第五福竜丸展示館が集い ビキニ水爆60年<東京新聞 2014年2月28日>
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第五福竜丸展示館が集い ビキニ水爆60年
2014年2月28日 夕刊
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▼全文転載
六十年前の三月一日、日本の漁船「第五福竜丸」が太平洋の真ん中で米国の水爆実験による「死の灰」を浴びた。「ビキニ事件」を受け、核兵器廃絶を 求める機運は高まった。しかし、半世紀以上が経過した今も核兵器はなくなっていない。第五福竜丸を展示する東京都立第五福竜丸展示館(江東区)の主任学芸 員安田和也さん(61)は節目の年に「核と人とは共存できないという原点に返りたい」と意気込む。 (小林由比)
一九五四年に起きた事件では、乗組員二十三人が被ばくし、半年後に四十歳だった久保山愛吉さんが亡くなった。その後も続いた実験で太平洋上の日本 漁船が少なくとも八百五十六隻被ばく。全国で水揚げされた魚が廃棄され、国民を大きな不安に陥れた。実験の禁止を求める二千万人の署名が集まり、原水爆禁 止運動につながった。
第五福竜丸は東京水産大(当時)の練習船として使われた後廃船となり、東京湾岸のごみ埋め立て場「夢の島」にうち捨てられた。このことを知った広島市民らが船体保存に向けて動いたことなどにより、展示館は七六年六月に開館した。
長年原水爆禁止運動に取り組んできた安田さんは、二〇〇〇年に展示館を運営する第五福竜丸平和協会の事務局長に就き、館の学芸員も務める。第五福竜丸について解説するだけでなく、市民講座を開くなどして核兵器が人類にとって不要であると訴えてきた。
昨年は国連総会で核兵器不使用を訴える共同声明に百二十五カ国が賛同し、日本も初めて賛同した。「今も核廃絶のための努力が続いていることも伝 え、今を生きる人がこの問題に向き合ってもらえるようにしたい」と安田さん。東京電力福島第一原発事故が起きた日本で「原子力エネルギーをどうしていくの かも大きな課題だ」とも話す。
◇
事件から六十年を記念する集いが一日午後二時から日本青年館(新宿区)で開かれる。ピアニストの三宅榛名さんによる、福竜丸をテーマに作った曲の 演奏などがある。入場料大人二千円、学生千円、中学生以下無料。協会は事件の全容を記録した「第五福竜丸は航海中」を出版し、会場でも販売する。問い合わ せは同展示館=電03(3521)8494=へ。
◆マグロ塚 築地建立かなわず
展示館の傍らには、高さ一メートル弱の石に「マグロ塚」と刻まれた質素な記念碑がたたずむ。元乗組員大石又七さん(80)が核廃絶への思いを込めて建立した。
「核兵器がもたらしたこの事件を、後の人たちに思い返してもらいたい」と考えた大石さんは九七年以降、講演先で塚を建てるための寄付を募った。「子どもたちにも加わってもらいたい」と募金額は一口十円にした。
次第に支援の輪が広がって三百万円が集まり、大石さんは、築地市場の正門近くに塚を置こうとした。ここが魚の廃棄場所だったからだ。市場を管理す る都に「場所がない」と断られ、願いはかなわなかった。二〇〇〇年一月、代わりに金属製のプレートを壁に掲げた。「仮置き」のつもりだった展示館から、碑 は動かせぬまま、市場の移転計画が進んでいる。 (加藤裕治)
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