「北の山・じろう」時事問題などの日記

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メモ2023・10・1

反則ですが、ほとんど見かけない記事なので全文引用で転載。

「故郷ナゴルノカラバフ」 帰還目前アゼルバイジャン人―家追われ避難生活30年
2023年09月29日07時07分

 

 【テルテル(アゼルバイジャン)AFP時事】「頭から離れない」。アゼルバイジャンの元教師アザト・アバソフさん(67)は、美しい山に囲まれた故郷ナゴルノカラバフの家に帰ることを夢見て、人生の半分を暮らしてきた。1992年2月、アルメニア系勢力によって、ふるさとの村ウムドゥルを家族と共に追い出された。

 

 ◇救助ヘリ撃墜
 アルメニアとの係争地ナゴルノカラバフでは、アゼルバイジャンが先週、アルメニア系勢力を降伏に追い込んだ。アバソフさんの夢は現実になりそうだ。
 かつての自宅はアルメニア人たちによって焼かれてしまったが、携帯電話に写真を保存している。「繰り返し見ている」と語るその表情からは、感情の高ぶりを見て取れた。

 

 過去30年間、停戦ラインを越えウムドゥルから車で1時間ほどのテルテルで、避難生活を送ってきた。92年のあの日、親族が射殺され、アバソフさんも負傷した。救助のヘリコプターが撃墜され、歩いて逃げるしかなかった。「急いで避難したから、急いで戻る準備もできている」と語った。
 ◇かつての姿
 キリスト教徒がアルメニア語を話すアルメニアと、イスラムシーア派が主流でトルコ系の言葉を話すアゼルバイジャンの衝突は、ソ連崩壊が近づく88年に顕在化した。戦闘で3万人が犠牲になり、70万人のアゼルバイジャン人がアルメニアやナゴルノカラバフから脱出。23万人のアルメニア人もまた、避難を余儀なくされた。
 今月24日、ナゴルノカラバフのアルメニア系住民が、かつてのアバソフさんのように避難を始めた。見詰めるアゼルバイジャンの元住民のまなざしは複雑だ。
 2020年の戦闘で夫が殺されたアゼルバイジャンの女性ナザカト・バリエワさん(49)は、かつて暮らしたナゴルノカラバフの村の景色を今も覚えている。「もちろん帰りたい。もう戦争や恐怖にはうんざりした」と語った。
 アゼルバイジャン政府は、ナゴルノカラバフ再占領地の入植計画を進めているが、住民はまだいない。アバソフさんは「帰郷には平和という条件が必要だ」と語る。「地雷が撤去され、道路や家の再建、課題は多い」と指摘した。
 ◇いつか一緒に
 もう一度、アルメニア系住民と暮らせるか問われたアバソフさんは、簡単ではないと認め「恨みの種を取り除く必要がある」と述べた。自身は、かつて暮らした土地に戻れないこともあり得ると考えているし「アルメニア系も自分の村に戻っていい」と思っている。
 ただ、アルメニア系住民は、アゼルバイジャン人を「トルコ人」と呼んで恐れる。今は、共生を語れる雰囲気はない。
 テルテルで暮らすジャビド・イスマイロフさん(30)は、20年の戦闘で自宅を破壊された。庭には今もミサイルの残骸が刺さり、壊れた家具が散らばっている。共生には「時間が必要だ。長い道のりだ」と認めた。それでもいつか「一緒に暮らすことは可能だ」と希望は捨てていない。