帰りたい残念 泣くな 男じゃないか 福島・浪江の74歳、住めない家に筆書き<東京新聞 2014年3月>
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帰りたい残念 泣くな 男じゃないか 福島・浪江の74歳、住めない家に筆書き
2014年3月10日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014031002000140.html
▼全文転載
東京電力福島第一原発から約三十キロ離れた福島県浪江町津島地区は、放射線量が特に高く、許可なしには立ち入れない「帰還困難区域」。記者は九 日、一時帰宅する住民に同行した。人口千五百人の山あいの集落は静まりかえっている。屋根からの雪解け水が地面を打つ音だけが、春の兆しを伝えていた。 (谷悠己)
津島地区の住民、今野洋一さん(74)は一時帰宅のたびに心境をつづった筆書きを出窓に張り出してきた。東電への怒りから望郷の寂しさへ。長引く避難による心境の変化が読み取れる。
最初の一枚は二〇一一年三月十五日、放射線量の増加で自宅から避難する直前に書いた。「安全だって言ってたのに、悔しくて皮肉を書いたんだ」
今野さんは実際に、東電からの賠償金で何度かパチンコをした。「その時は気が紛れっけど、心からうれしいことなんてない」
パチンコの帰り、仮設住宅の前で、同郷の知人と会い、涙を流し合ったこともある。「帰りてえなあって泣くから、こっちも泣けてきた。片っぽが泣くとダメだな」
津島地区が立ち入り制限のある帰還困難区域に指定された一三年以降は、故郷への思いばかりをつづるようになる。
「今日も暮れゆく仮設の村で 友もつらかろせつなかろ いつか帰る日を想い」(一三年五月)
事故前の津島地区は、春なら山菜、秋になればキノコが採り放題。過疎化は進んでいたが、自然には恵まれていた。
「放射能が高くても、帰っていいと言われたらすぐ帰りてえよ。ふるさとで死にてえから」。そう話した今野さんは、九日の一時帰宅を終えた帰り際に、こうしたためた。
「まもなく三年 大雪里帰り 帰りたい残念 泣くな嘆くな男じゃないか」
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