「北の山・じろう」時事問題などの日記

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(アフガニスタン)タリバン20年ぶり復権

東京新聞
タリバン20年ぶり復権 「あらゆるアフガン人参加の包括的政府」宣言 厳格なイスラム法での統治示す
2021年8月16日 21時05分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/124818?rct=world

書こうか止めようか、迷いました。
余りに複雑で、自分自身にも全部理解できているか分からない問題です。

旧ソ連アメリカ、そして隣国のパキスタンアフガニスタンは、歴史のはざまで翻弄されました。


アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%B4%9B%E4%BA%89_(1978%E5%B9%B4-1989%E5%B9%B4)

これが、アフガンの不運の始まりです。
その後、アフガンのゲリラの抵抗により旧ソ連は、結局撤退せざるを得ませんでした。それが、旧ソ連崩壊の大きな要因にもなります。
アフガン男性成人の90%が死亡したのではないかと言われる悲惨で勇猛果敢な、アフガンゲリラ(又は義勇軍の)の勝利でした。


ムジャーヒディーン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3

もちろん、大量の難民が発生し隣国のパキスタンに避難しました。その避難民キャンプから、自然発生的に生まれたのが、タリバンです。それを援助したのはパキスタンです。

旧ソ連撤退後は、アフガンは地方軍閥が割拠する無政府状態となりました。

「主に1979年のソ連侵攻後のアフガニスタン情勢をまとめた ...」
https://www.ngo-jvc.net/jp/projects/afghanistan-afghanwatch/2015/04/20150428-bbc.html

その状況を打開するべく、陸続と母国アフガンに戻り地方軍閥と戦い打破し、国内統一を成し遂げようとしたのが、タリバンです。(もちろん、軍事の素人がそんなことは出来ません。軍事面の指導・援助を行ったのはパキスタンの関係者だと思います。パキスタンだって困っていました。最大300万人強の避難民がパキスタン国内にいました。)

「アフガン難民 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E9%9B%A3%E6%B0%91

「ターリバーン - Wikipedia
https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%B3

欧米諸国の立場で見るのと、公平な立場で見るのでは、見える風景が、かなり違います。地方軍閥が私利私欲による統治を行うのと、タリバンが問題はあるにせよ統一政権を樹立するのと、どちらが良いのか?

統一政府の失われた地域の混乱を見るなら、明らかに後者でしょう。アメリカの軍事進攻前は、タリバンは国土の90%くらいを制圧していました。残りを制圧する前にアメリカでのアルカイダの大規模テロが、発生しました。

アルカイダアメリカ本土での信じられないような大規模航空機テロが、行われました。

アメリカ同時多発テロ事件 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

その根拠地が、アフガンにありました。
アメリカは、アルカイダの引き渡しを要求しました。
アルカイダの古いメンバーは、旧ソ連とのゲリラ戦のアラブ義勇兵です。(英雄を)引き渡すわけには、行きません。

「アルカーイダ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%80

それを理由に、アメリカのアフガン侵攻が実行されました。そして、そもそも政府がありませんから、アメリカは、当時の北部同盟と言われたアフガンの地方軍閥の人間を首領として傀儡政権を作りました。

「アフガン北部同盟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%83%A8%E5%90%8C%E7%9B%9F_(%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3)

それから、20年。
何の意味が、あったのか?
アフガンの政治は、良くも悪くもアフガン人に委ねるべきでしょう。

「焦点:米国最長の戦争「敗北」で幕、失策を重ねたアフガン20年」
https://jp.reuters.com/article/us-afghanistan-conflict-idJPKBN2FI0FF

アメリカ軍全面撤退が、決定した後?
アフガン軍が、ほぼ無抵抗でタリバンに降伏したのか、積極的にタリバンに参加したから、ほんの1週間くらいで首都カブールまで、タリバンの制圧するところとなりました。旧政権の大統領は、即逃げ出したそうです。内戦にすらなりませんでした。傀儡政権とすら、言えません。
アメリカ軍政権と言うのが、正しいでしょう。

アメリカの関係者を、帰還させるために追加・追加で5000人のアメリカ兵が、派遣されたそうです。理由はカブール空港を防衛するためです。しかし、非戦闘員が逃げられたとしてもですね?5000人のアメリカ兵も最後は、撤退するんですから?
「全員、撤退するまで待ってちょ~?」
タリバンも、そこで殲滅作戦をやるほど惨くはないと思いますが?南ベトナムでの撤退の状況が、思い出されます。そんなの若い人には、昔ばなしですね?と言うより、知らないし想像も出来ないでしょうね?
アフガンは、武勇の国ですからタリバンは逃げる敵にも情けを与えて欲しいと思います。アメリカ兵のために!
(だから、裏話は出来ていると思いますが?アメリカは、20年の償いにアフガン復興に軍事予算並みの援助をしてくださいね!ロシアは、倍付だ!!!3倍行け!!!ロシアの罪は、間違いなく3倍だ!5倍だって、世間は納得する!)


余りにアフガン政府軍の壊滅が、速く?
逃げる暇もなかった。と言う笑えるような笑えないような話です。
ちなみに、日本大使館関係者もまだ現地にいるようです。
ほかの国も、同様です。

ごく簡単に書いても、こんなくらいになります。
全部、書いたらシリーズになります。
そんな気力は、今はありません。