「北の山・じろう」時事問題などの日記

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危機の真相:ブラック企業は企業にあらず 人権と経済を切り離すな=浜矩子<毎日新聞>

毎日新聞
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危機の真相:ブラック企業は企業にあらず 人権と経済を切り離すな=浜矩子
毎日新聞 2013年10月19日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/news/20131019ddm005070011000c.html

▼一部転載

 ブラック企業という言葉がはやっている。従業員に過重労働を強いる。サービス残業をさせる。まともな賃金を支払わない。劣悪な労働環境の中での勤務を強要する。平気で不当解雇する。

 総じて労働者の基本的人権を踏みにじる。要は、人間を人間として扱わない。こんな調子だから、むろん、お客様を大事にする感覚も欠如している。ダークさの塊だ。ざっとこんなイメージである。

 言い得て妙な表現だ。なかなか力のある言葉だ。もっとも、使い方によっては暴力的な効果が怖い言葉でもある。

 厳しい経営環境の中で背に腹は代えられず、まともな賃金水準や人間的な職場環境を用意できない。涙をの んで雇い止めに踏み切る。そのような企業たちまで、ブラック扱いされる。あるいは、いわれなきブラック企業のレッテルが、経営を行き詰まらせる。そのよう な事態が発生するようになってはいけない。そうした側面に気を留めておく必要がありそうだ。だが、それはそれとして、このブラック企業という言葉には、今 日的な経済社会の寒々しい部分をよく捉えた響きがある。

 ただ、ここでふと思う。本当にこれでいいのか。そもそも、一連のブラックな行動に及ぶような企業を、企 業と呼んでいいのか。ブラックでも、企業は企業。ブラック企業という言葉をあまり使い慣れると、そのような感覚を我々の認識の体系に忍び込ませることにな らないか。それが、少し気掛かりになってきた。

 我らはブラック企業だ。それがどうした。それも一つの生き方だ。あれこれ言っても、結局は人が集まってくる。見よ、我らの雇用創造力を。我らを弾力雇用特区に招き入れていただいてはいかが? そんなふうに、彼らを開き直らせることになってはまずい。

 ここが、この種の「ズバリ」感のある言葉の危ういところだ。そもそも、存在自体を許されないはずのもの に、存在感を与えてしまうことになりかねない。市民権を持ってはいけない存在に、市民権を与えてしまう危険性を秘めている。そこを十分に気をつけておかな いと、この実に的確な糾弾の言葉が、奇妙な形でかえって問題の所在をぼかす役割を果たしてしまう。

 同じような観点から、最近、気になることがもう一つある。それは、経済と人間の関係に関する考え方の問題だ。

 

 ブラック企業の行状が物議を醸す。リーマン・ショックの爪痕が思わぬところで生々しく姿を現す。若者たちが就活難民化する。過労死が増える。働く人々のメンタルヘルスが侵される。原発再稼働が正当化される。

 そんな状況を目の当たりにさせられていると、我々は、経済を人間の敵だと思うようになる。何でもかんでも経済優先の世の中になると、人間は後景に退くことを強いられる。経済至上主義は人権を脅かす。そのように見えてくる。

 この感覚は、実にもっともだ。だが、ここでも、気をつけておくべきことがある。経済という言葉を非人間 的な言葉だときめつけてしまうことは、実をいうと、経済活動というものが非人間的であることを許してしまうことにつながっていく。しょせん、経済とはそう いうものだ。だから、仕方がない。経済の毒牙から人権を守らなければいけない。そのように認識してしまうことは、取りも直さず、人権無視の行動パターンを 経済活動に固有のものとして、裏口から認知してしまうことにつながってゆく。

 経済活動を人権から隔離してはいけない。経済活動にいそしむことと、人間を人間らしく扱うことは別の テーマだと考えてはいけない。「人間無視の行動原理が経済の論理なのだから、経済とは別枠で人権を主張しよう」。このように考えてしまうと、ブラック企業 のやりたい放題に一定の存在感を与えることになる。経済と人間性は、断じて別物ではない。人間不在の経済活動などというものが、そもそも、成り立つはずが ない。

 経済活動は人間の営みだ。経済活動を行う生き物は、人間しかいない。人間に固有の営みが、人権を脅かすはずがない。人間不在の活動を、経済活動と呼んではだめだ。経済活動が人間の営みである以上、経済活動は人権のいしずえでなければならない。

 「経済活動や企業経営に倫理性が欠けている」「たとえ営利企業といえども、社会的責任者を意識しなけれ ばいけない」。この種の言い方にも、厳密にいえば問題があると思う。このように言ってしまうと、暗に、経済や経営はその本性において非倫理的であり、社会 的責任と無関係なのだと認知してしまうことになる。

 

 「いくら経済活動だからといっても、少しは人権のことを考えてよ」「いくら企業だからといっても、多少 は倫理性を意識してよ」。これではいけない。人権尊重から多少とも遊離した営みは経済活動にあらず、企業行動にあらずだ。この点についての黒白は、はっき りしておかないといけない。

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 次回は11月16日に掲載します。

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 ■人物略歴

 ◇はま・のりこ

 同志社大教授。

 

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