「北の山・じろう」時事問題などの日記

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ふるさと:原発事故20カ月 「危険」に慣れたくない 「放射能と人権」教育呼びかけ<毎日新聞>

毎日新聞
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ふるさと:原発事故20カ月 「危険」に慣れたくない 「放射能と人権」教育呼びかけ
毎日新聞 2012年11月26日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/news/20121126ddm041040051000c.html
▼全文引用

(1)

 「放射能の危険性を訴えることは、私を含め、福島で暮らし放射能に慣れつつある人間にとって、傷口に塩をすり込まれるようなことかもしれない」

 東京電力福島第1原発事故から20カ月。福島県で避難区域になっていない地域の学校では除染が進み、制限されていた屋外活動や運動会も事故前同様に行われるようになった。

 福島県教職員組合書記次長の国分俊樹さん(50)は苦悩の日々を送る。事故後、放射能への対応を紹介する組合ニュースを発行し続けてきた。行政と保護者らとの板挟みになっている現場の教師向けで、危険性を指摘する内容も少なくない。

 そして今、放射線教育が気がかりと言う。県内では福島市が先頭を切る形で2学期から始まった。「学ぶことは大切」と国分さんも考える。しかし、「『放射能を気にすることが問題』と心の問題にすりかえられている面がある」と懸念する。

 「セシウム137だけでも表面汚染密度が1平方メートルあたり4万ベクレル以上の地域が福島県の東半分に広がっている。これは放射線管理区域に相当するベクレル数。そんな場所で暮らす異常さより、適応できない不安を問題視するのはおかしくないですか」と話す。

 「給食の食材の線量検査など、組合としても全力で取り組んできた。でも、給食は年間180食。子供たちは除染された学校に24時間いるわけじゃない。健康に影響がないと言い切れるのか」

 東日本大震災が発生した昨年3月11日は、福島市の組合事務所にいた。その日は同県郡山市の自宅には戻れず、帰宅は翌日。原発爆発の報を聞いた時は「死を覚悟した」。

 翌朝から異変が表れた。朝、安達太良山などいつもと変わらぬ景色を眺めていると、涙が止まらなくなった。通勤途中に川や山を見ても涙した。

 特に阿武隈川は幼い頃はカニとりに夢中になり、教員になっても趣味の自転車で堤防道路を疾駆した川。妻と出会ったのも上流の白河市だった。その川沿いに放射性物質は拡散した。「放射能の運河になってしまった」と悲しげに語る。

 爆発を受け、大学1年の息子と中3の娘を熊本の妹宅に逃がした。事故収束が見通せず、一家の沖縄移住も検討した。だが、教員仲間の妻と出した結論は「残る」だった。

(2)

 5月の連休明け、友人と会いたいという子供らが福島に戻ってくると、悲しみはさらに強くなった。吐き出せば改善するかと出勤前に大声で泣いた。だが、よくならない。6月に医師の診察を受け、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と言われた。通院は今も続く。

 1年を過ぎたこの夏、「子どもたちのいのちと未来のために学ぼう 放射能の危険と人権」(明石書店)という本を市民団体と出し、被ばく量低減化、人権の回復、差別をしない許さない−−そうした教育に取り組もうと呼びかけた。

 「報道も少なくなり、風化を感じる。自分でも慣れてきたと思う。でも危険なものは危険。慣れていってはいけないと思うんです」。ふるさとの山河を奪われた、無念の思いを胸に、静かにそう語った。【湯谷茂樹】

    ◇

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