「北の山・じろう」時事問題などの日記

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<大震災3年>中 後退するエネルギー政策 原発への回帰は許されぬ<北海道新聞 2014年3月>

北海道新聞
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<大震災3年>中 後退するエネルギー政策 原発への回帰は許されぬ(3月10日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/526068.html

▼全文転載

 

 「収束」どころか「制御」と呼べる状態ともほど遠い。

 東京電力福島第1原発内のタンクから先月、高濃度の放射能汚染水が約100トン漏れた。昨年8月の300トンに続く大量漏出だ。

 さらに、政府の試算では日に300トンもの汚染地下水が海に流出する。「汚染水はアンダー・コントロール(管理下)」という安倍晋三首相の言葉を、実態が裏切り続けている。

 廃炉は緒に就いたばかりで、40年かかるとされる作業の出口は全く見えない。事故原因の究明もいまだ途上にある。

 これが、あの事故から3年目の紛れもない現実だ。

 危機を脱したわけではないのに、事故の記憶が薄れていくのに便乗して、政府は原発回帰の姿勢を鮮明にしつつある。

 逆戻りの方針転換は到底容認できない。

 事故を教訓に、原発に頼らぬ社会を目指すことこそ、エネルギー政策見直しの出発点だったことを忘れてはならない。

 

 ■反省なき計画見直し

 政府は先月、エネルギー基本計画の修正案を公表した。

 茂木敏充経済産業相が「基本的に方向性は変わっていない」と述べた通り、修正とは名ばかりで最初から変える気があったかどうかさえ疑わしい。

 この中で、原発は「重要なベースロード電源」と位置付けられた。この言葉は常時一定量を発電する低コスト電源という意味を持つと同時に、小回りのきかない原発特性も表している。

 原発は出力調整ができず、24時間フル出力で動かすしかない。電力を大量に供給し、それを使い切ることを前提とした電源だ。

 福島の事故の後、多くの国民が深刻な反省を迫られたのは、原発を基礎に据えた電力供給体制から与えられるままに、電気を野放図に消費する生活様式そのものではなかったのか。

 この3年間、国民は原発にほとんど依存せず、曲がりなりにも節電努力で暮らしを維持してきた。

 原発が安価との主張も、立地対策費といったさまざまな支援措置抜きでは成り立たない。重大事故の処理、放射性廃棄物の処分といった算定困難なコストもある。

 無反省に原発をベースロードとする発想からは何も生まれない。

 

 ■変革の決意と目標を

 政府は原発依存度を可能な限り低減させ、再生可能エネルギー導入を最大限加速すると言う。

 しかし、その目標値も具体策も示されない。一方、原子力規制委員会が新基準に適合すると判断すれば、北電泊原発を含む全国の原発再稼働を進める方針だ。

 目標もなく成り行きにまかせ、規制委の審査が一巡した時点で稼働している原発の比率を、そのままエネルギーの将来像とする意図が透けて見える。

 破綻した核燃料サイクルをあえて存続させる姿勢からも、意識の変化がうかがえない。これでは計画と呼ぶに値しない。

 風力や地熱といった再生可能エネルギーの普及には、中長期の事業計画に加え、送電網整備などの資金が必要だ。

 政府の決意と明確な目標を欠いては、新規事業者の投資意欲はなえ、技術革新や新たなビジネスの芽を摘むことになる。

 「原発再稼働か、電気料金の値上げか」の二者択一では何の展望もない。原発を段階的に他の電源に切り替えていく複数の道筋と、それぞれに伴うコストを国民に示すのが政治の責任だ。

 

 ■もう増やせぬ廃棄物

 政府主導で放射性廃棄物の最終処分場候補地を選定する方針も示されたが、理解は得られまい。

 問題の本質は場所の選び方ではなく、半永久的な毒物を地中に埋め捨てにしてしまう地層処分への疑問と、原子力政策に国民の合意がないことだ。

 原発同様、リスクを過疎地に押しつけるのではなく、電力消費地も巻き込んだ議論が求められる。

 日本学術会議が提言したように、放射性廃棄物の排出に上限を設け、暫定的に保管する案もある。

 手に負えないごみである放射性廃棄物を、これ以上増やさないことは言うまでもない。

 消費地にも応分の負担を課すことを前提に、電力各社が発生させた放射性廃棄物を、自社の営業区域内で管理することも検討していいのではないか。

 既にたまった原発のごみには、受益した世代に責任がある。その処分すら見通しが立たないのに、福島の大惨事を経た後も、増やし続けるのは許されない。

 

<大震災3年>上 遅れ目立つ復興 被災者救えぬ政治の怠慢(3月9日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/525926.html

▼全文転載

 東日本大震災から3年がたつ。

 死者は1万5千人を超え、なお2600人が行方不明だ。地震津波東京電力福島第1原発の事故が加わり、約27万人が避難生活を余儀なくされている。

 一部の被災地では高台移転のための用地造成や復興公営住宅の建設が始まった。だが、仮設住宅にまだ約4万5千戸が入居している。大災害の傷痕は生々しい。

 復興の歩みは遅く、被災者が安心できる日はまだ遠い。にもかかわらず国の政策に失速が見られるのはどうしたことか。

 被災地を置き去りにして日本の再生はあり得ない。震災復興が国の最重要課題だと再認識し、全力で取り組まなくてはならない。

 

■隠せなくなった矛盾

 

 「時間の経過とともに、くさいものにフタをして自分の方向に進もうとしている。被災地にいるとそれが見えてしまう」。岩手県陸前高田市の戸羽太市長は仮設庁舎の小さな市長室で語った。

 被災地の苦悩を尻目に、安倍晋三政権は独善的な政策を進める。大企業を優遇して復興法人税を前倒しで廃止し、公共事業重視が資材高騰と人手不足をもたらした。

 集団的自衛権の行使容認に動く首相の姿は、被災地の人々から見れば「復興を担う子供たちの未来に、戦争が起きるかも知れない状況をつくっている」ように映る。

 震災直後に比べ復興への熱意が冷めかけているのではないか。復興予算は相次ぐ流用で底を突きつつあり、財源探しが必要な状況に陥っている。国の政策と震災復興との矛盾は隠せなくなってきた。

 福島県では民家の庭に放射能で汚染された土砂が散在する。中間貯蔵施設の建設場所が決まらないから行き場所がない。最終的にどう処分するか見通せないので中間貯蔵施設受け入れも決まらない。

 一番大事な問題を後回しにしたまま、目先の事象に対応しようとするから根本的解決にならない。「くさいものにフタ」とはこうした現実逃避を指すのだろう。

 

■肝いりの課題に軸足

 

 震災復興が進まない背景を探ると、視野が狭く内向きな政治の姿が見えてくる。

 安倍首相は復興を最優先課題に掲げて就任した。だが現実には経済政策で国民の支持を取り付けた上で、解釈改憲や積極的平和主義など自ら肝いりの政治課題に突き進もうとしている。

 国論を二分する問題で国民的合意を追求しない。一部の勢力に頼れば政権を維持できると考えるからだ。そこには国全体の利益を図ろうとする視点が足りない。

 その首相を、野党暮らしに懲りた自民、公明両与党が支える。震災時に政権の座にあった民主党も現政権批判に鋭さがない。

 未曽有の大災害に既存の制度で対応し国民の信頼を損ねた官僚組織は、今ある権限にしがみつく。経済界は東京五輪アベノミクスの「第4の矢」だと称賛し、ビジネスチャンス獲得に余念がない。

 指導的立場にある人たちが自分の利益を優先する姿勢をとれば、社会への影響も避けられない。

 被災地との「絆」を大切にする気持ちが薄れ、外国人をののしるヘイトスピーチや無差別に人を襲う通り魔事件など、ささくれ立った社会現象が増えている。

 日本全体を重苦しい空気が覆っている。これは国民の多くが震災直後に目指した国の姿ではない。

 

■分散型社会の実現を

 

 教訓を見失ってはいけない。

 大震災がえぐり出したのは、地方の犠牲の上に大都市が成り立つというこの国の構造的な問題だ。分散型社会の実現は震災後の日本にとって大きな課題と言える。

 高い確率で首都直下地震が予想されている。だが国の対策はインフラ強化などハード面に偏っている。首都機能の移転が急務だが具体化しない。安全対策を怠った震災前の原発のありようと同じだ。

 既存の権限を地方に渡さない中央省庁主導の行政と、官僚に依存した政治の打破が不可欠だ。大胆な発想で未来を切り開くことが肝心である。

 震災前に逆戻りするかのような政治の現実があるために、いまだに多数の被災者が避難を強いられ、震災関連死も増えている状況が続いている。どう見ても異常だ。危機は去っていない。

 「被災地に寄り添う」という言葉をいま一度思い起こす必要がある。自分だけ良ければいいという考えを抑え、人と人との結びつきを基盤とした社会をつくりたい。

     ◇     ◇

 震災から11日で3年。わたしたちがなお直面する課題は何か。3回にわたり考える。


<大震災3年>下 住民の命を守る もっと危機意識を持って(3月11日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/526279.html

▼全文転載

 東日本大震災の発生からきょうで3年を迎えた。

 マグニチュード(M)9・0の巨大地震が東北地方の沿岸部を襲い、続く津波で集落が次々と崩壊していく惨状がいま、あらためてよみがえる。

 ひとたび大地震が起これば、長い海岸線を持つ北海道にも同様の惨事が襲いかかるのは自明の理である。

 大震災では道内も、死者を含む大きな被害に直面したことを思い起こさなければならない。

 だが、この3年間の道や自治体の取り組みは果たして万全だったといえるだろうか。道の被害想定が震災前から見直されていない現状が危機感の欠如を物語る。

 立ち止まることは許されない。道民一人一人が防災意識を高めたい。備えに一刻の猶予もない。

 

■浸水域に45万人居住

 道内では太平洋沖を震源とする巨大地震がほぼ500年間隔で起きている。この発生歴を踏まえれば「次」は切迫している。

 道は2012年の浸水域などの見直しで津波高を最大35メートルとし、道東や日高、胆振管内から道南まで大津波が襲来すると想定した。

 日本海側とオホーツク海側を含めると45万人もの人が津波に襲われる浸水域に暮らしているとされる。その緊張感をどれだけの住民が共有しているだろうか。

 道は犠牲者数や経済に与える打撃など被害想定の改定を急ぎ、市町村も対策を加速すべきだ。

 大震災から3年を機に、北海道新聞が行った調査では、道内の半数近い沿岸自治体が、なお津波避難計画の策定を終えていないことが明らかになった。

 避難計画が策定されなければ「避難困難地域」は特定できない。最優先で取り組まねばならない。

 釧路市は避難困難地域に限って車での避難を認めることにしたが、住民の不安は払拭(ふっしょく)されていない。過去の地震で渋滞が生じ、避難先にたどり着けなかったからだ。

 同様の悩みを持つ自治体と情報交流を進め、知恵を絞りたい。

■「南海」は対策が進む

 過去3年間、政府の検討は「南海トラフ」と「首都直下」大地震に重点が置かれてきた。

 東海地方から四国、九州まで太平洋岸に広く大津波をもたらす南海トラフ地震の避難困難地域では、すでに避難タワーやシェルターの建設が進められている。

 施設整備費の3分の2を国が補助する制度が創設され、対策が年々、拡充されている。

 これに対し、大きなリスクを抱える道内が置き去りにされてきた感は拭えない。

 道には深刻な状況を政府に訴え、意識を変えさせる責務がある。

 地域によっては県が主体になって避難施設を建造している現状からすれば、道には住民の安心を保障する強い指導力も見えない。

 東日本大震災は、壊滅的な被害を受けた地域に対し、外部からの早急な物資補給や人材支援が欠かせないことを教訓に残した。

 こうした体制を重層的に強化していく必要がある。

 

■泊再稼働に道開くな

 東京電力福島第1原発の過酷事故は、避難の困難さを見せつけた。風向きに応じた避難先の変化に対応できず、結果的に放射能被害を拡大させた。

 北海道電力泊原発で事故があれば、同様の事態も想定される。

 泊原発は12年5月から、3基が全停止しているが、敷地内には使用済み核燃料などが保管されている。稼働していないからといって安心できない。

 泊原発から30キロ圏内にある後志管内の13町村はそれぞれ、今月7日までに住民約7万7千人の避難計画を策定した。

 泊原発積丹半島の付け根に位置し、気象条件に応じて古平町に通じる当丸峠が通行止めになる。

 国道5号など、限られた道路を避難ルートに想定していることを考えれば、避難計画の実効性は極めて心もとない。

 高齢化が進行する地域のお年寄りなど弱者をどう守るか。重い課題でありながら、こうした取り組みは進んでいない。

 原発からわずか9キロにある障害者支援施設「岩内あけぼの学園」(岩内町)は、事故に伴う長期避難に備え、十勝管内清水町や伊達市の施設と、相互に避難支援を行う協定を独自に締結した。

 こうした試みを歓迎したい。

 泊周辺の現状をみれば、道は安易に再稼働に道を開くことがあってはならない。

 泊周辺の住民が置かれた厳しい状況を見据え、命を守り抜く施策を強く打ち出すべきだ。

 

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