「北の山・じろう」時事問題などの日記

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相場師列伝

2022年04月17日(日)09:07

今日は、日曜日だから肩の凝らない話をしようと思います。
実際には、証券業法が順次改正され、昔で言う相場師は、もういません。
存在が許されないのです。
現在で言うところの、相場操縦が自由に出来た時代でこそ相場師は、活躍できました。
今は、時代が違います。

有名な人を二名取り上げます。
「山崎種二」さんと、「是川銀蔵」さん。
同じ相場師と言っても性質が異なります。
「山崎種二」さんは、相場でお金を儲けましたが本業は事業家です。
是川銀蔵」さんは、本当の意味での相場師でしょう。
「最後の相場師」とも言われます。老年になってから株式投資オンリーで巨額の資産を得ました。でも、その資産は社会に還元したようです。

「山崎種二」さんは、新潟県の寒村で生まれて、戦前米問屋に丁稚奉公に出ます。それが、人生のスタート。その後、米問屋として若くして独立します。米相場が盛んな頃です。当然、その当時もコメ取引の先物市場がありました。そこに先物の本当の性質を知ることが出来ます。先物は、本来ヘッジを目的としたものです。
「今の価格で今年仕入れるコメを売りたい」
そこで、先物市場で米を売るわけです。

その後、コメの先物市場は投機の場と変化していきます。
「山崎種二」さんは、コメ問屋ですから売る側です。
そこで投機的に買う側とのバトルが発生します。
様々あってコメ問屋としても、コメの先物市場でも「山崎種二」さんは、勝ちました。
このような部分がクローズアップされ、相場師の印象が強いのだと思います。
実際には、戦前は大手のコメ問屋であり他の関連するビジネスにも範囲を広げていきました。

戦後は、コメ相場が衰退していき株式に比重を移します。
自分で株を買うなら?と証券会社を作りました。
結論、その証券会社は準大手にまで成長しました。
「山崎種二」さんは、相場にも強かったけれど実際には事業家と言うべきだと思います。

一方、「是川銀蔵」さんは、本当の意味での相場師でしょう。「最後の相場師」とも言われます。
戦前から紆余曲折を経て、戦後宅地開発で元手を作ります。そして、もう老年と言う時代に株式投資を本格的に始めます。方法は、今では禁止されている買占めです。当然、売り方と戦いが始まります。何とか、それに勝ちます。「是川銀蔵」さんは、「住友鉱山株」で巨額の資産を作ります。これは「仕手戦」と呼ばれますが、実際には違います。当時、住友鉱山は九州で巨大な金鉱を発見します。会社は、それを内密にしました。
その情報を入手した「是川銀蔵」さんは、まずその話が真実であるかどうか極秘に調査します。調査の結果、多分真実だと判断しました。
結果、住友鉱山株の大量買いを始めます。
それだけではなく、その隣接地(=金鉱が伸びているであろう土地)まで買い込んでいます。
結局、住友鉱山がキチンと情報開示をしていれば、単に株価が急騰しただけで、こうはならなかったと思います。

巨大な金鉱は、事実であるか?否か?
それをめぐって、超大型の仕手戦が勃発しました。
結論、住友鉱山が金鉱の発見を公表したため株価は吹き上げました。吹き上げたところで「是川銀蔵」さんは、大量の持ち株を売り抜けて巨額の資金を得ました。
人生最後の勝負がしてみたかったんでしょうね?
是川銀蔵」さんが老後、巨額の資産を必要とする理由はありません。その後、得た利益は慈善事業に全部使ったみたいです。

二人とも各人をモデルにした小説があります。
山崎種二さん
「百戦百勝」
是川銀蔵さん
「最後の相場師」
特に「百戦百勝」は、おもしろいです。そして、様々な知識も得られると思います。

山崎種二 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E7%A8%AE%E4%BA%8C
百戦百勝 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%88%A6%E7%99%BE%E5%8B%9D
山崎種二『そろばん』
本作品のモデルとなった人物の自伝

是川銀蔵 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AF%E5%B7%9D%E9%8A%80%E8%94%B5

 

ウクライナ人道危機救援金 - 日本赤十字社

 

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