「北の山・じろう」時事問題などの日記

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丸谷元町長が死去 ワインへの情熱最期まで<十勝毎日新聞社2014年6月>

※非常に思い出深い方です。お悔やみ申し上げます。

地方が自立して存続しようと思うなら何らかのアイデアが必要です。

その一つの典型例のように思います。

税金や大組織に頼らず、ご自分のアイデアで「十勝ワイン」を生み出しました。

立派だと思います。

 

十勝毎日新聞
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丸谷元町長が死去 ワインへの情熱最期まで
2014年6月4日 14時10分
http://www.tokachi.co.jp/news/201406/20140604-0018538.php

▼全文転載

 【池田】十勝ワインの生みの親で池田町長、参院議員を務めた丸谷金保(まるたに・かねやす)さんが3日午後0時23分、十勝いけだ地域医療センターで老衰のため死去した。94歳。池田町出身。池田町は28日に町葬を執り行う予定。

 丸谷さんは池田尋常小高等科を経て明治大を1942年に卒業後、十勝日日新聞編集局長、士幌村農民同盟事務局長を務めた。57年に池田町長に初当選し、5期目半ばの1976年10月に辞任、翌77年の参院選(道地方区)で社会党から出馬し当選、2期12年務めた。

 農業振興と特産品開発を目指してブドウの栽培に着手。町内の山ブドウがワイン醸造に適した「アムレンシス系」と分かり、63年に全国の自治体では初めてワイン醸造の試験免許を取得、ワインの製造を手掛けた。

 また、町営レストランやまきばの家などの経営に携わり、ワイン城を建設。いきがい焼きや町営有線テレビ放送、結婚記念造林制度など数々のユニークな事業を展開し、「アイデア町長」とも呼ばれ、地域おこしのリーダーとして全国的に注目された。

 昨年暮れに体調を崩し、4月から同センターに入院していた。

■地域自立挑戦先べん
 「国が公営ギャンブルを自治体の財源に認めている以上、自治体はほとんどの事業をやれるはずだ」。3日に死去した元池田町長の丸谷金保さんは、こんな論 理から数々の事業に取り組み、自治体の公営事業の可能性を追求した。十勝ワインで成功し、「3割自治」と呼ばれた時代に、中央に依存しない地方の自立した 生き方を身をもって提示。全国の地域づくり活動に夢や勇気を与え、一村一品運動の源流をつくった。

 丸谷さんは士幌村農民同盟事務局長から池田町長選に37歳で立候補し、72票の小差で元助役を破り初当選した。当時の池田町は十勝沖地震の災害復旧の支出増や冷害による税収減で赤字団体に指定され、どん底の状態だった。

 そんな中で、町内で自生していた山ブドウをヒントにブドウ栽培とワイン造りに着手した。本場の技術習得のため町職員を欧州へ派遣させる一方、首都圏での ワイン販売のため第三セクターの会社を東京に設け、全国各地にワイン友の会を立ち上げるなど積極的な事業を展開。1970年代に入るとワインブームで十勝 ワインは売り上げを飛躍的に伸ばした。

 当初は、冷害でブドウ栽培が大打撃を受け、町民から批判を浴びた。「こんな酸っぱいワインは飲めない」と言われ、販売に苦労した。64年に山ブドウで造ったワインがハンガリーでのコンクールで3位に入賞したことが後の評価につながった。

 丸谷さんは昨年の取材で、「ハンガリーのコンクール入賞で町の空気ががらりと変わり、『ほら吹き町長』が『アイデア町長』になった」と笑顔で語った。

 ワインにとどまらず、町営レストランやワイン城を設け、ワインで得た収益を学校給食費補助など町の事業へ還元させるなどワインを核にしたまちづくりを積 極的に進めた。また、年金支給額を物価にスライドさせる制度を全国で初めて導入し、反対する旧自治省や道を相手に論陣を張るなどしたたかな面もあった。

 池田町出身で若いころから兄弟同然の関係だった元吉村博帯広市長(故人)の勧めで1977年の参院選に初当選し、国政へ転じた。選挙戦でも十勝ワインのネームバリューは絶大だった。

 丸谷さんは昨年6月に開かれた十勝ワインの50周年記念式典で「山ブドウの森」構想を提案し「世界でもまねのできないワインを」と述べ、十勝ワインへの熱い思いを最後まで灯し続けた。

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