柴田町出身=は「勇気ある行動をした未希さんのことを忘れてほしくない。被災地の復興も願い、歌う」と誓う。
      
      

      

 宮城県柴田町出身の歌手 あす披露

      

 ◇花嫁の思いを紡ぐ◇

      

 曲名は「WEDDING ROAD」。作詞した時点で、水戸さんは震災の犠牲となった遠藤さんのことを知らず、遠藤さんを意識して作ったわけではなかったという。
       しかし、5月に南三陸町を訪ねた際、遠藤さんの両親の知人から「歌で慰めてほしい人がいる」と頼まれ、遠藤さんの実家に案内された。
       父清喜さん(56)、母美恵子さん(53)らと会い、専門学校で知り合った男性(24)と挙式予定だったことなどを知った。
       「WEDDING ROAD」の歌詞が、まるで遠藤さんの言葉のように思えてきた。手話を熱心に学ぶなど自分との共通点も見いだした。
       水戸さんはその場で、遠藤さんの遺影を見つめて歌った。「磁石のようにひかれ合った二人の未来 手を離さないようにこれからも握り続ける」
       「たくさんの愛で育ててくれたね 二人の娘であること感謝します…ありがとう」。歌詞に込めた気持ちを伝えるため、手話を交えた。遠藤さんの両親や親類は静かに聞き入っていた。
       水戸さんは「遺影の前で歌い終え、『遠藤さんのための曲だったんだ』と不思議な運命を感じた。本人になったつもりで、両親に歌をささげた」と振り返る。
       歌は11日午後7時から、南三陸町のホテルで披露される。
      
      

      

 遺族、悲しみ癒えぬまま「庁舎見るのつらい」

      

 震災からほぼ3カ月がたった今も、遠藤さんの両親の悲しみは癒えない。町内の仮設住宅の抽選に当選したが、入居を辞退した。住宅からは、遠藤さんが最後まで避難を呼び掛けていた防災対策庁舎が見えるからだ。
        母美恵子さんが、遠藤さんと最後に会った記憶にも庁舎が映る。大震災前日の3月10日、庁舎近くで石巻市内から通っていた遠藤さんに会い、2時間ほど会 話をした後、「明日(11日)は実家に泊まるから」と言われ、楽しみにしていた。「庁舎を見るのはつらく、仮設住宅には住めない」と美恵子さん。
       全国から寄せられる称賛や追悼の声。両親は「多くの人が未希を思ってくれるのはありがたい」と語る半面、「そっとしてほしいという思いもある」と打ち明ける。
      
      

      


      

                                         ページのトップへ戻る

      

 埼玉県が県内の公立小中学校約1250校の道徳の教材として遠藤未希さんの「人への思いやりや社会へ貢献する心」を伝えることになったことが26日に分かり、河北新報社は27日の朝刊で伝えた。
      「天使の声」と題した教材を紹介する記事は、遠藤さんのこれまでの貢献の様子とともにあの大地震直後からの献身的な行動と悲劇までの一部始終が綴られており、目頭が熱くなる。

      

南三陸町職員の遠藤さんが教材に    <1月27日 河北新報

      

遠藤未希さんが教材になることが報じられた記事

      

避難呼び掛け犠牲 遠藤さんが教材に

      

 宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった町職員遠藤未希さん=当時(24)=が埼玉県の公立学校で4月から使われる道徳の教材に載ることが26日、分かった。
       埼玉県教育局によると、教材は東日本大震災を受けて同県が独自に作成。公立の小中高約1250校で使われる。
      
       遠藤さんを紹介する文章は「天使の声」というタイトル。遠藤さんが上司の男性と一緒に「早く、早く、早く高台に逃げてください」などと必死で叫び続ける様子が描かれ、「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた」と語る町民の声を紹介している。
       教材ではほかにも、埼玉県深谷市出身で津波に流される車から市民を救出した釜石市の男性職員の話などが掲載される予定。

      

 「思いやり伝えたい」

      

 同教育局生徒指導課の浅見哲也指導主事は「遠藤さんの使命感や責任感には素晴らしいものがある。人への思いやりや社会へ貢献する心を伝えたい」としている。
      
       遠藤さんの父清喜さん(57)は「娘が生きた証しになる」と話し、母美恵子さん(53)は「娘は自分より人のことを考える子だった。子どもたちにも思いやりの心や命の大切さが伝わればいい」と涙を流した。
      
       遠藤さんが防災無線で避難を呼び掛け続けた南三陸町の防災対策庁舎では、遠藤さんを含む町職員ら39人が犠牲となった。佐藤仁町長が津波被害の象徴として保存の意向を示したが、遺族の強い反発を受けて解体が決まっている。【上の記事画像をクリックすると拡大画像(PDFファイル:498KB)が開きます】

      

 「天使の声」 教材の要旨

      

 遠藤未希さんを紹介した教材の要旨は次の通り。

      

 ◇天使の声◇

      

 誰にも気さくに接し、職場の仲間からは「未希さん」と慕われていた遠藤未希さん。その名には、未来に希望をもって生きてほしいと親の願いが込められていた。
       未希さんは、地元で就職を望む両親の思いをくみ、4年前に今の職場に就いた。(昨年)9月には結婚式を挙げる予定であった。
      
       突然、ドドーンという地響きとともに庁舎の天井が右に左に大きく揺れ始め、棚の書類が一斉に落ちた。
       「地震だ!」  誰もが飛ばされまいと必死に机にしがみついた。かつて誰も経験したことのない強い揺れであった。未希さんは、「すぐ放送を」と思った。
       はやる気持ちを抑え、未希さんは2階にある放送室に駆け込んだ。防災対策庁舎の危機管理課で防災無線を担当していた。  「大津波警報が発令されました。町民の皆さんは早く、早く高台に避難してください」。未希さんは、同僚の三浦さんと交代しながら祈る思いで放送をし続け た。
      
       地震が発生して20分、すでに屋上には30人ほどの職員が上がっていた。すると突然かん高い声がした。
       「潮が引き始めたぞぉー」
        午後3時15分、屋上から「津波が来たぞぉー」という叫び声が聞こえた。未希さんは両手でマイクを握りしめて立ち上がった。そして、必死の思いで言い続 けた。「大きい津波がきています。早く、早く、早く高台に逃げてください。早く高台に逃げてください」。重なり合う2人の声が絶叫の声と変わっていた。         津波はみるみるうちに黒くその姿を変え、グウォーンと不気味な音を立てながら、すさまじい勢いで防潮水門を軽々超えてきた。容赦なく町をのみ込んでい く。信じられない光景であった。
       未希さんをはじめ、職員は一斉に席を立ち、屋上に続く外階段を駆け上がった。その時、「きたぞぉー、絶対に手を離すな」という野太い声が聞こえてきた。津波は、庁舎の屋上をも一気に襲いかかってきた。それは一瞬の出来事であった。       
      
       「おーい、大丈夫かぁー」「あぁー、あー…」。力のない声が聞こえた。30人ほどいた職員の数は、わずか10人であった。しかしそこに未希さんの姿は消えていた。
      
       それを伝え知った母親の美恵子さんは、いつ娘が帰ってきてもいいようにと未希さんの部屋を片づけ、待ち続けていた。
      
       未希さんの遺体が見つかったのは、それから43日目の4月23日のことであった。
       町民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いをした。
      
       5月4日、しめやかに葬儀が行われた。会場に駆けつけた町民は口々に「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた。あの放送がなければ今ごろは自分は生きていなかっただろう」と、涙を流しながら写真に手を合わせた。
       変わり果てた娘を前に両親は、無念さを押し殺しながら「生きていてほしかった。本当にご苦労様。ありがとう」とつぶやいた。  出棺の時、雨も降っていないのに、西の空にひとすじの虹が出た。未希さんの声は「天使の声」として町民の心に深く刻まれている。

防災庁舎 遠藤未希さんの悲劇◆宮城・南三陸
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_bosai-tyosya_miki.html

 

 


★関連記事
MSN産経ニュース
トップ>http://sankei.jp.msn.com/top.htm
放送続けた亡き娘に「ただ会いたい」 薬師寺で被災者の写経奉納
2013.3.8 13:29 東日本大震災
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130308/dst13030813310011-n1.htm

▼全文転載

 

 奈良市の薬師寺で8日、東日本大震災から2年になるのを前に犠牲者を追悼する三回忌法要が営まれ、東北などで被災者が書いた約1万巻にのぼる写経を、宮城県から参加した被災者約20人が祭壇に納めた。

 「ただ、あなたに会いたい」。法要では、宮城県南三陸町の庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け、津波の犠牲になった町職員、遠藤未希さん=当時(24)=の父、清喜さん(58)が、娘に宛てた手紙を読み上げた。

  「あの大地震の揺れの中、よく声を出し、放送し続けましたね。怖かったろう、逃げたかったろう。それでも冷静に避難を呼び掛け続けたこと、本当にご苦労さ までした」。清喜さんは声を詰まらせながら娘をねぎらった。「せめてもう少し一緒にいたかった。一番悔しいのは未希です」と震災半年後に結婚式をする予定 だった娘を思った。

 


ご冥福をお祈り申し上げます。そして、忘れないでいただきたいとも思います。

 

 

☆ホームページのご案内
福島第1原発事故と原発問題、チェルノブイリ原発事故関係情報案内所
福島原発事故と放射能環境汚染・食品汚染・健康被害、チェルノブイリ関連情報案内所