クバン・コサック合唱団 その2
★音量が大きいので、音量を下げてお聞きください。
Ruski kubanjski kozački ansambl - Drugi deo koncerta
https://www.youtube.com/watch?v=WCYxTa95J50
アップロード日: 2012/01/17
コサックとは、どのような集団であったのか??
この動画を見ると分かると思います。
まず、ロシアの国旗が出てきます。
ウラー!の掛け声です。
そして、一番目の歌の男性コーラスの右手または左手の動きです。
馬の手綱を操る動きですネ?
このグループは、全員が騎馬です。
昨日ご紹介した、下記の動画は少し違います。
Священной победе! Концерт Кубанского казачьего хора
https://www.youtube.com/watch?v=Y7GHcucvgng
アップロード日: 2011/09/06
二番目のコーラスは、女性が中心です。
その情景は、戦場に赴く軍団を見送ります。
そして士官将校に当たると思われる先頭のグループは、徒歩の動きを示します。
それに続く兵士と思われるグループは、最初の動画と同じ騎乗の動きをします。
戦車の登場する前は、戦場の圧倒的な強者は、騎馬軍団です。
日本の戦国時代にあっても、甲州騎馬軍団が戦国最強の軍団です。
広い平野部において、甲州騎馬軍団に勝てる戦闘集団は当時存在しなかったと思われます。しかし、武田信玄という名将をもってしても戦国を制覇することは出来ませんでした。
戦闘に強いことが、政治的強者を意味するものではない一つの証明です。
東ヨーロッパにおいては、チンギスハンの残したモンゴル帝国からキプチャク・ハン国が成立します。その滅亡後、民族の興亡があり結果として勝者となったのはロシアです。モンゴル人のことをロシア人がタタール(Tatar)と呼びました。
http://www.vivonet.co.jp/rekisi/b07_mongol/mongol.html
【タタール(Tatar)】 ロシア人が呼んだモンゴル人のこと、中国語では韃靼(だったん)。ヨーロッパでは、ギリシャ語の地獄の住民を意味するタルタロスに重ねてタルタル人(Tartar)と呼んだ。(以上引用)
もし、モンゴル軍のヨーロッパ方面軍指揮官であるオゴタイハンが急死しなければヨーロッパは、モンゴル人の支配するところとなっていたかもしれません。
ヨーロッパでは、騎馬は身分の高い武士でした。日本と似ています。
モンゴル軍は、その概念を打ち壊しました。その点で、甲州騎馬軍団に良く似ています。さらにそれを進化させた軍事組織ですネ?結局、モンゴル人のもたらした騎馬軍団の戦闘方式がその後ヨーロッパに受け継がれます。
南方のトルコ系民族や東方の中央アジア系騎馬民族との接点に居住していたのが、現在の複雑な東ヨーロッパの国々の人々です。モンゴル人の前には、フン族が侵入しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%B3%E6%97%8F
モンゴル帝国(キプチャク・ハン国)の崩壊後、台頭した民族の一つにコサックと呼ばれる集団があったのでしょう。元は、現在のウクライナのあたりを根拠地にしていたようです。
その後、歴史の中でいくつかの集団が出来、現在ロシア国内に居住するコサックの一つの集団が、クバン・コサックです。
クバン・コサック合唱団があると言うことは、ドン・コサック合唱団もあります。
これを読むと、コサックの歩んできた複雑な歴史が少し分かります。
YouTubeの動画に出てくるのは、ロシアのコサックの人々ばかりです。
かなり、まとまりがなくなりましたが、中央アジアの騎馬民族や南方のトルコ系民族との戦いの中から生まれてきたのが、現在のコサックと呼ばれる人々の原型ではないのか??と推測します。
ですから、戦争は当然のことであり、モンゴル帝国の騎馬軍団の戦闘方式を受け継いだのが、この人々でしょう。騎馬民族と戦うには騎馬民族になるしかありません。
動画に?何故??騎馬の振り付けが出てくるかの一つの説明です。女たちは、戦地に赴く男たちを勇敢に見送るしかなかった。
なぜなら??
男たちが戦場で負ければ、それはコサックの滅亡を意味するからです。
実際、そうして滅亡したグループも少なからず存在したのではないでしょうか?